第336回国際政経懇話会
「ハイブリッド戦争:ロシア外交の最前線を読み解く」
2021年5月31日(月)
公益財団法人 日本国際フォーラム
グローバル・フォーラム
東アジア共同体評議会
第336回国際政経懇話会は、廣瀬陽子 JFIR上席研究員/慶應義塾大学教授を講師に迎え、「ハイブリッド戦争:ロシア外交の最前線を読み解く」と題して、下記1.~5.の要領で開催されたところ、その冒頭講話の概要は下記6.のとおりであった。その後、出席者との間で活発な質疑応答が行われたが、オフレコを前提としている当懇話会の性格上、これ以上の詳細は割愛する。
1.日 時:2021年5月31日(月)14:00から15時半まで
2.開催方法:オンライン形式(Zoomウェビナー)
3.テーマ:「ハイブリッド戦争:ロシア外交の最前線を読み解く」
4.講 師:廣瀬 陽子 JFIR上席研究員/慶應義塾大学教授
5.出席者:57名
6.講話概要
(1)ハイブリッド戦争とは何か
ハイブリッド戦争は、2014年のクリミア併合・ウクライナ東部での危機勃発を理解する「鍵」であり、より広い旧ソ連地域研究においてもロシアの軍事作戦・外交戦略として極めて重要である。ヨーロッパ諸国も強い脅威を感じており、日本も無縁ではない。日本では2018年に防衛計画大綱と中期防衛力整備計画が改訂され、宇宙やサイバー部門が強化された。その背景には①北朝鮮の核ミサイル能力の増強と、②ロシアのクリミア併合以降、戦い方が変わった、すなわちハイブリッド戦争の脅威が高まったということがある。実際、昨年には東京五輪を狙ったサイバー攻撃が行われていたとの発表もあった。ハイブリッド戦争の理解なしに日本の安全保障はあり得ないだろう。
ハイブリッド戦争とは、「政治的目的達成のために、軍事的脅迫とそれ以外の様々な手段(政治、経済、外交、サイバー攻撃、プロパガンダを含む情報・心理戦などのツールのほか、テロや犯罪行為も)が組み合わされた、非正規戦と正規戦を組み合わせた戦争の手法」であるといえる。空間・主体・手段・規範など、あらゆるものの境界が曖昧な中での戦闘であり、戦う主体もその手法も多様な、複合型の戦争である。
クリミア併合で注目されたとはいえ、新しい事象ではなく、古代から使用されてきた。現在のロシアでも1990年代から再注目され、地政学者ドゥーギンなどが推進してきた。ロシアには火のないところを炎上させる能力はないが、小さな煙を炎上させることに長けており、この際ハイブリッド戦争が有効になる。ロシアではハイブリッド戦争の語はほぼ用いられず、新世代戦争、現代型戦争といった言葉が使われる。ロシアではそれは戦略というより作戦であり、クリミア併合を機に、軍事的コンセプトから外交政策の理論に準ずるものへと変化した。またロシア視点では、ハイブリッド戦争は米で生まれた概念で、ロシアはその被害者に他ならない。他方で、ロシアにおけるハイブリッド戦争の議論は、欧米のそれを再概念化したにすぎないともいえる。ロシア軍参謀総長ゲラシモフをはじめ複数のアクターがハイブリッド戦争の重要性を指摘してきたが、その目的に関しては、ロシア軍人・軍事理論家メスネル(1891-1974)の議論が再注目された。この理論では、現代戦では領土の獲得ではなく、敵対国のモラルをくじき、連帯を打ち砕くことが最重要視されている。このテーゼに基づけば、2018年末以降の北方領土をめぐるロシアの対日姿勢は、対米ハイブリッド戦争の一環と捉えることも可能だろう。またハイブリッド戦争を「探り(probing)」としてみる議論がある。中露イランを台頭国と位置づけ、これらが探りにより相手の外縁部で低強度のテストを仕掛け、その反応を探っている、とするものだ。低リスクで大きなリターンを得られる場合もあり、ウクライナ危機ではこれに成功したといえる。プーチンが2014年(草案はウクライナ危機の前となる2013年7月)にロシアの新軍事ドクトリンに署名したことで、こうしたハイブリッド的な作戦は国家戦略に位置づけられた。ハイブリッド戦争のメリットは、①低コストで、②効果が大きく、③介入に関して言い逃れしやすい、という3要素にまとめられる。
