中国のリスクから目をそらすな
2020年2月13日
神谷 万丈
日本国際フォーラム理事・上席研究員/防衛大学校教授
私は2017年から、日本国際フォーラムと米カーネギー国際平和財団の共同研究「チャイナ・リスクとチャイナ・オポチュニティ(機会)」の主査を務めている。
このプロジェクトを立ち上げたきっかけは、尖閣諸島問題などに直面する日本が中国のリスクや脅威に敏感なのに対し、米国は、欧州諸国などとともに中国経済が生み出す機会に目を奪われがちだというギャップだった。このずれを放置すれば、日米の対中政策調整を妨げかねないとの不安を覚えたのだ。ところがこの3年の間にそうした構図は一変した。米国が中国のリスクや脅威を強く意識するようになったのに対し、日本では、中国との関係改善に前のめりともみえる動きが出てきている。
≪自由の理念、価値への挑戦≫
米国では、対中警戒感が急速に高まった。中国は、情報操作や世論操作などの「シャープパワー」を駆使して自由で民主的な社会に浸透し、中国に不都合な言論を抑えるよう画策している。また、新疆ウイグル自治区や香港などで顕著なように、自由、民主主義、人権といったリベラルな価値や理念を受けいれない。さらには多年にわたり世界の平和と繁栄の土台となってきた自由で開かれたルールを基盤とする国際秩序に挑戦する動きを強めている。このような中国を、米国を中心にしてきた従来の世界のあり方を改変しようとする「リビジョニスト」だとする見方が、米国社会に広がったのだ。
こうした対中懸念は、今や世界の自由民主主義諸国に共有されるようになってきている。昨年11月のハリファクス国際安全保障フォーラムでそれを実感した。約80の民主主義諸国から約300人の安全保障のエキスパートが集まるこの年次会議では、近年はロシアの脅威が主要議題となっていた。
だが今回は中国が話題の中心だった。議論は、南シナ海や東シナ海での中国の行動といった狭義の安全保障問題にとどまらず、リベラルな価値や理念への中国の挑戦の問題にも及んだ。戦後国際秩序の基盤となってきたこうした価値や理念への挑戦こそが、中国がもたらす最も深刻な安全保障上の問題と受けとめられているのだ。
≪肝心の日本の対中姿勢は≫
日本は、欧米諸国に先駆けて、国際社会にとっての中国のリスクや脅威に対して警鐘を鳴らしてきた。ここへきてようやく欧米は中国の挑戦の深刻さに覚醒し、特に米国は、自国中心の世界を守るためには中国との対決も辞さぬ姿勢を示している。それは日本にとって歓迎すべきことであるはずだ。
だが、肝心の日本の対中姿勢が、そうした潮流と足並みを揃(そろ)えていないのはどうしたことか。政府は最近、今春の習近平国家主席の国賓訪日を控えて中国と「日中新時代にふさわしい関係を築き上げていくために協力」する姿勢を鮮明にしている。しかし果たして中国の日本に対する最近のふるまいは、「日中新時代」にふさわしいものになっているだろうか。
たとえば、尖閣諸島周辺の日本領海への中国公船の侵入は、19年以降件数、隻数ともに増えている。防衛省統合幕僚監部の発表によれば、19年4~12月の航空自衛隊機の中国機に対するスクランブル回数も523回と過去2番目に多かった。中国は、日本がこうした自らの挑発行動を、関係改善の条件としてどの程度重視するのかを試しているのではなかろうか。
昨年9月に中国専攻の北海道大教授が中国当局に拘束された事件も看過できない。中国専門家の間には、今後は中国の意向を忖度(そんたく)した言論を行わなければ恐ろしくて中国には行けないとの声がある。中国のシャープパワーが日本にも向けられ、日本に言論の自由をはじめとするリベラルな価値をどこまで本気で守る意思があるのかが試されているのではなかろうか。
≪問題の提起控える弊害≫
中国の目は、香港や新疆ウイグルの状況に対して日本がどれだけの共感を示すかにも向けられていよう。日本のメディアのこれらの問題の取り扱いは、欧米メディアよりもはるかに小さく冷淡だ。
安倍晋三首相が昨年12月23日の習氏との会談で、香港情勢について「大変憂慮している」と表明し、新疆ウイグルの人権状況について「透明性を持った説明」を促したのは適切だった。だが今後、もし政府が中国に配慮してこうした問題の提起を控えるようなことがあれば、中国に、日本がリベラルな価値や理念をさほど重視していないとの印象を与えてしまうだろう。
世界第2位の経済大国と、できるだけ協力することが望ましいのは当然だ。欧米諸国も対中警戒と同時に対中協力を模索している。
だが中国が日本や世界に投げかけるリスクや脅威から目をそらしてはならぬ。日本に対する挑発的行動にせよ、リベラルな価値や理念の侵害に関する問題にせよ、中国の動きに応じて日本の対応を考える姿勢が求められる。中国にどこで対抗するか、どこで協調するのかを構想する必要があるということだ。それが中国と国際社会に対する日本のメッセージになる。
[産経新聞2020年2月13日(木)『正論』欄より転載]