エジプトでこの夏に何が起きたか

エジプトで起きたことはアイデンティティを巡る闘争であった。エジプトは2000年に渡りイスラム教徒とキリスト教徒が平和共存する世俗国家であった。ところがアフガニスタン戦争やイラク戦争の後に、欧米諸国は中東各国にかれらが自ら望むような政府を樹立するのではなく、テロリストやイスラム過激派を抑え込むことを期待して、穏健派イスラム政府の樹立を金銭的・政治的に支援するようになった。こうして起きたのがいわゆる「アラブの春」であり、エジプトでは大統領選挙の結果を受けて、反ムバラク勢力の支持も受けたモルシ氏が2012年6月30日に大統領に就任した。
モルシ大統領は、大統領就任時に下院が解散されていたこともあり、行政権と立法権の両方を手にした。これは当初ごく短期間のことと想定されていたが、ひとたび権力を掌握するや、モルシ大統領は、キリスト教徒や女性を副大統領とするといった事前の約束を反故にした。そしてエジプトは、国政に正式の権限のない17人のムスリム同胞団のGuidance Boardにより国家運営が行われる状況となり、イランのような神権政治が始まった。
それからモルシ大統領は、多くの悪政を行った。例えば大統領は就任から三週間後にアルカイダ指導者のアイマン・ザワヒリの兄弟ムハンマド・ザワヒリやサダト大統領暗殺犯を含む650人以上の収監者に特赦を与え、こうして釈放した人々を10月6日の陸軍記念日に国家の英雄に列する扱いで遇したばかりか、ルクソール事件の犯行仲間をルクソール県知事に任命して地元住民の強い反発を招いた。また独立性が確保されるべき法務長官を解任して自らの権限を強化し、11月21日には憲法に関する宣言を出して、大統領の行動を最高裁判所が阻止できないようにした。こうしてモルシ氏はいわばスーパー大統領となったが、これが危機の発端となった。
例えば、その後大統領への助言者20人のうち14人が辞任し、12月5日にはムスリム同胞団に抗議する若者達が殺害された。その間にモルシ大統領はイスラム教色の強い憲法草案を委員会に起案させ、ムスリム同胞団に最高憲法裁判所を取り囲ませて、判事たちが職務を遂行できないようにした。また大統領は適性とは関わりなくムスリム同胞団のメンバーを公職に就ける一方、治安の回復やガソリン不足の解消などの公約実現に取り組まなかった。この間にガザ地区と接するシナイ半島北部では、モルシ大統領が特赦を与えた650人以上のグループが6000人以上に勢力を拡大しながら、更に地下トンネルを通してハマスの支援を受けながら、過激なテロ活動を続けた。その上にモルシ大統領はスエズ運河の土地の権利を湾岸の某国に貸与する計画も進めた。
このようなモルシ大統領の非イスラム教徒を排除した政策が国家分裂をもたらすことを憂慮した若者達が、今年4月末から大統領就任一周年となる6月30日を目処に早期の大統領選挙を求める署名活動を開始することになり、最終的にはモルシ氏が前年の大統領選挙で獲得した票の二倍近い2200万人以上の署名が集められた。そして6月30日を一週間後に控えた時期に、陸軍司令官が全政治勢力による話し合いを呼びかけたのである。しかし大統領はこの提案を拒否し、6月30日にはBBCによる推計で3200万の人々が街頭に出てデモンストレーションを行う事態となった。陸軍司令官は内戦のような状況を避けるため話し合いの期限を更に48時間延長したが、大統領は国民の意思を無視し話し合いの提案を拒否した。最終的に陸軍の最後通牒期限後にモルシ大統領は職を解かれ、最高憲法裁判所長官アドリ・マンスールが暫定大統領にまた優れたエコノミストが首相に就任した。こうした事態をクーデタと呼ぶことは、(アメリカ合衆国独立宣言の一節を読み上げて)、このようなアメリカ合衆国独立宣言の精神にも合致しない。

民主主義への復帰に向けて

  現政権は民主主義に復帰するためのプログラムの履行に取り組んでいる。新政権は10人の法律家に2012年憲法の見直しを求め、既に大統領に報告書が提出された。現在はムスリム同胞団を含む全エジプト社会を代表する別の50人の委員で構成された委員会が二ヶ月間の期限で憲法の最終草案を起案しており、この作業は11月第一週に終わる予定になっている。新しい政治プロセスには、平和主義の立場である限り、ムスリム同胞団、サラフィー主義、女性、キリスト教徒を含む全ての政治勢力の参加が歓迎されている。
この委員会と並行して、別の二つの委員会も現在活動を行っている。一つは国民和解委員会であり、移行期の正義に関する国民和解の採択を目指している。もう一つは、6月30日以降に起きた出来事を記録する委員会である。この委員会は、エジプト全体で起きた暴虐や建物の破壊などの事件について、具体的に誰が何をしたのか、誰に責任があるのかを究明することを目的としている。
11月第一週に憲法草案が大統領に提出された後には、その是非を問う国民投票が行われ、新憲法が採択された後には、60日以内に議会選挙が行われる予定になっている。更に新議会の第一会期の一週間後に、大統領選挙が行われることになっている。このため一連の国内のアジェンダが完了するまで、更に6,7ヵ月かかる見通しである。
現在の大きな問題は、欧米諸国がエジプトや「アラブの春」諸国に対する立場を見直すかどうかである。この点において、サウジアラビア、アラブ首長国連邦、クウェート、バーレーン、オマーン、ヨルダン、イラクなどの指導者がエジプトで現在起きていること、またエジプトの安定が中東の安定にとり重要であることに理解を持っていることを指摘しておきたい。またムスリム同胞団は、現在60ヵ国に支部を持ち、その最高指導者はトルコ首相などよりも高位であると主張していることなど問題の複雑さにも留意する必要がある。

(文責、在事務局)