(1)平成とはいかなる時代であったか。

今年は、平成の最後の年になる。そこで、平成とはどういう時代なのか、あらためて捉えなおしてみたい。平成が幕を開けたとき、我々は希望に満ちていた。ドイツを分断したベルリンの壁が1989年11月に崩壊。1991年12月にはソ連が解体した。長い長い東西冷戦が終焉を迎え、平和の時代が訪れると誰しも考えた。中曽根康弘元首相が当時、僕に「平成は神が人類に与えた休暇の時間だ」と言った。世界が戦いに明け暮れた昭和が終わり、新たな時代が始まったと期待を抱いた。ところが、米ソ間での緊張が高まり、各地で戦乱が勃発した。象徴的だったのは、イラクがクウェートへ侵攻し同1月に始まった湾岸戦争だ。日本では、バブル景気がはじけ、経済の展望が開けなくなった。振り返ると、冷戦終結に伴う民族紛争の激化と日本経済の混乱が印象に残っている。

(2)平成の安全保障

冷戦時代は、ソ連に対して日本に対抗手段がなかったため、米国に守られるだけ、即ち対米従属の状態が続いた。というのも、冷戦時代から対米自立を訴えていたのは主にリベラル派であったがリアリティのある具体案がなく、日本の安全保障の方針に変化をもたらさなかったからだ。平成に入り冷戦終結とともに力を持ったのが、右派による対米自立論によるものだが、右派の言うそれはリベラルが主張するアメリカから距離を取る対米自立ではなく、日本自体が力をつけ米国と濃密な関係を築き上げることで米国と対等になるという意味での対米自立であった。この意味での対米自立を形にしたのが安倍晋三内閣である。2015年秋の集団的自衛権の行使を容認する閣議決定がその中核的な成果であり、日米双方にとって画期的な見直しであった。これによって、日米同盟における日本のあり方に不満を持っていた米国は、陰に陽に日本の変化を促す働きかけをぱったりとやめた。米国上下両院合同会議で演説を行った安倍総理大臣は米国の満足を肌で実感し、私に「日本は安全保障のために改憲を行う必要性がなくなった」とまで言い切った。

(3)新時代に引き継がれる日本の課題

1996年、インターネットが本格的に普及し始め、IT時代が幕を開けた。情報のあり方は様変わりした。紙で伝達する媒体は勢いを失い、インターネットを活用した情報技術が席巻している。日本社会はこの変化に対応してきたが、いま大きな問題にぶつかっている。AI分野における深刻な出遅れである。日本企業の人工知能の技術は米国企業に対して3周遅れであり、過去に取材してきた大企業の首脳もそれは認めるところだ。例えば、トヨタ自動車やパナソニックのAI研究の拠点はシリコンバレーにあり、そのAI人材の主力は米国人である。優秀なAI人材はMITなどを初めとした米国の大学の出身だが、そのAIの高度人材が日本に流入しない。その大きな原因は、本田技研の本田宗一郎氏やソニーの盛田昭夫氏の頃の「0から始める」「チャレンジ」の文化が、経営者が代替わりするごとに変質してしまったことにある。平成に蔓延する「空気を破らない」経営者文化は、シリコンバレーで活躍するAI人材たちの失敗の積み重ねを尊重するビジネス観とは相容れない。つまり、日本側がAI人材の受け皿になる環境を用意できていないのである。外国人労働者問題では、外国人の受け入れに関する入管法の改正案が、審議を尽くそうという圧力がかからなかったために、ほとんど審議されずに可決されてしまった。3年前に行われたオックスフォード大学と野村総研の共同研究に「10年後、15年後にはAIの進歩で49%の仕事が消滅」し日本でも人余りになるという調査結果があり、国会で議論があってしかるべきだが、そうはならなかった。今60万人労働者が不足しており5年後までは深刻化し続けることを踏まえて「空気を破らない」雰囲気が政府・国会を覆い尽くしていたからだ。

(文責、在事務局)