「日本語が阻害する国際化:新たな時代の外交とは」

近年のグローバル化をめぐって、2つの大きな問題がある。ひとつは反グローバリズムの動きが、世界中の民主国家に拡大し、選挙にも影響を与えているという点である。もうひとつは、反グローバリズムの背景でもある、国際的な頭脳争奪戦である。こうした問題と、日本および日本語との関連について検討する。

日本の課題としては、多様な面において長らく生産性が上がっていないという点がある。少なくとも経済的な成長は停滞しており、様々な社会的歪みを産んでいる。国の借金も増加しているが、その最大の理由は一人一人の収入が増えず、従って税収が増えないこと、また企業の生産性が上がらないことで法人税収が上がらないことである。

反グローバリズムの主要な事例として、まず米が挙げられる。共和党支持層に着目すると、トランプ以前と以降の共和党は明らかに異なる。トランプ自身はかつて民主党支持者であったといわれ、またトランプ以前の共和党は自由貿易等の改革的政策をむしろ支持してきた。しかしトランプは反グローバル化の流れの中で、こうしたことによって不利益を被っている(と思われる)人々という、新たな共和党支持層を開拓した。サンダースを候補とした民主党も、別の理由でTPP等に否定的で、反グローバリズムの流れがこちらにも影響している。TPPについては、トヨタ工場を持つテキサスの一部地域から選出された下院議員などは肯定的だが、民主党の組合の支持を受ける地域の議員は反対するといった状況がある。またラストベルトなど本来は民主党の支持基盤だった地域においてもトランプが勝利する状況が見られた。すなわち民主党支持層にも、グローバル化によって自分たちが豊かになれないでいるという認識が広まっている。個人的には別の理由があると考えるが、現実にはそうしたロジックが大きな政治的パワーを持ちえた。またBREXITは、経済全体の観点では必ずしも英にとって最善の判断ではなかった。BREXITの賛否に関する投票行動を見ると、若い世代は就職の機会が増えるという観点から離脱反対が多かった。また例えば日産の工場を有する地域では、関税抜きでEUに自動車を輸出できるのは大きなメリットとなるはずが、離脱賛成票が多かったとのデータもある。移民に仕事が奪われるといった理由もあるだろうが、実は、ロンドンの金融センターにて、EU統合が深まることにより莫大な利益を上げる金融関係者に対する不満・嫉妬のような感情が影響したとも言われている。米でも、例えばシリコンバレーで移民系の人々が米のシステムを利用して成功していることに対する不満があった。無論、移民の成功によって現地人がより貧しくなるわけでは必ずしもなく、むしろ全体としてのパイは大きくなるはずだが、感情的側面の影響が強い力を持ってしまう。その結果、合理的とは言い難い選択が実際になされる。仏などでも極右政党が躍進するといった状況がみられた。

日本ではおよそ1980年代~90年代初頭まで、製造業が社会経済を牽引していた。製造業により付加価値を生み出すという20世紀型のモデルは変化しつつある。これが反グローバリズムの台頭とも関わっている。過去型モデルの代わりに登場したのが、少人数で新しいプラットフォームや付加価値を生み出すシリコンバレーモデル、あるいはバイオ分野の躍進である。日本が典型例である製造業型の社会とは、終身雇用と密接に結びついており、新しい付加価値を共有できる人数がシリコンバレーモデル等と比較して、はるかに多く存在していた。例えば自動車ガソリンエンジンの性能を高めるうえでは、作りこみ段階での職人の技が不可欠であった。しかし電気モーターの場合、デジタル化が進み、設計段階で性能がほぼ確定する。このようにシリコンバレーモデルやバイオ領域では、ひとたびアイディアが登場すれば、その後は01かというデジタルな世界になる。この場合、最初のアイディアを持つ人材をいかに確保するかという点が戦略上重要になる。しかしアイディアを持つ人は多くないため、少人数により大きな付加価値が生まれるということになる。つまりかつての20世紀型の製造業では、多くの雇用を生み、そこでの付加価値を第三次産業にまわすという世界が描かれたが、現在の先進国における最も付加価値の高い産業=デジタルの世界では、その根幹をなすアイディアを持つ人材をいかに奪い合うか、という点が大きな課題となっている。

アイディアを生み出す場としては、企業以外にも大学が重要であり、こうした場はCoECenter of Excellence)とも呼ばれる。例えば米シリコンバレーなどには、まずCoEが多くの研究者を呼び込み、そこでアイディアを持った人がスピンオフしてベンチャーを立ち上げるという企業の生態系がある(GAFAなどの事例)。ボストン等でみられるバイオベンチャーにおいても少人数が付加価値を独占する傾向がある。例えばバイオ分野や医・薬分野での付加価値に対する需要について考えると、何らかの薬や治療法に対しては、使うか使わないか決める際の要素として、価格の高低はそれほど大きく影響しない、すなわち価格の弾力性がほとんどない。このため付加価値を価格・売上に転化しやすい。自動車等の購入については対照的である(金があれば買う、無ければ買わない)。このためバイオ分野などにおいても国際的な頭脳争奪戦が起こり得る。実際、インドや中国などに代表される、移民やその二世がシリコンバレーの大企業で中心的役割を担っている事例が多くある。これは母国からすると頭脳の流出ということになり、このため中国等は米系中国人を本国に呼び戻すといったことも行っている。

