第160回外交円卓懇談会
「日中韓三国協力―日中韓文化共同体の可能性―」
2019年月11月15日
公益財団法人日本国際フォーラム
グローバル・フォーラム
東アジア共同体評議会
事務局
日本国際フォーラム等3団体の共催する第160回外交円卓懇談会は、羅鍾一(RA Jong Yil)韓国国防大学院碩座教授を講師に迎え、「日中韓三国協力―日中韓文化共同体の可能性―」と題して開催されたところ、その概要は以下のとおりであった。
1.日 時:2019年11月15日(金)15:00-16:30
2.場 所:日本国際フォーラム会議室
3.テーマ:「日中韓三国協力―日中韓文化共同体の可能性―」
4.報告者:羅鍾一(RA Jong Yil)韓国国防大学院碩座教授
5.出席者:16名
6.講師講話概要
羅 鍾一(RA Jong Yil)韓国国防大学院碩座教授の講話の概要は次の通り。その後、出席者との間で活発な質疑応答が行われたが、議論についてはオフレコを前提としている当懇談会の性格上、これ以上の詳細は割愛する。
(1)文化がもたらす効果の重要性
現在、東アジア地域において国家共同体なるものが存在しているとは言い難い。とりわけ安全保障共同体の実現は程遠く、経済発展の進展が国家間で大きく異なる現状に鑑みれば、経済共同体を形成することも極めて困難である。また、この地域に特有の問題として、国家間に存在する心理的距離があげられる。1945年から1990年代に至るまで、イデオロギーは東アジア地域の分断に影響を及ぼした。さらにこの地域では、米国をハブとする「ハブ・アンド・スポーク」型のネットワークが形成されたため、地域内からリーダーシップが生まれることはなく、各国の間に心理的距離理が広がることは不可避であった。このような状況下で、可能性を秘めているのが文化である。地域内の国家がそれぞれもつ文化を活用することがもたらす効果は大きいだろう。
冷戦終結後、イデオロギー対立の終焉により効果的な共同体の創出が可能になるという議論がおこなわれ、『歴史の終わり』の著者として有名なフランシス・フクヤマは、新たな世界秩序について語った。しかし、その後の世界には、むしろ無秩序が生まれたといったほうが良いかもしれない。イデオロギーは人々を分断させる要素であるが、一方で統合の機運を高めることにもなる。イデオロギーを喪失した現代の国際社会においては、歴史が終焉するどころか、むしろより危険な状況に陥っている。なぜなら、中国で既に見られるように、偏狭なナショナリズムが生じるようになったからである。
ジャン・モネは、ヨーロッパで共同体の創出に成功したにもかかわらず、文化を起点とした統合に着手しなかったことを悔いた。第二次世界大戦後対立が根深く残っていたヨーロッパにおいて、統合を達成するために彼が着目したのは、ロー・ポリティクスとされる経済であった。しかし、結果的に人々の心の間に真の統合を実現することはできなかったと彼は述懐する。統合において重要な存在は国家ではなく人々であり、共同体建設の試みは人々の心から始められなければならない。
(2)“Interfertilization”を基軸とする日中韓文化共同体の可能性
文化共同体の要となるコンセプトは“Interfertilization”である。これは、この地域に存在する共通の文化に対して、各国が各国なりの貢献を行うことを意味する。このような開かれたエンゲージメントと情報共有が、国民間に横たわる負の感情を改善して心理的距離を縮め、高度な文化共同体の創出を可能にする。また、こうした取り組みによって、西洋の近代性を東アジア地域固有の現状に適応させながら模倣することができる。西洋の優位性に対して競争的になるのではなく、東アジア地域に住む我々の視点から西洋を学び、受容し、改善していくことができる。
文化を重視する主張に対して、確かに文化は大事ではあるが、所詮文化という領域にとどまるものにすぎず、国家間の相互理解を促進し関係を改善するうえで決定的な要素にはならないのではないかという意見もあるだろう。現在文化交流が盛んであるにもかかわらず関係が悪化の一途をたどっている日韓関係を見れば、そう思うのも無理はないかもしれない。しかし、文化が相手国のイメージを改善するうえで影響力を発揮するまでには長い時間がかかるものである。本当に重要なのは、長期的に継続する効果であり、時の政権指導者の性格に一喜一憂するのではなく、一般の人々の心が長期的にみてどのように変化しているかに注目しなければならない。真の変化は一人の政治家によって引き起こされるものではなく、人々の心の中で生じるものなのである。
では、日中韓文化共同体が拠り所とできる共通の文化とは何か。それは漢字である。文化共同体を建設するにあたって言語が果たす役割は大きい。なぜなら、人々は言語を通じて思考を供給することができるからである。18世紀から20世紀にかけて、我々は漢字を活用してヨーロッパの近代的な概念を翻訳して容易に理解し、さらに洗練させることができたが、これは他の地域ではなしえなかったことである。また、漢字に限らず自国の言語に切り替えながらそれらをミックスすることも有意義だろう。日本語は西洋概念の翻訳に長けており、例えば中国の国名にある’Republic’も日本語の「共和国」を翻訳して受容した概念である。
現在、東アジア地域では、中国のナショナリズムの台頭が憂慮され、日韓は特に近現代の歴史認識をめぐって問題を抱えている。それらの多くは愚かなものであるが、政治的には非常に深刻な問題である。そうであるならば、今こそ文化共同体の創設を模索するべきではないか。
(文責在事務局)