(1) ユアン・ミルチャ・パシュク元欧州議会副議長による講話

①背景・経緯

2021年の春、ロシアはウクライナとの国境に部隊を集結させ、危機を醸成した。同年6月に米国が首脳会談の開催を受け入れ、危機は一旦収束したかに見えたが、同年末にかけて再燃した。ロシアが、米国と北大西洋条約機構(NATO)に対し、次の2点について「法的保証」を要求したのである。その2点とは、第1にウクライナがNATOに加盟しないこと、第2に新加盟国に駐留する全てのNATO部隊を撤退させ、1997年以前の状態に戻すこと、であった。

その後、ロシアと西側諸国の対話が開始されたが、ロシアは既に開戦を決定していたようだ。ロシアの銀行は50億ドルを集め、開戦後に予想される経済制裁に備えていたのである。米国は、ロシアの偽旗作戦に関する情報を公開して開戦を防ごうとしたが、2022年2月にウクライナ戦争は勃発した。

②ロシアの動機・戦争目的

ロシアは西側諸国が凋落しつつあると見ており、開戦の動機として冷戦後の国際秩序を自国にとって有利なものに変えることを目論んだようだ。

軍事的には次の目的を追求している。第1に、ロシアとクリミアの間に陸上回廊を設けることである。マリウポリ制圧はその鍵となる。第2に、ドンバス地方からハリコフへ占領地域を拡大し、ウクライナとの西側国境に安全地帯を築くことである。第3に、ウクライナから黒海へのアクセスを奪うことである。第4は、キーウ(キエフ)の征服であったが、これは失敗した。そして第5には、ウクライナ西部へ圧力をかけ続けることだ。

他方、政治的には、ウクライナの現政権を転覆し、傀儡政権を樹立することを望んでいた。だが、ロシアはウクライナ全土を占領できるほどの部隊を擁しておらず、ロシアに対するウクライナ国民の敵意も強く、武力抵抗が長期化の様相を呈している。ウクライナ軍は機動力が高く、優れた防衛兵器システムも有しており、完全に破壊するのは難しい。各部隊は転々と居場所を変えながらロシア軍に大打撃を与えている。

③核問題

プーチン大統領は、ロシアの作戦を妨害する者には核で対抗すると威嚇し続けてきた。それは政治的な建前と考えられるが、この紛争で核兵器が使用される可能性を検討する上で考慮すべき要因が2つある。第1は核弾頭の小型化だ。現代の核弾頭の大きさは広島で使用されたもののわずか数分の一であり、その使用は十分に考えうる。第2は、ロシアが戦場で勝利できる見通しが立っておらず、プーチン大統領が起死回生の策として核兵器に訴えるかもしれない、という点だ。化学兵器や細菌兵器についても同様であり、直近のNATO外相会合では、化学兵器や細菌兵器による攻撃に備え、ウクライナへ防護具を提供することが決定された。

④黒海

ウクライナで起きていることは全て黒海の安全保障に直接影響する。ウクライナは既にアゾフ海へのアクセスを奪われ、黒海からも完全に隔離されつつある。ロシアは侵攻開始直後にサーパント島(別名ズミイヌイ島)を占領した。ドナウデルタから45km離れた同島は元来ウクライナの領土であり、ルーマニアも条約でそれを認めている。

ロシアによるサーパント島占領には3つの含意がある。第1に軍事的には、NATO領域に対する監視が強化される。第2に法的には、ルーマニア=ウクライナ間で領海分割を定めたハーグ決定をロシアが尊重するかという問題だ。最後に経済的には、黒海のガス・石油開発に対しロシアが介入してくる恐れがある。

さらに、トルコがボスポラス海峡に並行する新運河の建設を計画していることも黒海の安全保障に影響を与えるだろう。同運河が完成すれば人工的な水路となるため、ボスポラス海峡における船舶の通行を規制するモントリオール条約(1936年)の対象外である。したがって、トルコ政府の許可がなければ新運河を通ることはできない。そのような状況下では、黒海のもう一つの出入り口であるドナウ川の戦略的価値が高められることになる。

