グルジアの歴史と憲法

グルジアは、古来よりビザンツ文明の中で西欧に属していた最初のキリスト教国家の一つだが、ビザンツ帝国の崩壊で西欧から切り離されて孤立し、その後、アラブ、ペルシア、オスマン、ロシアなどの帝国に飲み込まれてきた。第一次世界大戦後、オーストリア・ハンガリー帝国やロシア帝国が崩壊すると、多くの東欧諸国が独立し、新たな憲法のもとで民主主義社会の発展を目指した。グルジアも同じ道を辿ったが、不幸にも1918年の独立から3年でソ連に侵略された。ただ、1921年のグルジア憲法は、民主平和、議会制度、男女平等、西欧でも新しかった社会権や第二次世界大戦後まで実現しなかった普通選挙などを基盤とする最も優れた民主主義的な憲法であるとされていた。
1991年に再び独立すると、内紛などの内政問題を抱えることとなった。1995年に民主主義と法の支配に基づく新憲法が採択されたが、当時は大統領、議会、政府の権力の分配についての議論が主であった。当初は米国モデルの大統領制を採っていたが、バラ革命後の2004年の改憲で、大統領が軍事・安全保障に責を負い、経済を担う首相と行政府を従える半大統領制(Semi-Presidential Model)が採用された。2010年には、よりバランスのとれた権力分配のために再度改憲が行われた。現在では、大統領が国民に直接選出され、行政府およびその長である首相は議会によって選出される議会大統領制(Parliamentary Presidential System)を採っている。大統領は政府と直接の繋がりは持たないが、国の代表であり、軍事における権限を有している。大統領と政府が異なる政治勢力を代表することもありうるので、対立を許すモデルであるという批判もあるが、権力の正確な線引きは難しい。今も改憲が議論されているが、日本やドイツのように完全な議会制を採用するかは未定である。

東欧における立憲主義

東欧の旧社会主義諸国では、バルト諸国および大統領が国民に直接選出されるポーランドを除き、多くが半大統領制である。ただし現在ウクライナでは、権力の分配、統治機構、改憲の議論が行われている。マイダン運動後の改憲を受け、大統領選挙後にウクライナ議会が制度を選ぶことになろう。
司法の観点からの立憲主義である違憲審査には、米国や日本のように、全ての裁判官と裁判所が法律の合憲性を判断できる拡散型モデル(diffuse model)と、憲法関連の訴訟のみを扱う憲法裁判所によるヨーロッパ・モデルがある。憲法裁判所は、チェコとオーストリアの憲法を起案した実証主義者ハンス・ケルゼンのアイデアに基づいて1920年に初めて設置され、第二次世界大戦後、市民権と人権を守り、政府機関同士の対立を調整する機関として西欧諸国に広がった。90年代以降には、エストニアを除く東欧諸国にも広がった。これは憲法上の権利を守ることに加え、ノーメンクラトゥーラによって司法の信用が失われた東欧で、社会で信用される裁判官の育成といった司法の改革を進めるためであった。

グルジア憲法裁判所について

グルジア憲法裁判所は1996年に設置され、9人の裁判官を有している。10年の任期を務めるが、政府への依存を避けるため再任はない。9人のうち3人は大統領が、3人は議会が、3人は最高裁判所によって選出され、3つの政府機関が憲法裁判所の構成に参加している。法学修学者であれば裁判官の経験や職歴は問われない。グルジア憲法裁判所は立法府の合憲性の審査、憲法が保障する人権の審査、政府機関や中央政府と地方政府の対立を審査する権限を有する。西欧で最も強力な権限を持つのは、他の裁判所が憲法で保障された人権について下した判決をも審査できるドイツの憲法裁判所である。グルジアの憲法裁判所は違憲審査に関する権限のみを有している。審査は主に個人、非政府組織、政党から申請され、その内容は平等、財産権、刑事裁判の公正性など、多岐にわたる。

グルジアの対外関係と立憲主義

 現在グルジアは、本年6月にウクライナとともにEU連合協定に署名し、自由貿易協定を発効させるなど、NATOやEUなどの欧州大西洋機構への統合を対外方針としている。グルジアの対外関係における大きな問題はロシアである。ロシアは、90年代にグルジアでの分離運動を引き起こし、2008年には南オセチアとアブハジアを併合し、堂々と軍を派遣して両地域を独立国家だと主張した。南オセチアでは、住民が追放され、経済活動は皆無となり、ロシア軍の基地だけが残っている。ロシアが黒海へのアクセスを念頭に軍事基地を設置したがっていた戦略的要所・アブハジアにおいても、住民が追放され、人口は約50万人から1000人程にまで減少してしまった。ロシアは両地域が独立国家であるとの承認を諸外国から得ようとしているが、現在までにベネズエラとニカラグアの二カ国のみが承認している。どの国も、通貨や軍隊やボディガードなど全てがロシアではあるが、独立は形式的でしかないことを理解している。
またロシアは、いわゆる6項目和平案(サルコジ・メドベージェフ和平案)に合意したにも関わらず、分離主義地域に軍関係者を派遣し、最近では軍事基地の建造も進めている。紛争地域のロシア側では人権遵守の状況や軍の動向は監視されていない。2008年当時は国際的非難がロシアに向けられたが、他の国際社会問題によってグルジア紛争の影は薄れてしまった。ロシアのグルジア侵攻に適切かつ十分に対応できなければ、同様の事態がウクライナで起こると当時から言われていたとおり、ロシアはクリミア半島を併合し、ウクライナの他の地域にも介入を始めた。21世紀において、国際規範を破る併合や軍事介入を西欧最大の国・ウクライナで許すことは、西欧の惨事となろう。

(文責、在事務局)