ウクライナ危機はそれが顕在化した事例である。このときロシアは標識のない特殊部隊による要所占拠や、国交付近での軍事力集積により圧力をかけつつ、フェイクニュースやサイバー攻撃、経済的脅迫、時に融和的外交などを組み合わせ、住民投票や一方的独立、領土併合や地域の不安定化を実現した。それよりも以前から政治的工作を行っていたことも知られている。
ハイブリッド戦争の担い手としては、インテリジェンス機関のロシア軍参謀本部情報総局(GRU)やロシア連邦保安局(FSB)、ロシア連邦対外情報局(SVR)、また民間軍事会社(PMC)のワグネルなどが挙げられる。コサックや北コーカサス出身兵などが徴用される例もある。他にもトロール部隊やサイバーアタッカーが存在する。また政治技術者もソ連時代から暗躍している。トロール攻撃の拠点IRA(インターネット・リサーチ・エージェンシー)やワグネルの資金源となってきたのは、プーチンのシェフと呼ばれるエフゲニー・プリゴジンと彼のコンコルド社である(プリゴジン や彼の会社は米による多くの制裁対象に指定されている)。そのワグネルは戦闘行為のほか、展開先での資源利権と引き換えに安全保護などの任務にもついている。
(2)サイバー攻撃、情報戦、宣伝戦
ハイブリッド戦争の重要な側面であるサイバー攻撃は、近年では戦争と切り離せないものとなり、AI技術も加わって非常に高度なものになった。ロシアのケースでは、横の協力がないことが特徴だ。犯罪者や国家機関、民間会社、単なる愛国者など多様な主体が別個にこれを担う。主要な政府系ハッカー集団には軍属の15のサイバー部隊以外にも、GRU系のAPT28(通称ファンシー・ベアなど)、FSBおよびSVR指揮下のAPT29(コージー・ベアなど)などがある。APT28は取得した情報を暴露することで相手に打撃を与える傾向がある一方、APT29は取得した情報を密かに利用する傾向がある。
他方、トロール部隊などがSNSやニュースメディアなどを利用し、フェイクニュースや宣伝を拡散し、誘導政策を展開する。トロール攻撃では、トロール部隊がいくつものアカウントを用いて多くの人が書き込んでいるような体裁を整えると、次第に一般アカウントも情報を拡散しはじめ、収拾がつかなくなる。2016年の米大統領選挙では、反クリントン・キャンペーンに成功した。アフリカやベネズエラ等の協力も確認されている。この問題は、ソフトパワーの悪質版「シャープパワー」としても理解可能である。その他欧米諸国での政治介入、選挙介入の事例が多くある。また、コロナ禍においても多くのサイバー攻撃や情報戦が展開された。昨年12月には米国史上最悪レベルのサイバー攻撃も発覚した。
ロシアの大規模なサイバー攻撃の性格には、①国家支援型であること、②高いスキルを有すること、③防衛力が弱いこと、④攻撃の内容が目的や相手により変わること、⑤軍事面のみならず外交的手段として位置づけられているといった要素が挙げられる。ただし、最近は犯罪組織による金銭目的のサイバー攻撃(ランサム攻撃)も大規模化が目立つようになっている。
当然、これに対しては様々な対応が必要である。特に2015年にはロシアによるサイバー攻撃が大きく変容し、昨年発覚した米への攻撃は長期にわたり気付かれてすらいなかったなど、対応側の変革も求められる。攻撃対象も、政府機関のみならず社会全体に広がり、2010年以降は概して攻撃範囲と深刻度が大きく拡大した。動向分析に加え、従来的な専守防衛ではなく、ホワイトハッカー等による対策など、臨機応変な対応が必要だろう。
(3)ロシア外交のバックボーン:地政学
