ナラヤナン・ガネサン(Narayanan Ganesan)広島市立大学広島平和研究所教授の講話の概要は次の通り。その後、出席者との間で活発な質疑応答が行われたが、議論についてはオフレコを前提としている当懇談会の性格上、これ以上の詳細は割愛する。

 

20219月の豪英米安全保障協力枠組み「AUKUS(オーカス)」の発足は、ASEAN地域における安全保障構造にどのような影響をもたらすのか。地理的にASEANの外に位置する3か国によるAUKUSの活動は、ASEANの安全保障協力のあり方に何らかの作用を及ぼす可能性がある。

(1)政策的視点からAUKUSが何を意味するのか

AUKUSが政策的に示唆する点として、米国と英国がASEANにおける物理的存在を拡大する可能性がある。最近では米国がグアムや豪州のダーウィンにおいて防衛設備を大幅に拡大するという宣言をしたことも3極防衛連携の動向を示している。地理的条件、安全保障及び防衛のための物理的インフラの整備という面から、周辺諸国が政策的にどのようにAUKUSと関わっていく判断をするのかもこれから注意を要する部分である。

ASEANにおける潜水艦軍備力等の分野で、原子力を利用した安全保障基盤が初めて導入されるということも、政策的に示唆するものがある。ここでの原子力基盤は核兵器とは別の扱いがされている。同地域、特にニュージーランド領海では、核兵力への国民的反対意見が根強くある。また、今日の中国の影響力に対して、AUKUSが国際的均衡を保つ要素としてその政策的役割を示唆する部分がある。

(2)AUKUSがASEANに及ぼす影響

ASEAN地域では、1975年のベトナム戦争の終結や1991年のフィリピンと米国間の軍事基地協定終結などを機に、米軍の撤退が進んだ。その後米国は1999年に訪問米軍としてフィリピンと安全保障協定を結んだ。フィリピンとしては国内でのムスリム人口の影響を米国の軍事力を使って抑えるという目的もあった。また、米国とシンガポール間での防衛協力関係が1990年以来の合意により強化されてきた。これらの歴史的展開において、AUKUSの発足は防衛協定を通じた米国の東南アジアでの存在を強化する効果があると言える。

英国の東南アジアでの存在はシンガポールとマレーシアを中心とした前植民地関係に限られるが、ASEAN諸国が安全保障上の脅威に接した際、シンガポールとマレーシアとの連携を通して同地域での英国からの安全保障の援助を確保することができるという構造が存在する。このような安全保障的構造の指揮系統の枠組みの中で、1970年代より豪州は東南アジアでの間接的な連携を維持してきた。ASEANにおいて豪州が意図する戦略的連携の強化にAUKUSが与え得る影響としても、シンガポール及びマレーシアとの連携が要となっている。

今回のAUKUS発足において豪州との潜水艦共同開発の機会を失った仏国も、インド太平洋という枠組みに沿って、ASEANとの連携を意図する傾向にある。仏国はインドシナを舞台に1975年のベトナムとの和平合意や1989年のカンボジアとの合意締結に関与した。仏国は東南アジア本土での関与が中心で、同地域の海洋諸国への関与は植民地がなかったということもあり、他の植民国の影響力と比べると限られてきた。仏国は独自の海洋軍事力を維持しており、インド太平洋の枠組みの中での連携によってインドネシアと海洋軍事協定を結んでいる。

(3)ASEAN諸国のAUKUSへの反応

これまでに、ASEAN諸国はAUKUSへの統一された反応を示していない。インドネシア、マレーシアそしてシンガポールはASEANの中核国である。現時点では、マレーシアが唯一AUKUSへの対応についてASEAN諸国で共通した政策的枠組みを取ることを提唱している。現時点において、ASEAN諸国は東南アジア地域への核兵力の導入の可能性を懸念している。また、ASEAN諸国は、中国に矛先を向けた特定の政策を取ることに反対の意思を示している。この背景にはASEAN諸国の民族的構成や、中国との投資や貿易のやり取りへの考慮がある。中国が主導するアジアインフラ投資銀行(AIIB) という多国間枠組みの存在も大きい。中国と敵対関係にありたくないという意向は、アジア太平洋戦略の枠組みにおいても関係国の間で見受けられる。

(4)長期的に見たASEAN諸国のAUKUSへの対応

ASEAN諸国がAUKUSに対して共同の政策的立場を取る可能性があるとすると、ZOPFAN(東南アジア平和・自由・中立地帯)宣言やSEANWFZ(東南アジア非核兵器地帯)条約等の既存の枠組みの延長線上となるものが予想できる。1971年にZOPFAN宣言がマレーシアによって提唱され、ASEAN諸国がそれに署名した。その当時、米国はベトナム戦争の一環として、タイに軍隊を駐在させていた。フィリピンも米国との関係においては似たような境遇にあった。そのためタイとフィリピンは政治的中立を提唱できる立場になかった。そのため、ZOPFAN宣言は合意ではなく宣言という形式で採用された。宣言であれば、例えその意向にそぐわない国があっても制裁の対象にはならない。その一方で、この宣言はASEANでの統一された政策的方針を形作るという点において大きな意義があった。SEANWFZ条約もマレーシアが主導となり提唱され、ASEAN諸国によって批准された。これらの政策をどの様に実施するかということが、ASEAN諸国にとって常時の課題となってきた。特に、主要な核兵力保持国はこれらの宣言や条約に参加していない。このような政策的方針が進展するためには、核兵力に関する国際的政策に影響力を持つ国々が宣言に参加することが重要である。

AUKUSが中国に対する拮抗勢力としての役割を備えているという側面も、ASEAN諸国のAUKUSへの長期的な対応に影響を与えている。中国を念頭に置いたAUKUSという多国間戦略に対して、カンボジア、ラオス、ミャンマー、タイ等の東南アジア本土諸国では反発が強い。その一方で、マレーシアとインドネシアは、歴史的に中国を長期的脅威の源として見なしてきた。

ASEAN諸国間での連携のあり方に変化が生じている点も注目に値する。ミャンマーの軍事政権による行動はASEAN内でも問題視されており、最近のASEAN・サミット会合ではミャンマーは招待されなかった。この点に置いて、ASEAN内での各国内政に対する非介入政策の枠組みが弱体化していると言える。ミャンマーに対するASEAN諸国の最近の対応は、海洋諸国であるマレーシア、インドネシア、フィリピン、シンガポールが先導した。東南アジア本土諸国は積極的にこの方針に関与しなかったが、その流れに沿った。

中国はASEANの本土及び海洋諸国双方と関係があり、AUKUSが同地域に及ぼす作用に対してバランスを取る動きに出ると考えられる。このような状況における中間点の対応策として、ASEAN諸国が商業活動の接点のみからAUKUSの活動を支持するという選択肢を選ぶ可能性もある。AUKUSの存在を支持しつつ、そこに商業的サービスを提供することのみに留まることで、AUKUSへの安全保障及び防衛面への支持を明確にすることを避けるという手段である。

(文責在事務局)