(1)国際政治におけるインドの重要性

オーガンスキーのパワー・トランジション理論では、覇権国に別の国が挑戦するとき、国際関係は不安定化し、場合によっては戦争が起こるとされた。この文脈の中で、中国の台頭が再注目されているが、インドへの関心は弱い。しかし人口・政治・経済・軍事といった側面で確実にプレゼンスが高まっている。特に軍事力の増強は目覚ましい。それでも日本では、インドを軸とした外交・安全保障問題についての知識の蓄積が乏しい。

近年、「価値を共有するインド」の戦略的重要性は高まっている。インドはクーデターの経験がなく、民主主義を維持。その価値が注目されている。現在、日本をはじめ、RICやSCOを通じて中露もインドに接近している。インドは自信を深め、グローバル・プレーヤーの自覚と、世界大国への意欲を持つようになった。

しかし、行動原理の理解は難しい。2017年には日米豪印戦略対話(Quad)の枠組みを復活させた一方、翌年には習近平やプーチンとの非公式首脳会談に応じ、対中露関係の重要性も強調。直後のシャングリラ・ダイアローグでも、モディ政権の考えるインド太平洋政策は特定国との「同盟」ではないと明言。結果、インドの意図は測りがたいという見方も出ている。

このインド不可知論をどう乗り越えるか。冷戦期から今日に至るインド外交は、ネルーの理想主義に始まり、中国との国境戦争を経て現実主義に転じたとの見方が支配的だが、現実主義への転換では説明できない事例もある。そこで内在する歴史・思想や特性を踏まえると、実は通底する行動様式が見えてくる。

(2)インドの行動に通底する特性

大きくは2点の特性がある。DNAとして染みついた戦略文化と、国家としての内的/外的特性。各々3つの要素を持つ。

DNAの第一の要素:強い大国志向。独立当初、GDPでは低水準だったインドだが、ネルーの発言等をみると、当時でも自国は偉大な国という意識があった。南アジアにおけるインドのように、一国が経済的にも軍事的にも人口面でも圧倒的、といった例は他地域にはない。隣国との地理的関係性を見ても、インドの重要性は明らか。加えて、世界に誇る文明・遺産があるという自信も根底にある。そしてネルーの時代とは異なり、現在、主要国に並ぶハードパワーを保有するようにもなった。

DNAの第二の要素:自主独立外交へのこだわり。これは大国であるはずのインドが、英による支配を受けたことに由来。ネルーが掲げた非同盟は、伝統的な大国意識に加え、二大超大国の傘下に入ることによる主権侵害の懸念による。1971年のソ連との平和友好協力条約は矛盾ともいえるが、インディラ・ガンディーは、非同盟の立場は変わっていないと主張した。冷戦後のインドは日本を含む多くの国と「戦略的パートナーシップ」を通じて関係性を維持。日本は「特別戦略的パートナーシップ」。決して「同盟」ではない。Quadも「同盟」ではないと強調。戦略的自立性に強いこだわりがある。

DNAの第三の要素:プラグマティックな行動様式の伝統。マウリヤ朝期の宰相カウティリヤの『アルタ・シャーストラ(実利論)』に由来する実利的戦略思想。言い換えれば国益最優先。実利追及のためにはどんな手も使うというドライな世界観がある。このような発想が現代の外交実務家にも継承されている。インド特有の「アルタ的リアリズム」。

以上3点が、「同盟」は拒絶しつつ、戦略的パートナーシップという外交政策を理解する鍵。ただしほかにも、具体的政策について考えるには、構造的な制約要因を考慮する必要がある。

第一に、インドという国民国家の特性。インドは非常に多様な民族・宗教から構成され、国境をまたぐエスニック・グループも存在するため、歴代指導者は国内分裂の回避と統一維持に関心を払ってきた。ただし現モディ政権下においては、技術的進歩やメディアの普及により「インド人」としての一体性は強まった。国民国家としての脆弱性は克服されてきている。

第二に、90年代以降の地域政党の影響力強化という点。インドでは単一政党(国民会議派)が長期政権を維持してきたが、次第に一党優位は揺らいできた。政権維持のために地域政党の支持獲得が大きな課題となる。

第三に、対外的制約要因としては、国際的舞台におけるインドのパワーの違いがある。南アジアでは圧倒的なため、現状維持政策を志向。また優位性維持の観点から、米など地域外のパワーの参入に否定的。しかしグローバルな舞台では米中に及ばないため、秩序の変更を求める側に立つ。ゆえにNPTや温暖化、WTOといった枠組みに対して異議申立者としてふるまう。

(3)日印関係の展望

インドから見て日本は、米と比較して小さなパワーであり、政治的野心も小さく、都合の良い主体とみなせる。また対中関係においても漠然と戦略を共有。しかし、埋めがたい溝もある。日本は先進国だがインドは新興国であり、グローバルなルールや秩序形成、特に経済分野では利害が相容れない点がある。さらに、中国の脅威を共有するとはいえ、日印の軍事協力には限界がある。米の支援を前提にする日本と異なり、インドは独力で対処せざるを得ず、中国の脅威に対し慎重。また自衛隊が中印対立にかかわることも考えられない。インドが期待する兵器協力においても法制度的・政治的に障害が多い。

しかし非軍事面、特にインフラ開発での協力には可能性がある。結果的に安保に貢献し、インドの戦略とも合致しうる。例えばイランのチャバハール港からロシアへ至る南北輸送回廊構想など。戦略的には中パ経済回廊に対抗する意味。ここに日本がどれだけ協力できるか。インド北東部のインフラ開発も同様。ASEANや東南アジアとインドのコネクティビティを強化し、対中安保にも貢献しうる。経済的にも企業にとってもメリットは多きい。他にもアジア・アフリカ成長回廊構想などもある。

加えて、政治的に日本ができることもある。インドとの関係が良好でない周辺国は、中印米の勢力圏争いの舞台にもなっているが、これらの国では民主主義が揺らいでいる。日本はこれらの国から嫌われておらず政治的野心もないとみなされているため、これらの国への民主化支援という可能性がある。この点で日本が南アジア地域の安定化に貢献すれば、結果的にインドの安保にも貢献できると考えられる。

(文責、在事務局)