インドで10年ぶりの政権交代があった。
 人口が12億以上あるので、有権者も8億を優に超える。総選挙は1回の投票では無理であり、4月から5月にかけて、28州、7連邦直轄地で9回に分けて行われた。投票は平和裡に行われ、政治家も有権者も粛々と審判に従った。世界最大の民主主義はその安定性と成熟度を世界に示した。

 2004年以来、2期10年(インドの下院の任期は5年)続いた国民会議派中心の連立政権(統一進歩同盟UPA)が大敗を喫し、それまで野党第1党であったインド人民党(BJP)が、単独で、下院(545議席、ただし2議席は大統領の直接指名なので選挙の対象外)の過半数を上回る281議席を獲得した。連立与党11党の54議席と合わせると、与党は下院で圧倒的な多数を握った。
 BJPを率いて選挙に勝ったナレンドラ・モディ前グジャラート州首相が、6月26日、連邦の首相に就任した。

 筆者は、1998年3月から2002年10月まで約4年8カ月、駐インド大使を務めたが、任期はBJP率いる国民民主同盟(NDA)政権とフルに重なった。バジパイ首相、閣内第2のアドバニ内務大臣などの指導者と親しく接したが、今回の新内閣で要職に復帰したスワラジ外相(女性)など知己が少なくない。
 筆者は6月初めにデリーに飛び、アドバニ氏を含むBJPの要人や新政権で外交の第一線に当たるドバル国家安全保障補佐官などの高官に会ってきた。BJPは日本にはなじみが薄く、欧米ではヒンズー至上主義政党として警戒する向きもあるが、筆者は何となく親しみを感じる。筆者のインド着任2カ月後に、BJP政権は核実験を行い、筆者は日本政府を代表して抗議をしたりODAを停止したりして苦労した。しかし、その後2年有余の修復過程でBJPの理解と支持を得て、日印関係を再度軌道に乗せた。彼らは概して親日的である。

 BJPの大勝利は、1980年の結党以来の快挙であるが、国民会議派の敵失もあった。マンモハン・シン首相率いるUPA政府は、肝心の経済政策がリーマン・ショックやユーロ危機などで阻害されたのみならず、その改革路線は与党内の守旧派の抵抗に会うことが多かった。長期政権は汚職も招き、有権者の飽きも誘った。国民会議派のプリンス、ラフール・ガンジー副総裁(暗殺された故ラジブ・ガンジー首相とソニア現国民会議派総裁の長男)は、期待に反して党を勝利に導くどころか44議席しか取れず、栄光ある「ネルー・ガンジー王朝」の落日を印象付けた。

 モディ首相は、2001年から今回の選挙直前まで、グジャラート州首相として経済政策で指導力を発揮し、投資誘致の大胆さと成功は、とくに注目された。「躍動するグジャラート」がモディ州首相の標語であった。タタ自動車による西ベンガル州での超小型自動車(ナノ)工場建設計画が頓挫するや、直ちにグジャラート州の州有地を提供し、また、スズキの第三工場の同州誘致を決めた。
 モディ首相は、低いカースト階級出身で、子供の頃は街でお茶を売っていた。長ずるにつれヒンズー・ナショナリズムに共感を覚え、大きな影響力を発揮しつつあったRSS(民族奉仕団)に入会した。1985年にはその政治ウイングであるBJPに入り、次第に頭角を現した。2001年にグジャラート州の首相に就任した。2002年、グジャラート州において列車火災事故が発生し、巡礼帰りのヒンズー教の約60人が亡くなったが、これはイスラム教徒の襲撃によるものだとの噂が流れ、過激なヒンズー教徒がイスラム教徒を襲った。モディ州首相は、その取り締まりを怠った、ひいては煽ったのではないかとの批判を浴びた。 
 他方、クリーンで正義感が強い。
 今回の総選挙においてモディ首相は、同州の成功をインド全土に広げて経済振興を図ることを約束したほか、「最小の政府で最大のガバナンス」の標語を掲げて政治の刷新、汚職追放などを訴えて、人心を掌握した。 

 モディ首相は、組閣に当たって閣僚の年齢制限を75としてBJPの長老を「敬して遠ざけ」、若返りを図った。閣内・閣外の閣僚を合わせて46人とし、前政権の70人から3分の2に減らした。閣内大臣のうち4人は、連立パートナーの4党から起用した。女性閣僚は7人。閣僚の平均年齢は約58歳。
 モディ首相は、早速閣僚に対し、各省におけるネポティズム人事の廃止、家族親戚の関係する企業への政府調達の禁止を指示した。

 今回も、インドの民主主義はよく機能した。カースト差別や格差はあるものの、インドでは民主主義プロセスが定着していることを証明した。
 インドの政権交代は、国政でも州でも選挙で決まる。独立後、一度もクーデタも軍事政権もない。開発途上国では、稀な例である。軍は極めて強い文人統制のもとにおかれている。民主主義を発展・監視する役割を持つマスコミは、政府批判を厭わず、大きな影響力を発揮する。裁判所とくに最高裁判所は、憲法や法律を守るだけではなく、政治に積極的に介入し(積極的司法)、善を慫慂、悪を正す正義の味方である。国民の意識や参政意欲と合わせ、軍、マスコミ、司法がインド民主主義を支える柱であり、政治家もよき伝統に従う。
 インドではカースト差別は違憲・違法であるが、長い間ヒンズー教に根差してきたため社会に広くはびこっている。このような不正・不当な扱いの是正を求める低カーストの参政意識は強く、総選挙でも州議会選挙でも、イスラム教徒と並んでキャスティング・ボートを握る選挙区が多い。低カーストはさらに組織化され、大衆社会党(BSP)や社会党(SP)等の低カースト優先の政党が誕生し、最大の州であるウッタルプラデシュ州では政権を取ってきたが、今回の総選挙では、このような特定カースト中心の政党は、BIPとその友党の躍進により壊滅的な打撃を受けた。この点が、国民会議派の敗北と並ぶ今次総選挙の特徴である。

 インドは、日本を尊敬し日本人を高く評価する親日国である。BJPも、コングレス同様、親日だ。
 とくにモディ首相は親日家として知られる。モディ首相は、隣国ブータンを除いては、最初の訪問国としてわが国を優先する姿勢である。モディ首相の改革志向の経済政策は、アベノミクスをもじってモディノミクスと称され、インド内外の期待が大きい。BJPは、外交安全保障政策上、中国に対して国民会議派以上に厳しい認識を持っており、この点も日本にとって心強い。
 敬虔なヒンズー教徒であるモディ首相は、わが国を仏教国であると認識し、日本との精神的つながりを重視する。仏教は、釈迦がかつてのバラモン教(現在のヒンズー教の原型)を改革したものであり、その教えには共通項が多いからである。インドは、日本人の資質を評価し、日本の協力によるインフラ建設、日本企業の対印進出、さらにアジアの平和と安定のための日印安全保障協力に期待するが、モディ首相にはその傾向が強い。
 安倍総理とモディ首相はウマが合う。総選挙での圧倒的な勝利と国民的人気の点でも安倍政権と似ている。日印関係は、多くの考えを共有し、ともに長期政権を予想される両首相によって、さらなる高みに登ることを期待したい。

[「自警」2014年7月号「日本から見た世界 世界から見た日本 第40話」より転載]