(1) 東アジアにおけるグローバルな記憶の形成

アジア諸国においては、戦争や植民地主義で犠牲となった前世代の歴史的記憶を後の世代が継承し、自らを悲劇の犠牲者と位置づけることで、自己の道徳的・政治的な立場を正当化する「犠牲者意識ナショナリズム」が広く行きわたっている。
 周知の通り、東アジアでは、過去の歴史をめぐり非常に激しい対立や論争がある。しかし、この「うるさい」状況は「沈黙」状態よりはるかに良い状況だと考える。なぜなら、「うるさい」状況は、人々が隣国の記憶文化について関心を持ち始めたことを意味しているからである。確かに現在のところ、東アジアの状況は非常に悪く映っているが、このように騒々しい対立や論争が生じている現状を楽観的に見るとすれば、良い兆候とも言えよう。戦時中の記憶の遂行性(performativity)が、ナショナルなものからトランスナショナルなものへと移行しつつある状況は希望の表れだからだ。
 驚くべき事実を1つ紹介すると、日本の内閣総理大臣の靖国神社参拝が隣国の新聞で初めて報道されたのは1978年であった。つまり、それ以前は韓国人も中国人も日本の首相が靖国神社を参拝したか否かを気にしていなかったのである。さらに、当時の駐日韓国大使は共同通信とのインタビューで、「独島(日本名:竹島)は日本の領土」とさえ明言し、「韓日の経済関係が独島/竹島問題に優先する」と説明した。この大使の発言を、韓国の新聞もさほど批判しなかった。現在の両国政府の主張や、安倍首相の靖国参拝に対する中韓の新聞の反応と比較すると考えられない状況だが、かつて韓国は、日本人の行動や日本人の民族としての記憶に関心がなかったのである。
 しかし、第2次世界大戦や植民地支配に関する記憶は国家間で相互に連関している。現在の歴史をめぐる対立は、東アジアにおいてトランスナショナルな記憶文化が形成されつつあることを露わにしている。各国の人々も過去の記憶を共有しているということを認識し始めたのだ。

(2) 歴史教科書問題

昨今、日本の歴史教科書の改訂に対し、中韓両国は強い憤りを表明している。だが、1960年代の日本の歴史教科書の内容も、現在の歴史修正主義的な教科書に比して決して優れているとはいえない。もっとも私は「新しい歴史教科書」のようなものが採択されることは望まないし、それが現代的な教科書であるとも考えないが、この教科書問題についても指摘すべき点は、先の靖国参拝問題と同様に、1960〜70年代においては、中国人も韓国人も、日本でどのような歴史教科書が使用されているのかに関心がなかったということである。彼らは気にも留めず、知らなかったのだ。この事実は、隣国に対する人々の感性の弱さを示している。
 だからこそ、歴史教科書問題をめぐる対立も、東アジア諸国、そして社会の共存に向けた記憶文化の創生の良い出発点となり得ると考える。特定の記憶文化について、全ての点で合意することはできない。むしろ問われるのは、同意か不同意かということではなく、その不一致をいかにして共存可能な不一致にできるか否かだ。歴史の解釈は多様であるべきで、教条的な単一の解釈を強いてはいけない。その解釈の違いを維持すること、言い換えれば共生的な不一致、共生的な対立こそが重要だ。我々の共通の過去に対する解釈の違いは非常に深刻に映るかもしれないが、やはり他方では非常に良い兆候なのである。

(3) 「存在論的」安全保障、市民、記憶外交

「記憶外交」という言葉は、記憶に関する研究と国際関係を結びつけたものである。一種のパブリック・ディプロマシーともいえる。パブリック・ディプロマシーはより広い概念であり、記憶外交はその一部として理解できよう。他方、国際関係論の一部では、存在論的安全保障に関する研究が始められている。一般的な安全保障が国家・軍事的なものであるのに対し、存在論的安全保障とは、よりソフトパワーに近い安全保障であり、そこでは記憶が重要な役割を果たす。記憶は国家や民族の自己アイデンティティに関わるものであり、自己アイデンティティが傷つけられると、人々は怒りを感じる。自国と異なる隣国の記憶や攻撃的に映る記憶は脅威と受け止められるかもしれない。
 存在論的安全保障に関する研究はまだ途上だが、恐怖、憎しみ、プライド、恥、栄光、名誉といった感情は、記憶外交を行う上で非常に重要な要素である。だからこそ、記憶をめぐる対立では、きわめて感情的な反応が多く見られる。「合理的」な国際関係論では、このような記憶紛争を解決できない。感情の非合理性は現実の国際政治の一部であり、記憶外交を実施する際にも近隣諸国の様々な民族や国民感情に注意を払う必要がある。記憶をめぐる今世紀の対立や論争は、人々が非常に感情的になったことを示している。このような感情をどのように処理するかということも、記憶外交の重要な課題だ。
 記憶外交は東アジアにおける対立を解決する1つの鍵である。とはいえ、全ての関係者が異なる歴史的なストーリーを語り、その違いと経験を共存させることができるような記憶外交はどのように実現可能なのだろうか。記憶政治や記憶外交において最も重要なことは意見の相違に同意することだが、この意見の相違はどのようなものになるのだろうか。
 以上を踏まえると、記憶の活動家、記憶に関する歴史家として、この問題が解決可能だとはあえて明言しない。しかし、少なくとも、この不一致や相違を、共存、共生可能なものにする方法は見つけられるはずだ。記憶は常に挑発的である。私の真実は真実で、あなたの真実は偽りとする、自己肯定的なアプローチはまったく有用ではない。したがって、我々の過去に対する理解や認識論的方法論は、東アジア全般で教えられてきた自己肯定的なアプローチとは異なる方法を探る必要がある。

(文責、在事務局)