インドのモディ政権誕生の意義については第40話で書いたが、8月30日から9月3日までの同首相の訪日を受けて、再度論ずることにしたい。

 この訪問は、モディ首相と安倍首相の親密な関係を強く印象づけ、日印関係をさらに高い次元に押し上げた。
 モディ首相への関心は国際社会に広がっており、中国の習近平国家主席やロシアのプーチン大統領も訪印を決めている。モディ首相は彼らとはブラジルでのBRICs5カ国首脳会議で会っているが、二国間の友好を演出する訪問とは意味合いが違う。日本重視のモディ首相は、9月中旬に訪印予定の習近平主席に会う前に、是非訪日し安倍首相と個人的信頼関係を樹立したいと考えたのである。
 日印双方の有識者やマスコミが驚いたのは、モディ首相が日本だけの訪問のために4泊5日と異例に長い日程を割いたこと、これに応ずるかのように安倍首相が自ら京都に出向き、京都迎賓館での夕食会や東寺への案内を買って出たことである。わが国の総理が京都に出向いて外国賓客を自ら歓待・案内したことは、40年以上外務省に勤めた筆者にしても記憶にない。
 両首相は多くの点で同じ考えを共有し、波長が合う。第1に、モディ首相も安倍総理も自国への誇りが強く、国を強くしたいと思っている。第2に、中国の進出とくに覇権主義的な行動への懸念を共有し、外交安全保障面での日印協力の必要性を強く認識している。第3に両首相とも自国経済の立て直しを至上命題としており、片やアベノミクス、片やモディノミクスと称され、両国のみならず世界的に注目されている。
 筆者の経験ではインド人はほぼ例外なく親日的であるが、モディ首相の親日度は突出している。グジャラート州首相時代、「躍動するグジャラート州」の標語のもとに経済改革や投資誘致に成功したが、とくに日本からの工場、資本、技術の導入に熱心に取り組んだ。また、モディ首相は、批判者からはヒンズー至上主義者とレッテルをはられるほど敬虔なヒンズー教徒であるが、日印は同根であるヒンズー教と仏教の精神的絆で結ばれていると考え、親しみを感じている。
 京都においては、自分の選挙区であるヒンズー教最大の聖地バラナシ市(ベナレス市)と京都市との姉妹都市の合意を結んだ。
 弘法大師ゆかりの東寺は、仏像とヒンズー教由来の神々の像が密教の教義に従って整然と並べられている。東寺の講堂には、須弥山を模した祭壇の上に、大日如来を中心に21の諸仏と神像が安置され、いわば立体曼陀羅を現出している。
 大日如来の周囲に五体の如来像、五体の菩薩像、明王像、さらに須弥壇の東西端にはそれぞれ梵天像と帝釈天像、須弥壇の四隅には四天王像が如来たちを守っている。金堂には、薬師如来と日光・月光の両菩薩、その周りに十二神将像が安置さている。
 如来や菩薩たちは仏教本来のほとけであるが、梵天や帝釈天、四天王などの天部の神々、さらに十二神将などは、インドの古代神話・バラモン教やそれを継いだヒンズー教の神々から由来する。わが国においては、インドの神々が仏教の守護神となったのである。モディ首相が日印の精神的絆を重視するのは、故あってのことなのだ。

 東京においては、首相の公式訪問(公賓)の定番プログラムである、歓迎式典、天皇陛下による御引見、首脳会談とその後の安倍首相主催の晩餐会、閣僚や主要政党党首による表敬訪問、経団連や日商など財界5団体主催の歓迎昼食会のほか、筆者が理事長を務める日印協会と日印友好議員連盟共催の歓迎会、在日インド人達との懇談会などに臨んだ。
 安倍首相とモディ首相の首脳会談では、日印関係を「特別の戦略的グローバル・パートナーシップ」に格上げすることに合意した。筆者の駐インド大使時代に森喜朗首相(当時)とインド人民党のバジパイ首相(当時)の間で「日印グローバル・パートナーシップ」が結ばれ、その後小泉純一郎首相(当時)と後継の安倍首相によって「戦略的」の語が付け加えられた。今回、さらに「特別」が加えられたのである。
 晩餐会の挨拶の中で安倍首相は、かねての持論である「二つの海―太平洋とインド洋―の交わり」の重要性に触れて日印関係強化の必要性とくに安全保障協力の重要性を想起した。モディ首相も熱いエールで応えたが、「特別」という語を加えたのは日印関係が精神的絆で結ばれているため、ほかの2国間関係とは異なると述べたことが注目された。
 新規の首脳合意としては、安全保障面では、外務・防衛当局間の対話(2+2)の強化、日印海上共同訓練の定期化、米印海上共同訓練(マラバール演習)への日本の継続的参加、日本による救難飛行艇の供与検討の加速、原子力協定の締結交渉の加速、国連安保理改革の推進などであった。経済面では、5年間で日本の対印投資と進出企業数の倍増、5年間でインドへの3.5兆円の投融資供与、既定のデリー・ムンバイ間、バンガロール・チェンナイ間の二大産業大動脈建設プロジェクトに加え、東北インドとミャンマーを結ぶ開発の協力を打ち上げたことが注目された。

 日印協会及び日印友好議連共催の歓迎会(於、憲政記念館)においても、森喜朗日印協会会長と町村信孝日印友好議連会長の挨拶を受けて、モディ首相は温かな言葉と気づかいにより参会者を感激させた。大阪大学ヒンディー語科の溝上富夫名誉教授に対してはヒンディー語の手紙で激励を受けたことに謝意を表した。昭和13年以来日印協会を支えてきた99歳になる三角佐一郎日印協会顧問が車椅子で参加したところ、その前にしゃがみこんで謝意を表明し、今後この日印関係の生き字引とのインタビューを行い、日印オラル・ヒストリーを完成させたいと述べた。また、安倍首相が翌3日の内閣改造において女性閣僚数を今までで最高にすると聞いていたのであろう。モディ首相は、聴衆の中に猪口邦子氏ほかの女性国会議員がいるのを見て、特別にエールを送った。首相は、インド国会において女性議員数を増やすための議席割当政策を考えていると噂されている。

 インドの首相の訪日は、過去において注目度は低かった。モディ首相の訪日は、同首相が国際的に注目されている「時の人」でもあったためか、内外のマスコミが大きく取り上げた。インドの国際的地位の向上や日印関係の進展によるものでもあろう。また、モディ・安倍両首相とも、日印両国を含め周辺諸国に対し武力を背景に益々覇権主義的行動を繰返す中国への警戒感を共有することも大きい。長らくインドに関係してきた筆者にとっては、モディ首相の訪日は、昨年12月の天皇皇后両陛下のインド公式訪問に次いで嬉しいことであった。

[「自警」2014年10月号「日本から見た世界 世界から見た日本 第43話」より転載]