(1)Brexitによる変化とその影響

 EUでのポスト・Brexitとポスト・コロナの文脈は時期的にも重なりあう。今回は両者の関係性をみながら現状と課題について考える。EUでは2021年初から大きな地殻変動が起こった。第一のものがBrexit、すなわち英のEU離脱である。英・EUは貿易信用協定(TCA)に基づく関係性に移行した。第二の地殻変動としては、英国内でも北アイルランドのみ、関税領域としては英国内の扱いだが財の単一市場についてはEUに部分的に残留するという変則的措置がとられた(特区化)。Brexit後、アイルランド国境をどう管理するかが離脱協議のひとつの争点だったが、結果的に特区化が決定した。これによりEUには2つの境界線が新たに現れることとなった。英・EU関係は、EU非加盟のアイスランド・ノルウェー・トルコ・スイス等とEUの関係性と比較してもより希薄なものとなった。
TCAは、貿易・経済・社会・環境・漁業の各分野での協力に関する部分と、市民の安全に関する部分、またこれらが円滑に機能するためのガバナンスに関する部分の3領域から構成される。カバーされていない領域については主にEUの独自判断に委ねられた。中身の薄い協定といわれたが、ジョンソン首相は協定締結による離脱を喜んだ。確かに、合意がないまま移行期間が終了する事態を回避できた点はポジティブに評価できる。しかし、従来の単一市場・関税同盟として、一つの領域を形成してきた英・EU関係を引き継ぐものとしてはかなり限定的内容になった。ポイントとしては、関税ゼロ、数量規制なしなどの点があり、EUが締結しているFTA・EPAとしては最もレベルの高いものになっている。だが関税ゼロのためには原産地証明に関する課題が残された。またサービス業では、自由なサービス提供の権利が喪失された。外交・安保・貿易協力については、英の求めにより対象外となった。このように限定的な内容になった理由は、英側が早く離脱したかったという理由と、英が主権回復を重視し、EUによる規制やルールを嫌ったという理由がある。またEU側は譲歩をせず、単一市場原則を重視した。結果的に、大きな余波をもたらしかねない「ハードな離脱」と呼べるものになった。
 例えば、EU加盟国であれば通常認められる権利が、TCA下では大幅に制限されている。ヒトの移動や財の貿易などについては顕著。英政策当局はあえて受け入れた点だが、一般国民には必ずしも周知されていなかった。ただしTCAに基づく関係性は暫定的なものであり、必要に応じた拡張が可能である。5年ごとの定期見直しでの大幅な改正、また紛争解決手続きに基づく部分的停止や、(12か月前の通告による)完全な停止もあり得る。従来と比べ、関係性の範囲も限定されるが、同時に安定性も欠くものとまとめられる。
 北アイルランドの特区化においても様々な問題が発生した。例えばグレートブリテン島から北アイルランドへの物流では様々な検査が必要になり、出荷が見合わせられ、食品不足が発生するなどした。また英・EU双方がコロナワクチンをめぐり争奪戦の様相を呈し、北アイルランド議定書に基づくセーフガード発動に言及するなど、すでに円滑に機能しているとは言い難い状況がある。本来アイルランド国境に厳格な管理を導入していなかったのは、英との和平を尊重してのことだったが、特区化でその一体性に揺らぎが生じているという見方もできる。また、金融サービス業や漁業にも影響があり、通関手続きの複雑化により新鮮な海産物の輸出が困難となり、漁業者の多いスコットランドでは不満が高まった。さらに小規模輸出業者等は新システムへの順応やコスト負担が難しく、ビジネス継続を断念する可能性も浮上している。ただし、北アイルランドの地位もTCAと同様に可変的である。
 金融サービス業では、英が単一パスポートの圏外となり、同等性評価(EUが外国の金融機関に対し、母国のルールがEUと「同等」に頑健と見なされる場合に限り市場アクセスを与える制度)の付与は見送られ、経過措置もごく一部に限定されるなど、事実上「合意なし」となった。しかし事前準備の進展により、新体制への移行は円滑であった。英の金融セクターは戦略的に重要な分野で、競争力もあるため、離脱の影響が注目されていた。EUによって同等性評価が与えられた事例は2件のみ(日米は20件以上)で、つまり同等性が低いと判断されており、ここにはEUの政治的な思惑が反映されている。英は規制の変更を求めるため、EUはその実態を見極めてからでなければ同等性評価が出せないという慎重な立場をとったということ。英も譲歩により規制の自由度が奪われる懸念を持っており、今後も同等性評価がない状態が続くと考えられる。これらの余波として、EU27株取引では、年初からEU圏内へとシェアが移動した。ユーロ建て金利スワップ取引においては、同等性評価が与えられている米国の取引施設・SEFへと大幅にシェアが移動した。金融業務の移管先は分散し、パリ以外の金融センターでは業種ごとの集中傾向が観察されている。ダブリン、ルクセンブルクには資産運用会社、フランクフルトには銀行、投資銀行が集中した。アムステルダムには、証券取引所などが拠点を設置し、株式関連業務もここに移行した。
 しかしながら、このように離脱によってロンドンはEUの単一パスポートや同等性評価に関わる業務を失いながらも、依然としてグローバルな金融センターとしての地位は維持する見通し。一部業務を失い、縮小したロンドンだが、それらを引き継いだEU側が発展するには、上述の分散の問題が課題となる。EU圏内では特に資本資産の分散度が高く、また取引慣行・税制・法制度が未整理で、資本市場として単一化していないという問題がある。これを解決しなければ効率が悪く、顧客にとっても不利益となり、EUの競争力強化にもつながらないと思われる。

