露の暴挙にルール基盤の秩序守れ
2022年3月3日
神谷 万丈
JFIR副理事長・上席研究員/防衛大学校教授
侵略戦争を目の当たりにし
今われわれが目の当たりにしているのは、ロシアによる言い訳の余地のない侵略戦争に他ならない。大国による小国に対するこのような行為が国際社会に黙認されるようなことがあれば、過去数十年にわたり世界の平和の土台となってきたルールを基盤とする国際秩序は根底から傷つけられる。
そうなれば、世界は他国の力に対抗して身を守るためには力しかないという、19世紀型の権力闘争の場に戻ってしまいかねない。われわれは、それがいかに好ましくないことであるのかを認識し、ルールを基盤とする国際秩序を守るためにロシアの暴挙に立ち向かうべきだ。
ルールを基盤とする国際秩序とは何か。国際社会は中央政府を欠いた状況にある。この状況の下では力の強い者がその気になれば、特に弱い者に対しては、実はかなりの程度まで勝手なことができてしまう。国内社会ではいかに力の強い個人や集団でも、法やルールに違反した行為を行なえばただではすまない。政府やその機関である警察、軍隊、裁判所などが、法に基づいてそうした者を取り締まり、あるいは罰してくれるからだ。
だが、国際社会にはそうした存在がない。そのため、国際法には強制力が乏しく、力の強い者のルール違反がまかり通ってしまいやすいのだ。
戦後の世界では、この状況は、米国が主導し、日本を含む自由主義的民主主義諸国を中心とするその他の国々とともに形成・維持してきた国際秩序の下で、かなりの程度まで緩和されてきた。それが、ルールを基盤とする国際秩序と呼ばれるものだ。
この秩序の下では、世界最強の米国を含め、大国も小国も、国際的なルールを尊重し、力任せの行動を控えることを原則としてきた。もちろん、大国の横暴が全くなかったわけではない。だが、たとえば米国は、その力が世界の他の国を圧していた時期にも、比較的国際法や国際ルールにのっとった行動をとろうとした。その結果、この秩序の下で、われわれは、国際社会が権力闘争の場であり、究極的には軍事力がものをいう場であるということを、普段はあまり意識せずに過ごせてきた。
力による横暴を許すな
だが、今回のロシアの行動は、力の強い国であれば国際的なルールなど無視して何をしても構わないという発想に基づく。このような行動が許されてしまえば、力による横暴に対抗できるのは力しかないということになり、世界は軍事力による対立の時代に戻ってしまう。各国は軍備を増強せざるを得なくなるだろう。そうなった時には、日本だけが例外というわけにはいくまい。
ロシアのプーチン大統領は、ウクライナ侵攻の開始後に、ロシアは世界で最も強力な核保有国だと繰り返し発言し、2月27日には核抑止部隊に特別警戒態勢をとるよう命じた。ウクライナでの戦争を終らせるために戦術核兵器を使うことさえ考慮しているのではないかと懸念されている。
もしそのようなことになれば、広島、長崎以降の77年間維持されてきた核兵器の不使用は終りを告げてしまう。核が使われる可能性があることがわかってしまった世界では、核の保有を目指す国も増えるかもしれない。そうなってしまった時には、日本だけが例外でいられるかどうかも心もとなくなりかねない。
中国もロシアと同じ発想
そのような世界をみたくないのであれば、今、日本を含めた国際社会は、ロシアの暴挙からルールを基盤とした国際秩序を断固として守るという覚悟をもって行動しなければならない。国際決済ネットワークの国際銀行間通信協会(SWIFT)からロシアを排除するのは、その意味で正しい決定であり、日本がただちにこの制裁に加わることを表明したのも当然だった。それが国際経済に負の影響を与えるとして懸念する声もあるが、今はそのようなことを言っている場合ではない。
懸念されるのは、世界第2の大国である中国のこの侵攻を批判していないことだ。米中対立の下でロシアとの連携を重視する中国は、今回の事態をみてもロシア寄りの姿勢を崩していない。習近平国家主席は、国際的な経済制裁に対してロシアを支援するよう指示したと報じられている。中国の薛剣在大阪総領事は侵攻開始直後の24日、ツイッターに「ウクライナ問題から銘記すべき一大教訓」と題して投稿し、「弱い人は絶対に強い人に喧嘩を売る様な愚かをしては行けないこと!」(原文ママ)と主張した。力の強い国には「絶対に」逆らうなというのは、ルールを基盤とする国際秩序の精神に真っ向から反する発想だ。
国際政治が国際的なルールが意味を持たない力任せの闘争の場に戻ってしまう危険性は、日本にとってもひとごとではないのだ。そのような世界の出現がいやなのであれば、われわれは、今が正念場なのだという覚悟を持たなければならない。
[3月3日付産経新聞「正論」欄より転載]