1.「ポスト真実時代」は「メディア論の時代」

昨今、新聞にはフェイクニュースが満載で、Web上などでは「マスゴミ」と揶揄されるような、メディアが信用できないという議論がある。こうした指摘は決して目新しいものではなく戦前からあった。例えば、昭和15年5月15日付『現代新聞批判』の「捏造ニュースと新聞」という記事においては、ヨーロッパの戦況報道がいかに出鱈目で、いかにフェイクにあふれているかが厳しく批判されていた。また、ラジオもなく、電信で国際ニュースが流通していた19世紀後半から、フェイクニュースのグローバル化は議論されてきた。流言(飛語、噂、陰謀論)とニュースを分けるのは内容ではなく形式だという考え方こそが、メディア論の発想法の基礎にある。M・マクルーハンの残した「メディアはメッセージである」という有名な言葉は、メッセージの内容そのものよりも、どのメディアを使って内容を伝えるかによって、影響や意味が異なるのだということを表している。その意味で「ポスト真実時代」は「メディア論の時代」であり、決してSNS時代に始まるものではない。

「ポスト真実の時代」という言葉には、真実の時代が良いという前提がある。だが、真実の時代が私たち人間にとって幸せな時代だったとは言えない。「ポスト真実の時代」の方がむしろ普通の日常であって、自由な議論が可能なのだと考えておいた方が良い。例えば今般の「ウクライナ事変」でいえば、片やロシアは政府が「真実(プラヴダ)」を管理統制する権威主義体制であり、片やウクライナを支援する西側諸国は、SNSでの流言が氾濫する「ポスト真実」の中で、多様な解釈が許されている状況だ。性急に「真実」を求める私たちの発想自体が、ある種の落とし穴となり得る。

こうした問題を考える学問的アプローチとして、ジャーナリズム論とメディア論は全く違うということを理解しておく必要がある。たとえば、内容が真か偽かを問題にするジャーナリズム論において偽の情報には意味がない。しかし、その影響力が大か小かを問題にするメディア論において、内容の真偽は重要ではない。「ポスト真実の時代」とはポスト・ジャーナリズム論の時代であり、メディア論における新しいリテラシーが大事になってくる。

2.メディア研究の総力戦パラダイム

私が教えているメディア文化論という科目は、かつては広報学と言われていた。旧帝国大学の教育学部は全て、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の命令で、日本の教育を民主化するため1949年に設立された。その際GHQは、パブリックリレーションズの科目を入れることを求め、それが広報学という科目となった。広報学の定義は容易ではないが、宣伝学と広告学の間、即ち政治と経済の間、つまり社会における公共性を問題とする。伝統的な宣伝学や広告学と比して、広報学は総力戦体制の中で確立した学問であり、市民社会から大衆社会への変化の中で、その原理も真偽(メッセージが正しいか・間違っているか)から信疑(メディアを信頼できるか・否か)へと変化していった。

アメリカのマス・コミュニケーション研究は第二次世界大戦期に成立し、その学祖と呼ばれる人たちはいずれも米国防省や陸軍、海軍の軍事予算を使って、反ナチ宣伝と国民総動員の目的で研究を推進した。日本においては、戦前はナチ新聞学の第一人者であり、戦後はアメリカの科学的世論調査を日本へ導入した小山栄三が典型的である。小山は『東京大学新聞研究所紀要』第2号(1953)の中で、「輿論指導の手段に関して(中略)「嘘をつく技術」と云う風にとられてしまった(中略)宣伝のこの悪い意味を避けるため、プロパガンダと云うかわりにマス・コミュニケーションと云う言葉が使用されるようになった」と述べている。プロパガンダとマス・コミュニケーションは本来同じ意味だったということを、ここで強調したい。

総力戦体制期に成立した「マス・コミュニケーション研究」は、「『正しい情報』を最大の効果で伝えるための研究」であり、戦争プロパガンダ研究と不可分なのである。偽情報をdisinformationと言うが、ではinformationが「正しい情報」なのかというとそんなことはない。「正しい情報」を前提にするマス・コミュニケーション研究の問題点がそこにある。

3.「ウクライナ事変」と終戦日、「9月ジャーナリズム」の提唱

ウクライナで今起きている戦争について、開戦日は侵攻開始の2月24日で確定可能だが、果たして終戦日の確定は可能なのだろうか。「ウクライナ事変」の場合、降伏文書調印や停戦協定成立の可能性は極めて低く、プーチン政権が崩壊した日がそうなる可能性が唯一あるのかもしれない。その上で、日本の終戦、とりわけ「8月ジャーナリズム」を再考してみたい。

山川出版社の『詳説世界史B』には「8月15日に終わった第二次世界大戦」とある一方、同社『詳説日本史B』では「9月2日に終わった太平洋戦争」と記述されている。日本人の多くが8月15日を終戦日と思っているが、欧米では9月2日、中国やロシアでは9月3日が終戦日とされている。記憶は噓をつくというが、8月15日終戦の記憶とは、メディアによって創られた記憶という側面が大きい。1945年の北海道は冷夏で、8月15日も雨が降っていた。しかしテレビドラマなどで繰り返される炎天下での玉音放送シーンによって北海道でも「炎天下の玉音体験」が語られている。新聞が当時掲載した玉音放送の写真の多くも、涙を加筆したり、作為的なポーズをさせた捏造写真であることが明らかになっている。

なぜ日本で8月15日終戦の記憶が形成されたか。政治的考察では、9月2日の「降伏」を忘れたい保守派と815日の「革命」を信じたい進歩派の敵対的依存状況の産物である。メディア論的考察では、一部のエリートが関わった降伏「文書」のコミュニケーションより大衆的な玉音「ラジオ」のコミュニケーション、つまり文書の降伏よりラジオの終戦が重要となる。

今後、自国中心で20世紀回顧の情緒的な「8月ジャーナリズム」から、世界標準で21世紀展望の対話的な「9月ジャーナリズム」へ変えていく必要があるだろう。特に9月2日の降伏文書調印から9月8日の講和条約締結を中心とする、9月に学校の教室で論理的に学べる戦争報道のイベントを私たちは作っていくべきなのではないかと考える。

(文責、在事務局)