こうしたロシア戦略の背後には、地政学がある。地政学は広大なロシアにとって歴史的に極めて重要で、冷戦期には影を潜めたものの、2000年のプーチンの大統領就任により再びロシア外交の支柱となった。ロシア地政学をリードしてきたドゥーギンはプーチンのブレーンでもある地政学者・政治家で、ドイツ地政学者ハウスホーファーの影響を受けている。ドゥーギンは主に、ユーラシアにおける米や西洋主義の影響力を失わせ、ユーラシア帝国の構築必要性を主張した。これを達成するにはロシアの特務機関による破壊、不安定化、誤報・偽情報等、さらに天然資源の有効活用などの点が大きな役割を果たすと主張した。
プーチンはこうした地政学に影響を受けたグランドストラテジーを構築している。その要点は、ロシアの勢力圏の維持である。勢力圏とは第一義的には旧ソ連諸国であり、第二義的には旧共産圏と新領域(北極圏など)である。勢力圏の維持は、国際政治におけるロシアの基本戦略である「多極的世界」の実現のためにも重要と考えられている。
ロシアは勢力圏維持のため、①政治、②経済、③エネルギー、④未承認国家という4つのカードを利用し、「近い外国」に接近してきた。ロシアとしてはまず、最低でも旧ソ連諸国のNATO加盟は避けたいため、バルト三国や東欧がEU・NATOの拡大に飲み込まれていくことが許しがたかった。また他の重点領域としては、シリアや、反米の南米諸国、アフリカ、アジア・太平洋などがある。これらに対して経済援助、軍事援助、武器供与・販売、軍事演習等を通じてプレゼンスを高めてきた。地政学的に重要なシリアには旧ソ連圏以外で唯一のロシア軍基地があるため重要視されている。また近年の南米では反米国家を取り込むための資金・軍事援助により関係が緊密化している(キューバ、ベネズエラ等)。さらに最近は北極圏も注目されている。温暖化による北極海航路の可能性が注目され、資源アクセスが容易化したことで、天然資源の利権争奪戦が起こっており、これに伴うインフラ整備や軍備拡大がみられる。また北極海航路の終点には北方領土があり、その軍事基地化や最新装備の展開が進行している。加えて近年注目されているアフリカでは「安全保障の輸出」が活発化している。PMCを利用して現地の反乱・テロ対策を担うことで、各地の権威主義体制を懐柔し、勢力圏化が進行している。
(4)まとめ
コロナ禍でのロシアのマスク外交やワクチン外交も、欧米目線では、情報収集、制裁解除・緩和、EUやNATOの分断を狙ったハイブリッド戦争の一環として見られている。このように、ハイブリッド戦争は多岐にわたり、全容の把握は難しい。また、その成否の判断も難しく、基準によっては成功とも失敗ともみなせる場合がある。とはいえ、NATOにウクライナを入れさせない点については間違いなく成功しており、2016年の米大統領選において世界を席巻する印象を残したことも事実である。
こうしたハイブリッド戦争にどう対抗すべきか。まず重要なのは、一国レベルでの対応は困難かつ不十分という点である。例えばエストニアでは、サイバー教育徹底を通じた「サイバー衛生」により、国民全体がサイバー攻撃に利する習慣を改めようとしている。またジム・スキアットの提示する解決策では、①敵を知る、②レッド・ライン(超えてはいけない一線)を設ける、③敵が負担すべきコストを引き上げる、④防衛を強化する、⑤攻撃、⑥結果を警告する、⑦サイバー領域と宇宙のための新たな条約の締結、⑧同盟を維持して強化する、⑨適切なリーダーシップを設ける、といった点が挙げられている。これらはすべて重要だろう。特に日本はサイバー攻撃に脆弱であり、その検知能力も12か国中最低で、リテラシー能力も低い。優秀な人材の確保と教育拡充、また専守防衛ではなくホワイトハッカー等を通じて「攻撃しながら防衛する」姿勢を強化し、国民全体の意識強化が重要と思われる。日米同盟をもとに米に頼り切りになるのではなく、日本側からも多面的かつ積極的に関与していく必要があるだろう。
(文責、在事務局)