(1)「ASEAN共同体」成立の背景

東南アジア諸国連合(ASEAN)は、1967年に「東南アジアの安定の維持」という政治的目的と、「同地域の繁栄」という経済・社会的目的によって設立された。1976年の「東南アジア友好協力条約(TAC)」締結までの9年間は、スハルト元大統領のリーダーシップの下、専らASEAN創設メンバー5ヶ国(インドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポール、タイ)間の信頼醸成に費やされた。加盟諸国が域内外の情勢の影響から逃れられない政治的・経済的小国であったため、冷戦終了までASEANが目立った活動を行うことはなかった。その後、1992年に欧州連合(EU)が設立され、1997年にアジア通貨危機が起こると、東南アジアでは更なる政治的・経済的統合への気運が高まり、2003年には、2020年(後に2015年に前倒し)までに「ASEAN共同体」を発足することが決定され、昨年12月にその正式な発足に至った。

(2)「ASEAN共同体」の将来構想と課題

周知のとおり「ASEAN共同体」は、「経済共同体」、「政治・安全保障共同体」、「社会・文化共同体」の3つの柱からなる。昨年の発足にあたっては、このうち「経済共同体」に主眼が置かれていたが、(イ)高度に統合・結束した地域経済、(ロ)競争的、革新的かつダイナミックな共同体、(ハ)連結性と分野別協力を強化する共同体、(ニ)強靭で包摂的かつ「人間志向・人間中心」の共同体、(ホ)グローバルな役割を担うASEANの構築を目指す「ASEAN共同体ビジョン2025」を採択した。ただし、この「ビジョン」の実現には、およそ5つの課題がある。第1は、ASEAN加盟国間では、政策的一貫性が得難い点である。例えばラオスやカンボジアは、他のASEAN加盟諸国との協力よりも、より強力な中国の支援の下で自国の課題に取り組むことを考えている。第2は、ASEAN加盟各国の国民は、ASEANによる諸決定に従う政治的意志をさほど持たないという点である。たとえばインドネシアでは、ASEANによる諸決定をめぐり、首脳陣が議会の反対に直面することが多々ある。第3は、ASEAN加盟諸国間には経済成長の度合いに開きがある点である。シンガポールの発展とカンボジアやラオスのそれの間には甚だしい格差がある。第4は、ASEAN内部で、経済的競争が加熱している点である。いずれの加盟国の輸出品目も似通っており、また日本のFDI獲得などを巡り競争が繰り広げられている。第5は、ASEANに機会と問題の両方をもたらす、域外の大国が存在する点である。一方で、ASEAN加盟諸国は、日・米・中・印といった域外の大国による経済面、安全保障面での支援を必要としているものの、他方で、ASEAN加盟各国が大国との関係を求めること自体が、ASEANとしての団結を弱めることになりかねない。それゆえASEAN諸国は、域内で互いに競合する大国のうち、一国とだけの関係に特化することを避け、他の大国とのバランスを確保している。たとえばインドネシアは、南シナ海問題を巡り対立する米中の間にあって、一方で中国からロンボク島やスンダ列島においてレーダー装備の供給を受けつつ、他方で米国にナトゥナ諸島へのアクセスを許すとともにその資金的対価を得るなどしている。

(3)ASEANにおけるインドネシアの役割

いずれにせよ、インドネシアは、これまで同様、積極的にASEANの一員としての役割を果たすことが求められている。インドネシアにとってASEANの一員であることは大きな強みであるとともに、ASEANにとってもインドネシアをその一員として擁することは大きな強みである。インドネシアのASEAN重視路線は、「他国との協力を重視する」という自国の外交方針の証しともなっている。またインドネシアは、ASEAN共同体の成功が、東南アジア以外の地域における、地域統合のモデルとなることを望んでいる。昨今、「インドネシアは内向きになり、ASEANに対する関心も低下している」という指摘があるようだが、それは必ずしも正しい理解ではない。たしかに過去の一時期、インドネシアは、ASEANのあり方を厳しく批判していたこともあったが、今日、インドネシアの首脳陣は「ASEANの発展とインドネシアの発展は、表裏一体で進むべきだ」との姿勢にある。すなわちインドネシアは、自国が、他の加盟国に後れを取るセクターに関しては、それら加盟国の協力を仰ぎ、他方、自国が強みとするセクターに関しては、他の加盟国を援助するなど、ASEANという枠組みを、相互補完的な発展のシステムとして、さらに活用していくことを目指している。

(文責在事務局)