「『経済安全保障』とは何か」

現在、安全保障は経済・技術分野に拡大しつつある。20204月、国家安全保障局(NSS)に経済分野を専門とする「経済班」が発足したが、この際の要求書の記述をもとにすると、そうした状況の背景として、主に以下4つの状況を位置づけることができる。第一には、AI、量子、ブロックチェーンといった、軍事を含む国家・国民活動全体に変化をもたらす革新的技術の誕生という状況がある。第二には、産業構造が従来から大きく変化し、軍事技術⇒民生転用ではなく民生技術⇒軍事転用の流れの重要性が圧倒的に高まったという点がある。第三には、宇宙・サイバー・電磁波という新たな戦域が生まれ、科学技術への依存度が高まり、その優劣が戦闘の勝敗を決する状況がある。第四には、特にコロナ禍を契機とし、医事薬事物資などの国民生活にとり不可欠な物資のサプライチェーン確保や、エネルギー・電気通信・公共交通機関といった重要インフラの継続維持の重要性が強く意識化されたという状況がある。

「経済安全保障」の定義は、今後制定される経済安全保障推進法においてなされるものと思われるが、定義より重要なのは、これにまつわる政策がいかなる局面・観点において展開されるのかを理解することである。ひとつの見方としては、経済安全保障は、経済を安全保障政策における「力の資源」として利用する、能動的かつ攻撃的な政策を指すと見ることが出来る。なおエコノミック・ステイトクラフトはこれに該当する。別の見方では、より受動的・防衛的な措置として、国家・国民経済体系の存続・維持・発展への脅威に対応するものとしてとられる、規制をはじめとする各種政策を指すと見ることもできる。これは最も伝統的な形の経済安全保障とみることもできるだろう。そして第三に、相互依存の深まった自由で開かれた国際経済システムの維持という側面も重要である。こうした三側面からの理解が重要であり、我が国の政策も基本的にこうした枠組みにおいて展開されている。

経済安全保障が重要視される背景には、21世紀がデータの時代になったという状況がある。現在、サプライチェーンにおける覇権争いが表面化しているが、そうした多くの技術は、データを中心とする技術の総体とも言い換えられ、これをめぐって米中覇権争いも発生している。20世紀は石油と鉄鋼の時代であり、油田・パイプライン・石油精製所と、それらを支える鉄鋼が技術覇権において重要な位置を占めた。一方21世紀には、データを巡る技術の総体、すなわちデータセンター、海底ケーブル、5G技術、またデータ解析のための量子技術やAI技術、さらにこれらを支える半導体製造能力及び製造技術が重要になった。米中(あるいは西側と中国)の覇権争いは主にこれらの分野において繰り広げられているのである。

中国はこうした状況に対し、いかに対応してきたか。孫子の思想に、軍事力で相手を屈服させるのは優れた方法ではないといわれる。最も優れているのは敵国の謀略が謀略であるうちに潰すことで、次いで外交政策を、最終的に軍事的手段ということになる。このような思想は中国に根深く存在し、その発展形として「三戦」、すなわち世論戦・心理戦・法律戦という考え方がある。これは人民解放軍も取り入れているものである。具体例として、2013年の安倍首相靖国参拝に対し、中国外交部が国際的な批判を展開したり(世論戦)、2010年の中国漁船の領海侵犯事件に際しては、漁業監視船の領海侵犯や反日デモ、レアアース輸出停止といった措置がとられた(世論・心理戦)。さらに進歩した手法として、湾岸戦争にて米が圧倒的な軍事的優位性を世界に示した時期に、「超限戦」の考え方が提示された。ここでも孫子の戦略が基底にあるが、心理的側面を利用する三戦とは異なり、国家が持つ全ての手段を動員した戦略を描き、また組み合わせ戦法が重視される。金融やインターネット、マスメディアなど多様な社会インフラに対する働きかけも想定されており、日本でもこうした戦略への対応が検討されている。台湾有事をとってみても、軍事的エスカレーションのみならず、中国側にはこうしたハイブリッドな戦略イメージがあることを意識しておくことが重要だろう。

また米中は、技術覇権争いの先に、同じ目標を見ているわけではない。日本では議会制民主主義とセットで、基本的人権と自由、立憲的価値が国家から保護されるべきと考えられている。一方中国では共産党一党支配に代表される特色ある社会主義が敷かれ、平和的な形での政権交代は見込めず、人権や自由といった価値も、国家権力との関係において相対的であり、つまり絶対的に尊重されるわけではない。そして社会に対する監視・統制が深く隅々まで浸透している。西側同盟は自由で開かれた法の支配に基づく世界秩序を目指すが、一方中国には新型国際関係、すなわち中華思想に基づく中国復興、国際秩序の転換といった目標があるといえる。一帯一路構想はその例であり、債務の罠等を通じて国家間の非対等な関係性が形成されつつある。技術や知的財産に関しても中国の考え方は異なり、強制的技術移転や窃取が行われている。そうした手法を用いれば市場において優位に立てるのは当然である。習近平主席の見据える未来の形は、やはり西側の見るそれとは異なっている。

