6. 講師講話概要①:「プーチンの対日戦略と北方領土問題」(常盤伸氏)

北方領土問題をロシア側の論理から読み解いてみたい。日露交渉、あるいは北方領土問題について日本では、ジャーナリストらはロシアや日本の政治指導者による断片的な発言等に引きずられて判断を下しがちだ。そうした表層的な分析では不十分であり、むしろプーチン・ロシアの行動原理という視点から読み解くべきではないかと考える。

プーチン・ロシアの行動原理は、大まかには3点に集約できる。第一に、体制維持(サバイバル)至上主義である。現在の権威主義的体制の維持のためには、物理的暴力の行使を含めいかなる手段もとるという近代国家では否定されている発想だ。これはロシア革命以降、ソ連で行われてきた手法であり、政治を「軍事化」したレーニンの発想に源流がある。第二には、ロシアは「包囲された要塞」だと捉える、被包囲意識がある。これに基づき、大祖国戦争勝利の神話への強力な動員をかける。第三には「偉大な大国ロシア」復活への希求があり、リベラルな国際秩序を塗り替えるため、欧米等に対するハイブリッド戦争も含め、攻撃的で変幻自在な対外行動に出る。

2020年7月にはロシア憲法が「改正」された。プーチン主義憲法というべきものであり、基調として保守的・愛国主義的価値観が重視され、①領土の固守、②国際法よりロシア法の重視、③大祖国戦争史観の明記といった姿勢が盛り込まれた。さらにこの憲法に基づいてロシアの「国家安全保障戦略」改訂版が20217月に発表された。全編にわたり、ロシアの伝統的な精神的・道徳的基盤が強調され、欧米との対決姿勢が示されている。ロシアにとって北方領土は、南のクリミア、西のカリーニングラードと並び、「東の南クリル(北方四島)」として位置づけられている。ロシア人の愛国意識を高揚させ、政権の正統性を維持し、国民統合を図るうえで象徴的な存在だ。残念ながら、政権内では主権の返還という選択肢は検討すらされていないと言ってよい。

プーチン政権が対日戦略を実現する手段して重要なのは、「微笑と脅し」という表現に象徴されるようなロシア式交渉法だ。その特徴には、①冷徹に相手国の力を見極めること、②敵陣営の分断と攪乱を図ること、③詭弁や偽情報を利用すること、④焦らし戦術の利用、⑤威嚇・牽制を用いることなどがある。

そのうえで、対日戦略の主要特徴は次の3点に集約しうる。①経済協力を最優先すること、②日本は対米戦略上の観点で、安全保障を米国に依存する日本を対米関係の従属変数と捉え、ロシア包囲網を切り崩す弱い環として活用すること。③北方領土問題についてはいかなる妥協も拒否する強硬姿勢を貫くこと。

さて北方領土問題に関するプーチン政権の強硬路線は具体的に以下の4点にまとめられる。①エリツィン時代の「東京宣言」の死文化、②「日ソ共同宣言」を交渉の唯一の基礎にするとしながら、歯舞、色丹島の引き渡し条件については改めて交渉で決定するとして、「同宣言」を修正、歪曲したこと。③ロシア主権下で北方四島の開発に日本を参加させること、その一方で④軍事的威圧・経済的圧力による揺さぶりをかけることだ。しかもロシアではソ連時代以来、現在まで北方領土問題をめぐり客観的事実ではなく「軍国主義から解放した」などとする反日プロパガンダともいえる歪曲された歴史認識が浸透しており、国内世論の大多数は、いかなる返還にも反対するとの姿勢に変化がみられない。

安倍政権の対ロ交渉で日本は大きな負の遺産を抱えた。つまり、シンガポール合意によって、交渉の基礎が東京宣言から日ソ共同宣言に移行したため、北方四島の帰属交渉という枠組みではなく、二島引き渡しを最大とする枠組みに退行、いわば「振り出し以下」の状況となった。また経済協力と領土交渉のリンケージを事実上、自ら断ち切ることになった。このためロシア側は、対日強硬姿勢を貫いていけば、焦る日本は必ず方針転換するとの自信を深めたと思われる。日本の世論においては対露不信感が強まり、北方領土交渉への無関心や諦念が蔓延している。安倍氏による所謂「新しいアプローチ」は、これまで述べた強硬な交渉戦略を貫くプーチン氏を一方的に信頼し、「猜疑心の砦から出る」ことを主張した。また「過去にとらわれない」、すなわち歴史認識を軽視することで、法と正義の原則を事実上放棄することにつながった。つまり、リアリズムから理想主義・ユートピア主義への転換であったとみなせる。実は、安倍首相による交渉が始まる前の2012年頃、ロシアは対日接近に動いており、これを活用すべきであったが、日本側はこれを逃している。交渉を左右する主要なファクターには、①ロシアの内政要因、②国際環境、③指導者相互の信頼関係といったものがあり、安倍首相は③を特に重視したが、これが機能するには①②が前提条件となる。実際、過去の交渉における合意文書形成の事例を見ると、圧倒的にロシア(ソ連)の内部要因が重要であったが、安倍・プーチンは例外となってしまった。安倍首相の方針転換には謎も残っているが、プーチン側が「反射的制御」(Reflexive Control)、すなわち偽情報等や情報統御を通じて、相手の意思決定に作用する技術を用いた可能性もある。

プーチンはあくまで平和条約締結を望んでいると言及しているが、それは領土問題が盛り込まれていない、善隣友好条約のようなものであり、それは平和条約ではない。それどころか北方領土問題の事実上の消滅を狙っていると思われる。日本はプーチン氏らロシア側の真意に注意すべきだ。