(2)コロナ禍とBrexitの共振

 EU主要国は、新型コロナの感染拡大に厳しい活動制限の継続を迫られ、GDPは軒並み大きく低下した。これに対して各国政府は感染抑止措置と同時に、失業や企業破綻阻止のための資金繰り支援等を実施した。行動制限によりGDPは歴史的な下げ幅を記録したが、例えばユーロ圏では失業率は上がっているものの2013年前後(約12%)よりは低い水準(10%以下)であり、英でも同様で、雇用を守る点では成功している。他にも10年国債利回り等の指標を見ても比較的低位にある。表面的にはGDPが示すほどの危機的状況には陥っていないといえる。ただし、長期化による影響は大きい。米では失業給付の拡張を実施したが、欧州のケースでは雇用の保護に力をいれたため、本来は淘汰されるべき雇用も守られてしまうという弊害があり、企業の資金繰り支援においても、ゾンビ企業の延命などの懸念もある。ワクチン普及などで経済活動が再開した際、これらの問題に切り込む必要がある。そのためには資本市場の機能が重要とされる。また一時停止中の財政ルールの適用再開にあたっては、ルールの見直しも課題となる。
 英中央銀行は、Brexitの影響は長期的にGDPを押し下げ、先3年間での下押し効果はコロナ禍を上回ると予測した。つまりコロナ禍からの回復という重要局面において、EU離脱は英の成長を抑制する要因となっている。英ではコロナ危機があまりに大きく、Brexitの影響が霞んで見えたともいえる。また英離脱の影響について欧州委員会は、2022年末までにEU全体で0.5%ほど成長が抑えられると試算した。規模の大きいEUのほうが被る被害は小さいが、金融面の問題も考慮すると、こうしたマクロモデルの試算では測れない複雑な影響が生じ得る。EUの将来は、英が抜けた穴を埋める政策を展開できるかどうかにかかっているといえる。
 英の例ではBrexit後、製造業と金融サービス業などが規制の影響を大きく受ける。一方でコロナ禍は、対面サービス業に大きな影響を与えた。雇用を守る政策をとっているものの、宿泊・飲食・小売・娯楽などで雇用が減少した。すなわち英離脱と本来無関係のセクターはコロナ禍の影響を大きく受け、コロナ禍にあまり影響を受けない業種はBrexitの影響を受けた。すなわちBrexitとコロナ危機は「共振」している。加えて、EUから取り戻した主権・権限の配分の問題がある。特に北アイルランドではそのしわ寄せが大きい。またスコットランドでは6割以上がEU残留を支持したにもかかわらず最終的に離脱したことに対する不満が強く、離脱後に独立の機運が高まった。これにはコロナ対応への不安・不満も影響している。全体的に、連合国内での遠心力が高まっている印象がある。
 他方、EU側では、大国・英の離脱によってEUとしてのパワーが落ちるというインパクトが最大の痛手となった。コロナ危機とBrexitの影響で、世界GDPに占めるEUの地位は2020年に中国を下回った。2020年のEU諸国の成長率を見ても、アイルランド以外は軒並み低下(欧州委員会の見通し)。全体的傾向としては、北欧は比較的ダメージが小さく、南欧で大きい。南欧ではもともと過剰債務の国も多く、こうした構造的問題がコロナ危機によって増幅することが懸念される。そうした中で打ち出されたのが欧州の復興基金の枠組み。2021年から2027年のEU全体予算の中に組み込まれる。7500億ユーロの債権を新たに発行し、調達した資金で基金をつくり、その一部を補助金として配分する。配分規模が大きいのはイタリアやスペイン、フランス、ポルトガル、ドイツなど。全体的に、金額およびそのGDP比が小さい国は北欧に集中。金額もGDP比も高いのが南欧。金額は低いがGDP比では大きいのが東欧。EU全体としてのパワー低下に加え、格差が膨らみやすい地域に対し、財政力の格差がその原因となることを防ぐために金を配分するのが復興基金の狙い。これは米中対立やBrexit、コロナ危機といった背景による、EUの危機意識の表れといえ、さらにEUが計画している広範なグリーン・ディールの促進も目的となっている。加えて、ユーロ危機の際に起こった投資の落ち込みを再発しないよう下支えするという意味もある。他にもヨーロッパでは資本市場の脆弱さという課題がある。単一通貨を導入していても、国際市場がばらばらで共通市場が存在しない状況。また国債発行残高でみても最高格付けの国が少ない状況。これに対し復興資金の機関債の規模は、伊仏独西の国債規模に次ぐ第5位で、従来のEU債に比べて非常に大きい。安全資産が誕生するという意味では、資本市場の発展という課題にとっての一手にはなるだろう。各国は4月30日までに補助金の運用計画を提出する予定であり、注目が集まっている。

(3)ポストBrexitの国際関係

 現在、英とEUの関係は表面上は良好だが、お互いに疑心暗鬼で、出方をうかがっているという印象がある。米欧関係も良好に見えるが、EUも一枚岩ではなく、手を取って中国に圧力をかける動きにはつながりにくい。またドイツのメルケル首相の主導でEU・中国間の投資包括協定が結ばれるなど、EU圏内で波紋を呼ぶ動きも見られた。人権問題等における対中姿勢をめぐっては様々な立場がある。戦略的自立を目指すEUの対中姿勢は、米と部分的に協調するものの、必ずしも米にサポーティブではなく、中立的と捉えられる。米中対立の時代においてEUは危機意識をもちつつ、特にグリーン・ディールの分野などで国際的な影響力を発揮したい状況。そんな中、英もEUも日本を重要なパートナーとして必要視している。ただし日本としては、様々な事情を知る努力をしなければ、日本にとって不利な状況に追い込まれかねない。まずはヨーロッパに関する理解を深め、情報を発信していく必要性を感じる。