(1)日中関係と日本人の対中感情の移り変わり

私が雑誌編集の現場で見て来た日本人の対中国観の変化に関してだが、しばらく前までは中国脅威論および崩壊論が強く叫ばれていた。しかし、最近は「中国崩壊論の崩壊」論、そして「日本は中国に敵わない」という諦め論も出始めているように感じる。そもそも、日本人の対中観は19世紀末からあまり変わっていない。日本人の対中侮蔑感は日清戦争(1894年~1895年)まで遡ることができる。その後、日中戦争(1937年~1945年)および国交断絶期間(1945年~1972年)を経て、日中は国交回復(1972年)し、空前の友好ムードが訪れた。1978年~1979年に中国で民主化運動が始まったが、実はこれが日中友好ムードへの冷や水の遠因だった。中国政府が民主化運動の矛先を逸らすため、歴史問題を利用し始めたからだ。その民主化運動は、1989年の天安門事件で一旦終了した。中国はこの事件で世界中から非難されたが、経済制裁の突破口として日本に狙いを定め、92年の天皇訪中を実現させた。この当時、主導権を握っていたのは中国だ。その後、小泉首相が靖国神社(2001年)を参拝したが、これは日本側からの主導権回復の動きだった。尖閣沖漁船衝突事件(2010年)を経て、日中対立は恒常化した。

(2)錯綜する中国のイメージ

中国はいまだに農民の国でありながら、科学技術大国化に向かってまっしぐら、という矛盾した国家である。「一帯一路」で平和的な経済協力を標榜しながら、「一路」(21世紀海上シルクロード)で既に(南アジアの)スリランカ、そしてアフリカのジブチを押さえてもいる。一帯一路は商機でもあるが、こういった動きが軍事目的であるとすれば、大きな問題にもなろう。こういった矛盾したイメージが、日本人が中国を理解する難しさにつながっている。

(3)中国を捉えきれなくなりつつある日本人

ニューズウィーク日本版2018年1月30日号は、「科学技術大国中国の野心」のタイトルで発売した。日本より進んだ中国の最新テクノロジーを紹介する内容で、一部で話題にはなっても大きくは売れなかった。日本人の中で対中無関心化、あるいは「もう敵わない」という諦めが進んでいるのではないか。北京に行くと書店に日本関係の書籍がズラリと並んでおり、実際に売れている。逆に、日本では中国書籍がそれほど書店には並んでいない。日中の間で「情報の非対称化」が始まっている。日本人は安易な中国脅威論を卒業すべき時を迎えている。中国経済が崩壊したら、リーマンショックの比ではない深刻な影響を日本は被る。中国に関する知識がないことは日本にとって大きなリスクだ。日本人は中国を「正しく怖がる」必要がある。

(文責、在事務局)