今後もこうした条約の締結に向け、ロシア側は硬軟取り混ぜた対日政策・行動に出るだろう。仮にそのような条約が締結されると国益を大きく損ねることになる。つまり①北方領土問題が棚上げされ、②ロシアによる恒久的な対日内政干渉の枠組みができ、③欧米など民主主義諸国からの信頼が大幅に低下し、④ビジネスや文化面での表層的な対露「友好」関係が強化されるといった深刻な事態となる。プーチン氏は対日攻勢をむしろ強化している。北方四島に自由経済ゾーンを設立し外国企業を誘致すると表明したが、これには日本側が求めてきた「特別な法的制度」の構築を断念させる狙いがあると思われる。一方で、プーチン政権は、岸田新首相が北方領土問題で旧来の路線へ戻るのではとの懸念を持って注視しており、安倍政権の路線継続を強く要望している。岸田首相は、安倍対露外交を評価しつつもシンガポール合意にはあまり言及せず、むしろ「全面返還のためのアプローチ」に言及している。また安倍氏と異なりプーチン氏とは心理的に距離感があるようだ。2015年、モスクワでの外相会談後の記者会見で、外交的に非礼な発言を繰り返したラブロフ外相に対して、不快感を態度で示したこともある。さらに安倍氏や河野氏のような北方領土問題を巡る「一族のレガシー」もない。いずれにせよ今後の対ロ戦略について考えるには、安倍・プーチン交渉の挫折を教訓として何を学び取るかが重要だ。ロシアの行動原理を分析しつつ、リアリズムに基づいた対露戦略の全面的再構築が急務であると思われる。

講師講話概要②:「ソ連崩壊後の日露関係の問題点」(袴田茂樹氏)

ロシア側の論理、心理、メンタリティという観点について検討する。まず基本的に、日本人は性善説でものを考える傾向がある。しかし厳しい国際政治情勢においてはこの姿勢は問題であると言わざるを得ない。一方ロシア人は、緊張感を与える相手には内心で敬意を払い、擦り寄り媚態を示す相手は内心で蔑視する傾向があると思われる。また常盤氏は、現在のロシアにおけるレーニン主義、被包囲意識、「偉大なロシア復活」志向、といった特徴を挙げた。これは最も反動的といわれたアレクサンドル三世(1845-1894)の言葉にも如実に表れている。すなわち、レーニン主義への回帰という以上に、帝政ロシア主義への回帰という側面もあると思われる。

90年代の日露関係の背景には、ロシアの「市場化」への過度な期待があった。しかし当のロシア国民は市場化を信用しておらず、民営化ではなく略奪化とすら表現していた。これは、国民への国有資産配分というポーズが取られたものの、実際には一部の有力者が略奪した現実があったため。またロシアには市場経済の基本となる信用や契約という観念が根付いておらず、むしろ目先の利益を重視するバザール経済的である。日系企業が極東ロシアに進出するも、裏切られ撤退・幻滅したという事例が多数存在する。ロシア国民は私企業への不信を強め、結果的に国家や国営企業を信頼するようになった。これは中小企業が成長しない原因にもなっている。政治面では、日本による対露支援が行われたものの、実はロシア人にはその実感がなかった。支援の背景には、ロシアが内戦に陥り、最悪の場合には核兵器が使用されることを懸念し、市場経済・民主主義に「軟着陸」させたいという、日本や先進国側の意図があり、例えばその結果、マネタイゼーションの一環として、商社を通じた食料品・日用品が送られたが、関係者が内々で持ち出すなどして、末端の国民まで行き届かないといった実態があった。

領土問題に関しては、まず92年に非公式のコーズィレフ提案、すなわち二島先行論があったが、実現はしなかった。93年の東京宣言では、「四島の帰属問題を解決して平和条約締結」という基本原則が唱えられた。ここには「返還」の文言がなく、中立的表現であったために調印が実現したといえる。日本側としては、四島は不当に占領されている日本固有の領土であるとの認識があったため、この点はリスクでもあったが、プーチンは2001年のイルクーツク声明および2003年の日露行動計画にて東京宣言の内容を認めている。そのため宣言には「四島の帰属問題が未解決である」事実を確認するというメリットがあったとも捉えられる。しかし2005年、プーチンは歴史修正に踏み切り、南クリル(四島)は完全にロシア領となり、国際法にも認められているとの立場を一貫してとるようになった。なおプーチンの署名により「省庁間歴史教育委員会」が設立され、これは「歴史の修正を防ぐ」ことを目的としているが、これを受けて国内メディアにすら「ロシアでは『歴史』は似非科学になった」とも評された。かくして、ロシアが次第に強硬姿勢を強化してきたことに伴って、日本側は経済協力などにおいて譲歩を繰り返すことになったという矛盾がある。そのためロシアの論理としては、さらに姿勢を強硬化すべし、という結果が導かれる。三代大統領の外交顧問を務めたプリホディコ氏も、指導部に領土返還の雰囲気は皆無だったとしているが、問題は日本側がこの雰囲気を捉えておらず、お人好し的に譲歩を繰り返してしまった。安倍首相自身も、政権末期にこうした点について「断腸の思い」と表現した。ロシア側も、その安倍首相を高く評価するというより、むしろ厳しく評価しているが、そうしたことが日本国内ではあまり知られていない。むしろ最近のバルダイ会議においても、日本人が平和条約締結についてプーチンに質問したところ、彼もそれを重視しており尽力したい旨を述べていたが、そもそも問題はその平和条約の理解の仕方が日本とロシアで全く異なるという点にある。この点を指摘したうえで、どう対応するのかを問うべきであったが、この点に触れなかったため、日本人の多くに対してプーチンは領土問題の解決に積極的という幻想を抱かせる結果となった。しかしながら、これは大きな過ちであると言わざるを得ないだろう。

(文責、在事務局)