米国はいかにしてこうした状況に至ったか。現在の米中の状況は「二度目のブーメラン」と表現できるだろう。一度目のブーメランはアル=カーイダ、つまり9.11であった。後に米に対して牙をむくテロリストは、かつてソ連のアフガン侵攻を食い止めるために米が支援したムジャーヒディーンらの一員であった。そのアフガンで最終的に勝利したターリバーンは、ビン・ラーディンを匿い続け、この経緯は9.11にも繋がった。中国についても同様のことがいえるだろう。かつて米は中国をソ連に対するカウンターバランスと捉えていたといえ、実際に中越戦争においてカーター政権は中国に対する情報支援を行ったり、レーガン政権期には軍の近代化や原子力開発に関する協力が行われていた(マイケル・ピルズベリー『China 2049』より)。結果的に、米の親中派が持っていた中国に対する淡い期待は、全くの幻想であったと議論されている。鄧小平による改革開放や市場経済の導入を通じた下部構造の変革が、上部構造(政治)も変革するだろうという期待が最大の誤りであった。むしろ鄧小平は天安門事件に際しても最も強硬に鎮圧に乗り出しており、市場経済と共産党一党支配は両立し得るとの確信があったのだろう。また8090年代という共産主義にとっての没落の時代において、共産党が支配を維持し生き残るために取り得る唯一の措置として、改革開放がなされたのだと思われる。この路線に騙されたのが米の進歩派であった。しかしながら、習近平による露骨なアピールを受け、トランプ政権期には米の対中政策は大きく舵を切った。政府高官による相次ぐ中国批判演説はこれを象徴している。それらの要点は、①中国共産党のマルクス・レーニン主義イデオロギーおよび一党独裁体制に対する批判、②米の情報、知財権及び経済に対する中国の経済諜報活動に対する批判、③短期的利益優先の対中融和の企業行動が長期的には自由主義秩序を脅かすとの批判、④盲目的対中関与政策からの決別、⑤中国に対する相互主義・透明性・説明責任の要求といったものがある。米による対中認識は深まりつつあるといえるだろう。

バイデン政権においても、トランプ政権期における対中認識は引き継がれているが、具体的手法は変化している。主要な米の外交安保閣僚候補による発言を見ても、中国が最も重視されていることがわかる。また20213月の暫定国家安産保障戦略指針でも、中国は「開かれた国際システムに対して持続的な挑戦を行うことができる唯一の競争相手」であると言及されている。そうした中国に対し、トランプ政権期にはアメリカ・ファーストを押し出した直接的で強硬的な政策が前面に出ていたが、バイデン政権においては米のグローバルなリーダーシップを再確認しつつ、同盟国やパートナーとのネットワーク強化といった点が重視され、そうしたものによる対抗勢力への対応が目指されている。また香港・ウイグル・チベット等については、民主主義・人権・人間の尊厳を護持する考えを発信している。経済安全保障分野、特にサプライチェーンに関しては、重要四分野(半導体・大容量電池・重要鉱物・医薬品等)に関する短期的・中長期的政策を打ち出した。

日本の経済安全保障政策については、岸田政権において決定的に進展するだろう。所信表明演説においても、また施政方針演説においても、経済安全保障推進法の成立を目指すという積極的意欲が読み取れる。さらに担当大臣や関係閣僚会議、有識者会議の設置もなされている。そうした経済安全保障は推進法の成立とともに開始するのではない。各省庁にまたがる問題であり、運用面では改善したり実施できる施策が多く存在する(例えば外国資金受入状況開示や留学生等の受入審査、技術情報管理、投資審査におけるモニタリング強化など)。コア・パートナーシップと呼ばれる日米間合意文書や、Quadにおける共同文書においても関係強化や具体的施策についての議論が進んでいる。ここにはバイデン政権が打ち出す、国際協調の中で経済安全保障政策を進めていくという方針が反映されているといえるだろう。その中でまず取り組むべき課題としては、①重要物資のサプライチェーンをいかに確保するかという問題がある。また②官民技術協力においては単なる資金援助ではなく安保上のニーズをより効果的に開示・共有するといった点も重要である。③基幹インフラの維持や、④安保上の観点からなされる特許非公開措置といった点も挙げられる。まとめれば、今回の経済安全保障推進法では、これまでの施策に加えて法整備が必要とされていた部分に切り込むことになり、また法律が無ければできなかった措置も追加されることになるだろう。推進法のイメージとしては、まず以上の四分野に関する様々な法整備がなされ、施行についてはまず経済安全保障室が内閣官房に置かれ、さらに各省庁にわたる部分での成立を期するという措置が取られるだろう。

(文責、在事務局)