『インドの文人外交官の日本礼賛』
2013年8月15日
平林 博
日本国際フォーラム副理事長
戦前、フランスの有名な劇作家・詩人・外交官であったポール・クローデルは、1921年から27年まで駐日大使を務め、欧米に対し日本賛辞のメッセージを送り続けた。日本の伝統芸術である能、歌舞伎、文楽を愛し、寺社や城郭をめぐり、芸術家や作家と交じり合った。京都に今でも残る日仏会館を設立した。関東大震災に際しては、自国人のみならず日本人被災民にも温かい手を差し伸べた。有名な「繻子の靴」(Le Soulier de satin)は、日本滞在中に書かれたクローデルの代表作である。
現在、インドの在大阪・神戸総領事として活躍中のヴィカス・スワループ氏は、世界的に有名な作家である。2005年、「僕と1ルピーの神様」で作家デビューしたが、この作品は「スラムドッグ$ミリオネア」と題して映画化され、2008年に8部門でオスカー賞に輝いた。
筆者は、「日本から見た世界、世界から見た日本」シリーズにおいて、日本と日本人が世界でどれだけ高く評価されてきたか、好感を持たれているかを伝えてきた。
今回は筆者自身の観測ではなく、現代インドの「クローデル」とも言えるスワループ総領事が、大阪で行った講演の抜粋をそのままお届けする。(以下は筆者の抄訳)
妻と私は、トルコ、米国、英国、エチオピア、南アフリカに勤務した後、2009年に日本にやって来た。日本は科学と革新にあふれたワンダーランドだった。しかし、日本人の素晴らしさは想像を超えていた。
日本はユニークだ。多様性、(歴史の)古さ、複雑さ、更に国民の同質性と独特の文化。社会は文化的価値で決まると考えるが、日本は強い価値観と倫理観のあるまとまりのよい社会だ。ある日本人学者は、欧米人はデジタルだが日本人はアナログだと喝破した。欧米人は「個」を重視し、自分を規定するのに他人を必要とはしない。日本人は、アナログ時計の文字盤のように、大きなシステムの中で動き、他の人との関係で自己の価値を見出す。
南アフリカでは、我々の自宅には8つの鍵と二重のグリルの柵があり、探知機と警報機に囲まれて住んでいた。日本では、家に鍵をかけないで外出する。女性は深夜でも自転車に乗っている。小学生は一人でも登校下校する。安全は至る所にある。
しかし、真に驚くのは、財布を置き忘れても戻ってくることだ。日本の友人が、私になぜ日本で小説を書かないのかと聞く。私の小説では、現金の入ったブリーフケースやダイアモンドが他の手に渡ったりすることが筋書きになる。しかし、日本では意図的に財布を落としても、誰かが拾って後を追いかけて渡してくれる。これでは小説にならないではないか!妻が雲仙で携帯電話を落とした。2時間後、警官がホテルにやってきて、観光客が交番に届けた携帯電話を渡してくれた。
従って、最も驚くべきは日本人そのものである。私が人生で知り合った最もナイスな人々であり、親切さは心を打つ。道を聞いても、日本人はスマートフォンで行き先を探し、目的地まで案内してくれる。
「和」は重要だ。交通渋滞でもクラクソンを鳴らさない。壁に落書きもしない(筆者:そうでもない奴がいる)。道にごみを落とさない。お互いを尊重し、邪魔をしない。電車は整列して待ち、定時に到着する。約束の時間は守る。人々は環境を大切にする。ほかの人が心地よく過ごせるために、最善の努力をする。カスタマーサービスは秀逸だ。日本はこまやかな心遣いの国だ。大阪に着いたときに最初にやってきたのが警察官であった。ほとんどの国では、警察官が自宅にくるときは手錠をかけに来ると相場が決まっている。大阪では、警察官は挨拶代りにと、ブドウを持って来た。
日本人が伝統やセレモニーを重視することも好きだ。各種行事も祭りも、季節による違いが見事だ。
伝統文化と同様、宗教も生活と一体になっている。インドのように、町のどこでも寺や神社がある。京都では1600の寺と400の神社がある。息がつけるオアシスだ。どこの寺社に行っても誰かがお参りしている。忙しい生活を送っているはずだが、精神を養う時間を見出すのだ。日本の美は宗教から由来する。インドでは「真理は美」だが、日本では「美が真理」だ。
日本は自然が美しいが人工美もある。世界最長の明石大橋、最高の電波塔スカイツリー、最速のスパコン「京」などなど。日本の美は、人間の丈に合わせている。
日本の自然美は内的な美に深化し完成する。わび・さび、もののあわれ、間(ま)等だ。これらが日本の建築、庭園、音楽、いけばな、和歌、書、茶の湯、さらには現代の生活品や住居に反映している。ささやかな弁当も一種の芸術だ。食事は、まず「目で食する」ことから始まる。
東京は世界で一番レストランが多いが、一人あたりの自動販売機数もそうだ。技術が生活の不可分の一体となっている。世界最古の弾丸列車、ウオッシュレット、耐震・免震のビル、ロボット式の駐車場、バーやレストランのタッチスクリーンのメニュー、空港でのペーパーレス・チェックイン、ロボット式の電気掃除機、真四角の西瓜!
日本の都市は、最も組織化されており、最もクリーンだ。公共交通も発達している。早くて便利で時間に正確だ。郵便と宅配便は、もうひとつのワンダーだ。
日本では、名誉、忠誠、分かち合い、犠牲といった観念が生きている。2011年の東日本大震災の際、世界中の人が日本人のこの特性を見た。地震と大津波を前にして沈着冷静、相互扶助、パニックもヒステリーもなかった。不平不満も争いもなかった。他では通常みられる盗みもなかった。
日本に来た者は誰もが日本を愛するようになる。帰国する者は、日本人のそのような素晴らしさを胸に抱いて帰る。当然だ。
日本から学ぶものは多い。伝統を大事にしながら近代を生きる。義務を威厳と名誉をもって果たす。日本は21世紀のリーダーの資質を示してくれる。
日本から得たもので特に心に残るのは、平和(sense of peace)だ。この忙しい世の中で完全な静謐を経験することは稀である。我々は、それを日本で経験した。
[「自警」2013年8月号「日本から見た世界 世界から見た日本 第29話」より転載]