⑤終結に向けて

ウクライナの激しい抵抗、およびロシア側の誤算と粗末な軍事作戦の結果、ロシアは第一目標であったキーウ(キエフ)攻略に失敗した。現在の作戦はドンバス地方とクリミアへの陸上回廊の確保に集中している。ロシアのラブロフ外相は、交渉により目的を達成できると述べたが、ウクライナへの軍事圧力を維持し、占領地域にも居座り続けるだろう。戦後、ウクライナの領土がどのようになるのかは戦況次第だと考えられる。

⑥ロシアにとっての結果

ロシアは世界の商業・経済サークルから切り離され、経済的にも政治的にもますます周縁化している。国際秩序を自身にとって有利なかたちへ改変しようと考えたが、まさにその秩序の中で疎外され続けるという状況に直面している。

中国は対ロシア経済制裁を支持していないが、尊重はしているようだ。ロシアは、世界経済の成長エンジンである中国寄りの姿勢を強めるかもしれない。欧州がロシアへの経済制裁を続ければ、ロシアはますます東方への動きを強めるだろう。日本を含むアジアは、今後そのようなロシアに直面することとなる。

⑦西側諸国(日本を含む)にとっての結果

ロシア産のガスと石油に依存してきた欧州諸国が抱いてきた「幻想」は終わりを迎えている。ドイツは、商業を通じて悪い国を良い国に変えうると考えてきたが、ロシアや中国はこの幻想に興味がなかった。今後、西側諸国はロシアのエネルギーへの依存を大幅に減らすだろう。

ウクライナ戦争は米国のリーダーシップの下、西側の結束を強める効果があった。このことは環大西洋の関係を強化し、NATOとEUの間の協力も増加させる。米国は北大西洋条約第5条を履行する用意があることをはっきりと示している。ロシアが大国間競争において周縁化した今、西側諸国にとっては中国からの挑戦に集中できる条件が整ったといえよう。

(2) 杉田弘毅共同通信特別編集委員による討論

①米国を評価できる点

ウクライナ戦争の開戦前からロシアの行動に関する情報を開示し、ロシアの当初の作戦計画の遂行を難しくさせたこと、日米欧が広範囲の経済制裁を迅速に実施したこと、開戦後の兵器およびインテリジェンスの供与等によりキーウ(キエフ)陥落を阻止したことなどは評価できる。

②米国を評価できない点

他方、ロシアによるウクライナ侵攻自体を阻止できなかった点は評価できない。米国は、抑止力として制裁には言及していたが、米軍の派遣は繰り返し否定した。米軍派遣を完全否定するのではなくもう少し曖昧なメッセージにより抑止力を強められたのではないか。また、兵器供与はもっと早くから開始できたのではないか。

外交に関しては、国連人権理事会の投票行動でも明らかなとおり、対ロシア包囲網に中国を加えるのは難しい。だが、インド、本来親米のサウジアラビアをはじめとする中東諸国や東南アジア諸国を巻き込めていない。また、天然ガス関連の制裁が遅れているのに加え、中国企業に対する制裁へのためらいか、二次制裁にも踏み切れていない。

③短期的課題

直近の大きな課題はロシア軍の東部攻勢の阻止であり、ウクライナに対する兵器供与が間に合うかどうかだ。また、ロシアの天然ガスなどエネルギーに対する国際制裁をどれだけ迅速に発動できるか、またそのために日欧に対する代替エネルギー供給の枠組みが作れるどうかも問われる。

さらに、米国の大きな目的は、ロシアが核兵器の使用に至るエスカレーションを防ぐことだ。裏返せば、そこまでプーチン大統領を追い詰めないということである。だが、それはロシア軍をクリミア半島も含めてウクライナ領から駆逐するというウクライナの完全勝利を求めないことを意味し、米国の政策はウクライナを応援するが、完全勝利はさせないという相矛盾する2つの目的を組み合わせたものになっている。ロシアに核や化学兵器を使わせないためには、ウクライナへの兵器供与も抑制されたものにならざるをえない。

