(1)中東を真に理解する困難さ

我々は、中東の勢力関係をイメージするとき、日中韓や日米の間で展開される外交関係における尺度を当てはめつつ、体制、経済力、人口などといったことをものさしに対象を理解しようとしがちだが、中東では必ずしもそういう把握の仕方は賢明とはいえない。中東において、情勢を左右する勢力、集団、主体といったものがいくつ存在するかというと、実のところ、数えきれない。しかも、それらの要素は、たしかに中東情勢に影響を与えているにも関わらず、均質性がなく比較しづらい。それが中東の分かりにくさにつながっている。例えば、中東には「国」と呼ばれるものでも、必ずしも日本のような統治や国家運営がなされている主体とはかぎらず、その実態には「留保」や「注意書き」などを付さなければならない国々もある。そのような地域では、安全保障あるいは外交上、パワーの性質が異なる国々が入り乱れ、我々が想定できない特質によって「小国」が「大国」を出し抜くことも起こりうる。すなわち、各主体は複合的な要素を備えており、互いに干渉するため、情勢予測がきわめて困難となる。こうした入り組んだ地域環境が生み出された背景を理解するには、「アイデンティティ」を極めて重視する中東のプレイヤーたちの性質に注目しなくてはならない。中東の人々は、たとえ自らがマイノリティであったり経済的に弱小だったりする主体に属しているとしても、神に命じられた宗派・宗教に属しているという点で自己が確立しているため、弱小勢力で形勢が不利だから、といった西洋的な経済合理性や情勢感覚で主体への帰属意識が揺らぐことはない。むしろ、帰属先の利益の最大化に執着する性質がある点は、中東の各主体の動向を捉える上で抑えておく必要がある。こうしたメンタリティーを取り違えると中東情勢の正確な理解は難しい。

(2)中東情勢における主体の多元性と複雑性

冷戦終結後、中東では米国のプレゼンス低下に伴い、いくつかの地域大国が主導権を握るべく域内に進出してきた。しかも、それら地域大国の中東政策はそれぞれ思惑が大きく異なっているために、中東全体で一定の方向性が浮かび上がるということはなく、複雑で混沌とした環境を出現させた。例えば、イランとトルコは、互いに中東の主導的地位をめぐり争っているが、両国が、前近代におけるペルシャ帝国とオスマン帝国のように覇権を争って中東を二分しようとしているかというとそうでもない。両国は、むしろ帝国的な拡張ではなく、近代主権国家の枠組みでの影響力拡大に積極的といえる。他方、イスラエルはその技術力と外交力を通じて地域第三位の地域大国となっている。その他、サウジアラビア、エジプト、UAE、カタールなどが主権国家として影響力を行使している。こうした主権国家たるアクターと対照的なのが、イラク、シリア、イエメン、リビアといった崩壊国家である。こうした崩壊国家では、主権国家として領土全域を施政できておらず、国内の一部や、国境をまたいで分布する氏族や宗派などの非国家主体が実効支配をしており、自国や地域に影響力を行使している。アルカイダやイスラム国に典型的だが、これらの非国家主体は、国の統治が貫徹しない「空白地帯」において採算度外視で、強固なアイデンティティの下、独自の「幸福」を追求しており、そこにさらに、地縁、血縁などが絡んで複雑な力学を生じさせている。こうした中東特有の主体の多元性は、地元メディアのありかたや各国での政策決定過程などにも反映されており、域外から中東情勢を正確に理解することを困難としている。

(文責、在事務局)