(1)リベラル国際秩序の中核としてのグローバルヘルス

戦後の米国が牽引してきたリベラルな国際秩序の主要な柱の一つとして保健衛生分野(グローバルヘルス)における国際協力枠組があるが、昨今の米中対立を背景に、この分野の国際協力は戦後最大の危機に直面している。トランプ米大統領は世界保健機関(WHO)が中国寄りであるとの理由から、WHO脱退を示唆する発言を行うなどWHO批判の姿勢を強めている。仮に米国がWHOを脱退した場合、WHOは歳入の約12%に及ぶ米国からの拠出金を失うことになり、緊急対応プログラムやポリオ、必須ヘルスサービスへのアクセス改善、パンデミック予防など様々な事業が米国財源を失うことになる他、WHOの米国人職員の処遇や、WHO米国地域局の運営のあり方なども問題となるだろう。いずれにせよ、これまで米国のグローバルヘルスに対する影響力は、資金拠出力に加え、リソースの提供、国内アクターの関与、他国からの信頼を伴ったリーダーシップなど多様な要素から成り立っていた。その観点からは、仮に米国がWHOを去ったとしても、中国が第二の米国になるとは考えにくい。中国のWHOの分担金は増加しているものの、コロナの初動対応や香港の国家安全法の導入等をめぐって国際社会の中国を見る目はかなり厳しくなっていることもあり、今後、この分野で米国と同様の影響力を持つことになるかは現時点では不透明だ。

(2)グローバル化時代の国際保健協力の課題

グローバル化時代の感染症の特徴として、公衆衛生という一つの局面にとどまらず、経済や社会に多面的に影響を与えるということ、また、各国の感染症への対応ぶりが政治的な性格をおびるということが挙げられる。そうしたなか、今回の新型コロナウイルス感染症対策にあたり、既存のグローバルヘルス枠組みが対応しきれなかった面が露呈したが、具体的には、国際保健規則への各国の対応能力の限界や、WHO等国際機関の強制力を伴わない権限の弱さなどが挙げられる。今後の課題としては、大きく二つが考えられる。第一に、WHOの体制刷新である。国際保健規則に定められている加盟国の義務を果たしていくために、加盟国への支援とWHOの権限の見直しの両方が必要である。また、現在WHOの資金は米国やビル&メリンダ・ゲイツ財団など特定のアクターによって成り立っているが、さらにユニセフのように一般個人からの募金も受け入れられる枠組み等も活用しながら、より安定的な財政基盤を確立することが必要だ。第二に、ミドルパワーの連帯である。現在の保健協力を実質的に支えているのはEUや日本などのいわゆるミドルパワーである。米国が抜け、中国のリーダーシップも前述の通り期待しにくいなか、米国の同盟国であったヨーロッパや日本が新型コロナウイルスのワクチンの開発、また、ワクチンができた場合の公正な分配などに連帯して取り組むことが欠かせない。

(3)グローバルヘルスと日本の使命

米中対立はある程度中長期的な視点で捉えていかなければならない。両国のあいだでは、現在、価値観の違いなどが顕在化しており、「米中新冷戦」と呼ぶにふさわしい様相を帯びつつある。日本は、米中新冷戦、米国の国際協力離れを覚悟した上で行動していく必要があるだろう。米中対立は新型コロナウイルスのみならず、保健協力の分野で今もなお継続している課題(ポリオやマラリア、結核、エイズなど)にも影響を及ぼしている。これらの課題が放置されてしまうと、公衆衛生上の課題にとどまらず、テロや紛争など社会全体の不安に繋がりうるといわれている。これらを支えるために、ミドルパワーの連携が鍵となる。例えば、フランスではリヨンにWHO支援センターをつくり、国際保健規則の対応能力が低い国を支援する事業を行なっている。日本も、国民皆保険を達成した経験を活かして途上国の保健医療制度の整備に尽力していくことなどは、次なるパンデミックに備えるという上で非常に重要な一部になってくる。これらの日本の地道な取り組みは、国際平和への貢献にも繋がる。また、日本は、自由民主主義の価値を守るという点においても、ヨーロッパやカナダ等のミドルパワーと連帯しながら、国際協調やリベラルな秩序の担い手としての役割を担っていく必要がある。

(文責、在事務局)