④中期的課題

ウクライナ戦争において米国にとっての勝利とは何なのか。自由とウクライナの主権を守るというが、ウクライナの完全な領土回復こそが勝利ではないかという議会の指摘に対して明確な答えを示せていない。また、戦後、ウクライナの安全を誰がどのようなかたちで保障するのか、ウクライナの領土の範囲をどこにするのか、といった問題もある。さらに、米国はエスカレーションを避けながらロシアの無力化を図るが、それは長期戦を戦うこととなり、その間、ウクライナに犠牲を強いてしまう。

⑤長期的課題

日本や世界のビジネス界は、ミャンマー、イラン、シリア、ベネズエラに続きロシアからも撤退せざるを得ない。中国の人権問題も踏まえれば、中国に対してもそうした傾向にある。ビジネスチャンスが地球の半分になってしまう。現在のまま世界を分断していけば、経済面で大きな影響が出てくる。中国やインドをどのように取り込んでいくかは、ウクライナ問題にとどまらず、米国の世界戦略全体にとって非常に大きな課題だ。さらには、ロシアの不満をどのように解消していくか。ロシアを弱体化し全面的に否定するのか、宥めながら対応するのかという点も、この戦争を超えた課題となるだろう。

最後に、米国の軍事介入と非介入の線引きはどこにあるのかという問題がある。今回、ウクライナへの米軍の介入は否定しながらも、非常に多くの兵器やインテリジェンスを供与した。2014年からはウクライナ軍にする兵器訓練も進めてきた。仮にロシアが化学兵器を使用すれば、米国は空爆を行う可能性がある。このような対応と地上兵力を送ることとの違いは一体何なのか。この点は日本を含む東アジアも強く注視する点であろう。

(3) 質疑応答

①西側諸国の結束について

ロシアのウクライナ侵略に対処するため西側諸国の結束が重要とのことだが、時間が経つにつれて、結束を維持するためのコストも上昇しつつある。この西側諸国の結束について今後の見通しは(ドランガ大使)。

  • ⇒欧米関係においては、新しいトレンドがみられる。例えば、ドイツが従来強く渋っていたロシアからのガス・石油の禁輸と軍事費の増額を実行に移したのは、西側諸国間関係における非常に大きな変化である。また、米国のリーダーシップが再確認されたてきた。この結束は今後も維持されるだろう(パシュク元副議長)。

②NATOの東部側面について

NATOの東部側面はウクライナ戦争前から地政学的に大きな圧力を受けている。この地域を強化するため、どのような手段があるか(ドランガ大使)。

  • ⇒現在は東欧諸国にローテーションで配備されているNATOのプレゼンスの恒久化を検討すべきだ。冷戦期に東ドイツと対峙した西ドイツほどのレベルではないにせよ、東欧地域におけるNATOの軍事プレゼンスは高まってきている。レリジエンスの強化も不可避であり、NATOのみならずEUと共同での取り組みが必要だ(パシュク元副議長)。

③「新冷戦」について

世界は「新たな冷戦」に向かいつつあるとされるが、ロシアと中国を合わせた挑戦に対処するため、大規模な戦略的封じ込めは考えられるか(ドランガ大使)。

  • ⇒中国の封じ込めは旧ソ連の封じ込めとは別次元だ。当時のソ連は世界経済のわずか一部を占めるに過ぎなかったが、現代における中国の存在は非常に大きく、封じ込めは難しい(パシュク元副議長)。

④開戦原因について

なぜロシアのウクライナ侵略は止められなかったのか。米国、NATOともにウクライナへは軍を派遣しないと言明していたことがロシアの誤認を生んだのではないか(視聴者)。

  • ⇒ロシアは開戦に固執していたのであり、西側との間に真の意味での対話はなかった。ただ、ロシアの侵攻前、NATOでウクライナの加盟について議論がなかったことはロシアに開戦の動機を与えたかもしれない(パシュク元副議長)。

