「アフガニスタン撤退と米印関係」

今回は、インドを中心とした「2つの三角形」を基礎に議論を展開してみたい。第一は海を介した日米印の三角形であり、第二は陸を介した印中露の三角形である。この構図をもとに、インドを中心としたユーラシアのパワーバランスについて考察する。重要な背景として、昨年の米のアフガニスタン撤退により、周辺地域におけるインドの立ち位置と役割が重要化したという状況がある。歴史的には、インドは北東を山脈に、南を海に囲まれた地理的特徴から、ユーラシア大陸東西の中央部に位置しながらも外部世界とのつながりは北西方面に限られていた。これにより一定の独立性と閉鎖性が保たれてきたが、一時は大英帝国による支配を受け、さらにそこからの独立を経験した。冷戦期にはアフガニスタンなどからの国境を超えた過激思想やテロの拡散という問題が地域に浮上し、この時期、それまで現地アクターとしての存在感は無かった米が南アジアに進出した。半ば必然的に地域でのインドの戦略的重要性は増し、「対テロ戦争」の20年における米印二国間関係の深化にも繋がった。しかし最近の米によるアフガニスタン撤退により力の空白が生まれており、それを埋めようとする中国の動きも見られない状況となっている。

インド北部の山脈地帯は中華文明とインド文明を隔てる壁となってきたが、北西のパンジャブ地方やラジャスタン地方の陸路から西側の地域へは通じていた。ムガル帝国の版図はこの状況を如実に反映しており、インドと中央アジアおよび中東世界との関係性を通じて発展した。またアラビア海を通じた交易により、海洋国家としても発展した。ロバート・カプランによれば、インドのこうした外界とのつながりは、越境テロの蔓延といったネガティブな側面にもつながったが、ポジティブな面では、南アジアと中東全域を繋ぐ新しい統一状態を作るきっかけにもなり得るという。またインドは化石燃料資源に乏しく、中央アジア諸国との関係深化も目指しており、TAPI(トルクメニスタン・アフガニスタン・パキスタン・インド)天然ガスパイプライン構想を推進してきた。また近年ではインドの重要な祝日である共和国記念日に中央アジア諸国やASEANの代表も招かれ、また米のアフガニスタン撤退後には中央アジア諸国との間で外相会合が開かれるなど、地域間の協力関係が深化しつつある。ロシアとの関係でも202112月にプーチン大統領がニューデリーを訪問して首脳会議が開かれるなど、軍事・エネルギー面での関係が強化されてきた。イランについても、20219月に上海協力機構(SCO)へのイランの正式加盟が実現すると、インドもこれを歓迎し、アフガニスタン情勢やエネルギー政策面での協力関係強化を模索している。

米印関係については、特に9.11以降の対テロ戦争の20年において、米にとってはこの地域での自国の拠点が無いことからも、インドとの関係性は重要であった。G.W.ブッシュ大統領はインドの核実験に対する制裁を解除する代わりに、アフガニスタンでの軍事作戦への協力を引き出した。その後米印原子力協定が結ばれ、インドが核保有国としての地位を確立することにもつながった。オバマ政権でも、国内暴動の黙認などを背景にモディ首相の米入国は拒否されていたが、情勢変化により訪米が実現し、この時期には地域における米の協力国として、パキスタンからインドへの関心のシフトが見られた。トランプ政権においても、当初は対インドの貿易赤字を背景に批判的な態度が見られたが、その後対中露政策としてのインドへの武器売却や、対イラン政策としてのエネルギー商談などが実現し、モディ政権の再選にもつながった。

インドはアフガニスタンに対しても投資やインフラ開発支援等を積極的に実施し、国造りに協力してきた。ところが事態が一変し、タリバンがカブールを制圧したことで、米に続きインドもアフガニスタンから撤退することとなった。インド国内でも当時は悲観的報道が多くみられた。モディ首相自身もタリバン政権に批判的で、パキスタンのカーン首相が警戒感を示しつつもタリバンへの期待感を表明したこととは対照的であった。これまでにインドで発生したイスラーム過激派による複数のテロ事件のトラウマも、こうした反応の背景となっている。こうした文脈におけるインドでのヒンドゥー・ナショナリズムの高まりに対し、イスラーム教徒の反発も強まったが、むしろ体制側はムスリム側を締め付ける措置を立て続けに複数講じた。こうしてインドは、外ではアフガニスタン、中ではイスラーム教徒に対し、非常に敏感になっており、これらを世俗国家としてのインドの理想を揺るがす脅威とみなすようになった。またインドとしては、アフガニスタンとの関係を改善することで、関係が悪く核保有国でもあるパキスタンを挟み込む状況を作りたかったが、現実にはパキスタンはタリバンに強い影響力を行使しており、さらに中国がそのパキスタンに強い影響力を行使しているという入り組んだ関係性がある。こうした国家間のパワーバランスの中で、イスラーム過激派などの非国家主体によるボーダーレスなネットワークが拡大しつつある懸念が急浮上しているのである。

