(1)背景

2000年代以降、中国のWTO加盟により世界の貿易は急速に拡大した。その間、フラグメンテーション(工程間国際分業)が進展し、中間財貿易が増加した。各国の比較優位にしたがって各工程を国境を越えて配置し、効率的な生産が図られた。結果として、中国を含むアジアや東欧の新興国はグローバル・サプライチェーン(GSC)への参加を通して成長してきた。しかし、2010年代以降は、米中間の貿易戦争や欧米における保護主義の台頭により、貿易の伸びは鈍化している。COVID19の以前から、GSCは終焉に向かうのかと議論されてきた。

GSCを巡る研究の論点は、2018年までは東日本大震災の影響もあり、災害や経済危機などのショックに対するサプライチェーンの頑健性や復元力・回復力が中心であった。その後は米中貿易摩擦が激化し、米中貿易や第3国の貿易に追加関税措置が与える影響へと論点が移ってきた。例えば、米中間の貿易は減少し、米国の経済厚生には負の影響があったが、第3国にはさほど影響がなかった、という研究結果が示された。さらに2022年頃からは、各国における経済安全保障政策の高まりを背景に、輸入側の関税だけではなく、輸出側の規制強化として輸出管理が大きな論点となってきた。輸出管理強化の影響に関する定量的な分析はまだ少ないが、日本、韓国、台湾なども大きな影響を受ける可能性があり、サプライチェーン、とりわけ中国ビジネスの見直しが進んでいくかもしれない。

(2)ショックやリスクに対するGSCの脆弱性とその対策

サプライチェーンの1ヶ所が災害などで寸断されても、意外と回復は早いという分析結果が多い。サプライチェーンを分散するメリットが大きいと評価されているようだ。一方で、サプライチェーンにショックがあったとき、全ての関連企業が同じ影響を受けるわけではなく、ネットワーク、またそのサプライチェーンのどこに位置しているかとによって影響は異なる。例えば、ネットワークの中心にあったり、少数の大規模なサプライヤーに依存したりしているケースではショックが大きくなる。つまり、取引先を分散させることによるメリットと、取引先を集中させて規模の経済性を享受することにはトレードオフがある。最適な分散度合いを探らなければならない。特に、中国に対する依存度が高まりすぎている国は注意が必要だ。

コロナのような大きなショックに対応できる、頑健なサプライチェーンを構築するための方策として次の3つが挙げられる。第1には、サプライチェーンの一部の国内回帰を進めること。第2には、サプライヤーをより多元化、多様化すること。第3には、サプライチェーンにおける情報を共有したり管理したりする、換言すればサプライチェーンを可視化することだ。
しかし、過度の国内回帰は、ショックへの復元力を高めない。また、多様なサプライヤーと取引するよりも、1つのサプライヤーと長期的な取引関係を持ったり、在庫を積み増したりする方がショックを軽減する効果が大きいという研究結果も最近出されている。ミクロ的な視点で見るのか、マクロ的に捉えるのかで結果が異なるのであろう。

(3)米中対立や地政学リスクへの対応

米国は国家安全保障を重視し、追加関税措置から輸出管理・規制強化へと政策の重点を移してきた。2018年8月に「輸出管理改革法(Export Control Reform Act: ECRA)」を立法化し、デュアル・ユース品目を輸出管理規則(The Export Administration Regulations: EAR)のもとで管理している。2019年5月には、ファーウェイと関連68社を懸念顧客リストであるエンティティリスト(EL)に追加した。2020年5月、8月にはEARの外国直接製品規制(FDPR)を強化し、米国の輸出管理規制を域外適用する範囲が拡大された。。さらに2022年8月には、半導体の国内製造を推進すべくCHIPS法を成立させたが、CHIPS法の下で補助金を受けるには、向こう10年間中国での最先端半導体の増産を行わないという条件を付けている。。日本も2020年11月には「輸出貿易管理令」を改正し、軍事転用可能な品目の輸出規制を強化した。また、直近では、CHIPS法に呼応し、半導体製造装置などの23品目を輸出管理の対象として追加した。

アメリカを中心として各国が中国に対する輸出管理を強化する中で、日本企業は難しい立場に置かれている。輸出に占めるシェアでも進出企業数でみても、日本にとって中国の存在は米国よりも大きい。とはいえ、日本企業に対するアンケート調査においても、経済安全保障に対する意識は高まっており、海外情勢の不透明性、コスト負担、情報管理体制、サプライチェーンの強靭化・多元化、情報収集機能強化などへの対応が必要だと感じているようだ。
この輸出管理規制が強化されたことによる各国の輸出額への影響は、マクロ的に見ればさほど大きくないというのが現在の研究結果が示すところである。他方、ミクロ的には、深刻な影響を受ける産業や企業がある。輸出管理については、制度の不確実性、不透明性、複雑さなどが中小企業の輸出を阻害する可能性がある。

(4)サプライチェーンの再構築

今後、サプライチェーンの再構築を考える上では、サプライチェーンの効率性だけではなく、リスクも考慮に入れなければならない。情報の非対称性のため各企業がリスクを正しく評価できないような場合もあり、政府による介入や支援を正当化せざるを得ない部分も出てくる。

しかし、経済安全保障の定義や範囲が曖昧なままで規制強化を進めるべきではない。規制の内容を明確にして情報提供する必要がある。規制範囲は狭いほうが良い。アメリカ政府の規制について日本企業は非常に情報が不足しており、日本政府による情報提供や支援が求められる。さらに、サプライチェーンを可視化し、予見可能性が向上するようにサポートすべきだ。もっとも、GSCのチョークポイントになるような技術を日本企業が握ることが、国際的な交渉力を高める最も重要、かつ正攻法であることは言うまでもない。

(5)一経済学者の思い

経済学者としては規制や貿易障壁には賛同できず、基本的には自由貿易が重要だと考えている。伝統的な経済学が前提とする「合理的に意思決定をする経済主体」は実際には少ないのではという疑問から、現在では行動経済学も進展している。また、経済学者が厳密な数量分析をしたところで、政治学者の一部や政治家、一般市民には十分理解されない。

しかし、経済活動を左右するのは、やはり人々の予想や意識であり、他国が保護主義を強めれば自国民の保護主義も強くなってくることが明らかとなっている。現在のようなかたちで貿易に対する規制や制限が容認されると、一時的な貿易縮小に収まらず、世界大戦のような事態を引き起こすレベルまで貿易縮小が拡大するのではないかと強く懸念している。

厳密な定量分析やシミュレーションにより、具体的な数値によるエビデンスを提示することが経済学の基本原則である。一方、「ナラティブ経済学」のように、経済現象にストーリーをつけ、わかりやすく市民や政治家に研究成果を説明しながら、人々の意識を変えていくことも必要かもしれない。

(文責、在事務局)