⑤停戦について

停戦合意の可能性はあるのか。ドンバス、クリミア地方について、ロシアが実効支配しながら最終的な帰属は後に住民投票で決定する、といった暫定合意をウクライナ政府は受け入れるのか(視聴者)。

  • ⇒今回のケースでは、停戦交渉に戦闘の継続が伴っており、双方が戦況の進展に応じて有利な状況を作り出そうとしている。確かに、戦闘の継続は対話を阻害するが、主な障害は、ロシアがこの戦争で主な目的を達成していないという点だ。この状況では停戦協定の締結は期待できない。また、ロシアにとっての勝利とは何を意味するのか。その答え次第で、戦争終結の可能性が見えてくるかもしれない。
  • ⇒ウクライナ側は交渉を拒んでいないが、ロシアのクリミア占領を受け入れることはできない(パシュク元副議長)。

⑥ロシアの真の目的について

プーチン大統領の長期的な真の狙いは、スラブ連合のようなかたちでウクライナを完全にロシアの勢力圏に入れ、NATOの東側領域を緩衝国家地帯とする準備にかかることが目的ではないか(六鹿先生)。

  • ⇒確かに、プーチン大統領はソ連の再構築を望んでいるかもしれない。だが、何十年もソ連の脅威にさらされてきた西側諸国にはソ連の再現は受け入れられず、プーチン大統領の行動を阻止するだろう。
  • ⇒これまでNATO拡大では政治的な側面が目立っていたが、ロシアによるジョージア侵攻やクリミア紛争を受け、新加盟国にとっても軍事的側面が重要になってきた。したがって、緩衝地帯とはいっても、武装化された緩衝地帯になるだろう(パシュク元副議長)。

⑦トルコの戦略について

トルコはウクライナ戦争をどのように分析し、対NATO、対黒海政策をどのように変化させていくのか。トルコは従来、黒海のバランス・オブ・パワーを守りたいと考えてきた。そして、それらを梃子にNATO、EUや米国に対するトルコの交渉力を強化しようとしてきた。トルコは今回、ウクライナ=ロシアの調停役を買って出たが、今後のトルコの戦略はどのようなものになるか(六鹿先生)。

  • ⇒トルコが自らを黒海のバランサーとして位置づけたいことは確かだ。新運河の建設により、トルコの重要性は増すだろう。
  • ⇒トルコとロシアの関係は、ある程度競争的でもある。例えばトルコは今回の戦争で、ロシアの警告にも関わらずウクライナへ武器を供給した。他方、両国は協力関係を保っている。制裁下のロシアとの関係を維持することから何が得られるか。この問題はトルコのみならず、中国でも問われるだろう(パシュク元副議長)。

⑧日本とNATOの協力について

現在の地政学的状況においてNATOと日本はどのように協力すべきか(ドランガ大使)。

  • ⇒ウクライナ戦争により、日本とNATOの協力に関する議論が一気に具体化した。だが、中国はNATO拡大に対して極めて否定的であり、AUKUSやQuadもアジア版NATOであるとして強く反発してきた。日本がNATOとの協力を進めることにも反対するだろう。他方、日本はNATOに対し台湾有事での協力を期待しており、双務的な関係を構築するためには日本も欧州の戦争に対し協力が求められる。だが、現状のとおり、日本が取りうる手段は経済制裁程度に限られ、戦争の現実を目の前に日本は立ちすくんでいるような状況ではないか(杉田編集委員)。
  • ⇒日本ではNATOを一枚岩と捉えられがちだが、米欧間の安全保障観にはズレがある。日米安保の強化と対NATO協力は分けて議論すべきである。欧州の戦略的自立は、経済における対中依存および軍事・安全保障上の対米依存からの自立を目的としている。インド太平洋における日英仏間の軍事交流の進展は歓迎できるが、それがすなわち英仏独といった欧州の主要国が日米主導の対中包囲網に正面から協力することにつながるわけでもない。欧州は経済・安全保障上のステークホルダーとしてアジアへの関与を強化しており、日本も同様の立場からNATOや欧州に関わるべきである(渡邊上席研究員)。

(以上、文責在事務局)