GAFAモデルについても検討してみたい。現在、GAFAが米における経済成長のエンジンであることに疑いはない。これと対抗するのが中国のBATBaidu, Alibaba, Tencent)である。これらはプラット―フォーマーと呼ばれるインターネット上の巨人である。現在の米中の経済的対立は、かつての日米の経済的対立と比較されることがあるが、安全保障面での構図が全く異なる。中国は米に安全保障上依存していないことも関係して、最も強い産業同士が衝突しているのが実態である。バイデン政権に移行しても、米中の経済的利益において衝突する部分は本質的には変化しておらず、経済が政治を振り回すという課題は残ったままである。またGAFAが生み出す付加価値はかなりの部分が外国の頭脳によって生み出されているという点も重要である。なおバイオ分野でも同様で、例えばmRNAワクチン開発の立役者はハンガリー出身の科学者だった。こうしたGAFAモデルの特徴・本質とは、コピーを無限に作れるという点にある。インターネットにしてもワクチンにしても、基本的には設計図さえあれば、その通りのコピーを無限に作ることが出来る。その場合は、元となるアイディアを生み出す人が付加価値を独占する。だからこそ国際的な頭脳争奪戦が発生する。実際にかつて、日本の半導体分野の研究者が、米等からのヘッドハンティングを受けて数年で日本の企業を辞めてしまうという事例があった。その理由として、将来の子どもの教育を考えたとき、英語圏で教育されたほうがその後の選択肢が広がるからという点が挙がったという。つまり日本で教育することが、将来性を狭めることに繋がると認識されている。国際的な頭脳争奪戦において、この点は日本にとって不利な点であり大きな課題である。この際の課題は、日本語の問題とつながっている。

ところで日本においても反グローバリズム、排外主義は存在するが、英米等ほどは盛り上がっておらず、大きな政治的パワーを持つには至っていない。これは単純労働において、日本人労働者と代替し得る移民の数が、英米と比較して圧倒的に少ないためと思われる。またそもそも来日者の数が少なく、これには日本語学習のハードルの高さも関係している。つまり日本は参入障壁によって守られており、英米ほどの反グローバリズム感情が醸成されていない現状がある。しかし、この参入障壁という問題は、日本において生産性が向上しないという問題につながるため、むしろ日本にとっての大きな課題である。生産性が伸びなければ、収入が伸びない、すなわち一人当たりの国民所得は伸びない。これは労働力の減少という問題に正面から向き合っていないことの結果であり、生産性向上のためには外国人労働力を増やすという対策が想定できる。また大学機能の拡充もひとつの課題だろう。日本の大学に、海外のCoEと同程度に、人材を受け入れる必要がある。現状、トップの頭脳は米等に留学し、日本を選ばない。日本はトップ層をより多く受け入れるための措置をとるべきだろう。その際の最大の障壁は、日本語が国際言語ではないという点である。ただし、自動翻訳や音声認識技術の進歩により、およそ10年以内にこの参入障壁が一定程度解消される可能性はある。日本語という参入障壁の解消は恐らく単純労働分野においてまず進行し、アイディアを生み出すレベルでは後回しとなるだろう。

では障壁解消までの間、日本側の対応はどうあるべきか。端的に言えば、世界一差別のない社会をつくることが、外国人の単純労働者および頭脳労働者のいずれかにかかわらずより多くを呼び込むことに繋がるだろう。そして日本語という参入障壁が解消されれば、より多様な人々が日本においてより付加価値の高い活動に従事することになる。日本社会ではこれまで一般的に、外国人を安い単純労働力とみなす傾向があったが、これには限界がある。仮に自分たちが優秀な外国人であったなら、どのような日本なら行きたいと感じるか。個人的には、優秀であろうとなかろうと、自分の母国の人間が世界中のどこと比較しても全く差別を受けない社会、言い換えれば、日本なら他国と比べてはるかに差別が少ないと思える社会をつくっていくべきである。逆に言えば、今からこうしたことに取り組まなければ、生産性をあげるべく、そもそも不利な状況下で外国人を日本に呼び込むことは不可能だろう。無論、言語があらゆる思索のバックボーンにあることにも疑いはなく、クリエイティブな世界では日本語がアドバンテージになる場合もあるが、同時に日本語が国際化を阻害していることを認識しなければならない。しかしこの障壁は技術の進歩によって次第に解消されてゆく。この状況をチャンスとするために、以上の点が求められる。

(文責、在事務局)