このような複雑かつ緊張を強めるユーラシア世界において、インドは大国としての存在感を増している。1960年代までは非同盟を貫いたが、印ソ同盟を皮切りに国家間ゲームに参加し、冷戦後には対米シフトに転じて地域大国とみなされるようになり、さらに2000年代にはBRICsの一翼としてグローバル・プレーヤーとしての地位を確立し、ついに超大国の地位に達しようとしている。そのインドでは近年、2012年発表の報告書『非同盟2.021世紀におけるインドの外交戦略政策』に基づくなら、明らかに大国志向路線が強まっている。加えて2014年の与党インド人民党の綱領でも「卓越したインド」概念が打ち出されたり、さらに2018年の独立記念日式典においてモディ首相が「眠っていた像が起き上がって走り出したことに世界が驚いている」と発言するまでに至った。

2つの三角形」を振り返ると、日米印の三角形は民主主義や法の支配といった価値を共有するものとなっている。日印は東南アジアを通じて地理的な結びつきを有し、日米間では同盟関係が結ばれている。米印間は地理的には遠隔であるが、対アフガニスタン観や対中観、また原子力協定など、外交・軍事面での結びつきは強い。一方、印中露の三角形は、強い指導者による長期政権や、「歴史と土地の支配」という特色を共有している。印露は中央アジアを通じた地理的な結びつきを有し、軍事・エネルギー面での協力がある。中露間にはBRICsSCOを通じた繋がりがある。印中間はヒマラヤという壁に隔てられているが、経済関係の結びつきは強く、二大大国として利益を共有する面もある。こうしてみると2つの三角形には一定の対称性があるといえる。なおこれらの関係性におけるもうひとつの局としてヨーロッパも重要で、民主主義と法の支配という価値を共有しつつも、歴史と土地の支配という特徴も有し、三角形の双方の要素を併せ持っている。そのような三角形の中心に位置するインドは、南アジア地域協力連合(SAARC)やアジア太平洋経済協力(APEC)、上海協力機構(SCO)に参加し、さらに(一帯一路は支持しないが)アジア・インフラ投資銀行(AIIB)への加盟や、BRICsの一員であることも踏まえると、自国の独自外交を展開できる場づくりに成功したといえるだろう。また従来の国際秩序の中で、すでにある対立構造を踏まえると、世界潮流のキャスティングボードを握り得る立場を有しているともいえるだろう。例えば最近のウクライナ情勢に対し、多くの国は取り得る立場が既に決まっているが、インドはどう動くかが予見しづらい。つまり「2つの三角形」の境界線を行き来する地位を有しており、従って交渉の余地を持つ、独自の立場であるとみなせる。

こうしたことを踏まえると、日本の対インド外交について考えるうえでは、Quadなどの動きが特に注目されるが、印中露の関係性にも注目する必要がある。日本は日米同盟と自由主義経済を推進し、一方のインドは非同盟外交と閉鎖的経済体制をとることから、両国の接点はこれまで小さかったが、これを変えていく必要があるだろう。特に日本側としては、日印二国間関係だけでなく、ユーラシア全体を見据えた中長期的なインド戦略を考える必要がある。その際には、パキスタン・アフガニスタン・中国といった近隣諸国の動きに加え、インドが一国でありながら地域ブロックレベルの影響力を持つことも踏まえると、南アジア・中央アジア・東南アジア・欧州といった各地域ブロックの動きも見据える必要がある。さらに当然、米露といった大国プレーヤーの力学にも注目しなければならない。その中で、アフガニスタンの民主化と安定という喫緊の課題の観点では、エネルギー政策やテロ拡散防止、情報通信分野、地球環境分野などにおいてインドと手を結ぶようなユーラシア外交の展開が期待されるといえるだろう。

(文責、在事務局)