(1)コロナ禍によるグローバル化への影響とそうでないもの

9.11テロやトランプ大統領の当選等、近年の社会的に大きな出来事の度に「グローバル化の終わり」がいわれてきたが、そうはならなかった。確かに2010年代はリーマン・ショックの影響もあり、グローバル化が停滞したとは言える。しかし、世界経済動向の数字を見るに、グローバルな経済活動は確実に成長してきている。先進国間の現象であったグローバル化は、新興諸国にも広がってグローバル化進展を根深く進めてきた。そうした中、今日のコロナ危機のグローバル化への影響は甚大であることは間違いない。世界経済が復興するにはしばらく時間がかかると考えられるが、しかし、中長期的にはグローバル化の終焉とはならないであろう。グローバル化には、個人主義や自由民主主義、資本主義をもたらす、近代化としての側面がある。それら価値観が善いものとして人々を惹きつける限り、グローバル化は終わらないといえる。冷戦時代の東側の、西側消費主義への渇望が冷戦終結に影響したと考えられるように、人々の近代的価値観への積極的な姿勢は、社会変動の大きな推進力であり、そう簡単になくなることはない。よって、今日のコロナ禍で人々の生活様式が大きく変わったといわれるが、それがどこまでグローバル化の進展・衰退に影響をもたらすのか、見極める必要がある。

コロナ禍で危機感が高まったことにより、国民国家の存在が改めて意識されるようになった。ウイルス感染拡大防止のための出入国管理強化や移動制限が課され、また国民の紐帯も深まった。他方、同時に、仲間である市民同士が感染源になり得る可能性があり、国々によっても統治機能の強化には差が見られた。近年、世界各国で台頭を見せていたポピュリズム的指導者たちも、コロナ対策では統治能力を発揮しているとは言い難い。ポピュリズムは既成権力への批判には有効で支持を得るが、それは実際の危機に対する統治能力とは異なるのである。ツヴェタン・トドロフは著書『民主主義の内なる敵』(みすず書房、2016年)で「民主政は運命論的な諦観の態度を拒絶する」と述べているように、ポピュリズムへの趨勢を運命的にとらえることは、本来的に未来が多様な可能性に開かれているはずの民主的思考に反する。よって、近年世界で懸念されている、各国でのポピュリズムの伸長拡大や、各国国家権力の強化については、冷静に観察されるべきであろう。

(2)変調グローバル化の加速

コロナ禍によって、マスクやワクチンといった日常的な商品(コモディティ)が突然、国家安全保障上の戦略物資となった。例えばEU内でも、各国間で他国宛マスク等が差し押さえられたり、米国では医療品原材料のほとんどが外国産であることがわかり、安全保障問題化した。こうした経済分野の安全保障化が進むと、あらゆる経済活動(商品や取引)が対象となり、国主導で産業・知識の囲い込みや、生産拠点の国内回帰が進められることになる。しかし、国がそうして自国で賄う政策を強行しても、人々の消費主義への渇望が消えない限り、その実現には限界があり、また自国の競争力を高める上ではリスクとなろう。したがって、経済の安全保障化は全面化せず、代わりに産業の多面化、多層化により、リスク回避、分散の多重化がされていくと考えられる。よって国家権力の復権とは限らない。分野や場面によってはグローバル化がむしろ進むであろう。

米中対立が激化する中で、各国は米国と中国のどちら側につくか、考えざるを得ない。成長を続け巨大化した中国は、人権から環境まで、その抱える問題の世界への影響も大きくなりつつある。しかしながら、そうした中国からの支援を歓迎する、または頼らざるを得ない諸国も存在する。先進国も中国の市場とのつながりをもつ。コロナ禍は中国発の危機であるが、対策に努力し、いち早く経済的復興を遂げ始めているかに見える。米国が対中圧力強化しつつも経済回復し、正しさを回復できなければ、その他諸国にとっては米、中両国の指導力は「どっちもどっち」と映る。

米中対立は西側諸国間の相違も浮き彫りにする。欧州は対中警戒感を強めながらも、米中対立に巻き込まれたくないのが本音であろう。欧州は近年、戦略的自律性を希求しているが、戦後は米国の支援で復興・発展し、今日も米国の後押しを期待する国々もある。当の米国は、国内分断がありつつも超党派の対中強硬コンセンサスが指摘されているのに比べ、欧州内はそうしたコンセンサスはなく、米欧関係の揺らぎは欧州内関係の揺らぎとなる。また、今回のコロナ禍によって、例えばイタリアの対独、対仏、また対EU世論は悪化し、対中世論は改善した。他方、米国の欧州関与は、既にオバマ政権時代から以前ほど積極的ではなかったが、トランプ政権において米欧間の規範的繋がりも低下したといえる。トランプ政権下では、グローバル化は変調しながらも維持されつつ、各国は米中間で関係性を逡巡し、ポスト・コロナ時代においては、主導国が存在しない推進力の薄弱なまだら状のグローバル・ガバナンスとなっていくのではなかろうか。

(3)権力の綱引き

今次コロナ禍を通して、国家権力の強化とグローバル化の進展、公的政策と民間的対応の差、また対応主体としても国と地方自治体間で、一部諸国ではその対応に顕著な相違があり、しばらくはそれら動向の綱引きが継続していくのではないか。対応や体制によっては、自由民主主義的なものと、対する全体主義的一面もあろうが、国家の権力作用が強まるほど、「何のための権力行使か」ということが尚更問われよう。米中対立が強まる中でも、米国が混乱した政権である一方、中国は香港情勢に対して見られるように権力統治を強めている。民主主義については、「外」からの挑戦がある一方、自らが放棄してしまう、「内」からのなし崩しも脅威である。中国が成長を続け影響力を拡大するに連れ、中国的基準も拡大する。その基準は現存のグローバル化(近代化)的価値観の基準を下げる傾向にあり、中国は「切り下げの帝国」と呼べる。日本はじめ民主主義諸国、また価値観を共有する諸国は、「切り下げ」られた基準に自らの価値観を影響されぬよう、特に危機時には努力していく必要があろう。

(文責、在事務局)