歴史問題とは何か

近年、歴史問題をめぐる論が世界各地で繰り広げられているが、すべての歴史問題が国際政治問題となるわけではないし、またその全てにおいて謝罪がなされるわけでもない。では、なぜ特定の歴史問題だけがある国・地域で重視されたり、されなかったりするのか。この問いに答えるためには、まず歴史問題とは何かを明らかにしなければならない。歴史問題とは、「事実を究明する」過程と「その事実から『正しい教訓』を導き出す」過程という、2つの過程に係る問題であるが、歴史はそもそも「不完全なもの」であり、また私たち自身も過去を完全に知ることは出来ないという難しさがある。一方、歴史の当事者による認識は、しばしば強烈な感情と衝動を伴ったものとなるが、個人の記憶はあやふやであり、生まれ育った時代やイデオロギーによって左右されることも否めない。さらに、政府やエリート層などによって、事実そのものが歪曲されることもあり、その場合は「事実の究明」自体が非常に困難な作業となる。

歴史問題の国際政治問題化

歴史問題が国際政治問題化する要因としては、民主化やそれに伴う政治の多元化に加え、さらに政治機構の変化、人権意識の高揚、国際的・地域的な相互依存の深化といった要因が挙げられる。これらの政治的・経済的・社会的要因は、時に政府やエリート層、さらには戦争被害者団体などの歴史観を補強し、それをさらに強く内外に対して主張する原動力にもなる。また、民主化や相互依存の深化は、戦争被害者団体などに国際世論を後ろ盾にした発言力の拡大を促し、政府やエリート層によるこれらの動きのコントロールを難しくさせる。このため、歴史認識をめぐる論争は、外交問題ないし国際問題に発展する可能性が大きい。このような事態に直面したとき、国家がそれに対応するに方法は、2つある。1つ目は、「損害限定(damage control)」であり、歴史問題を政治的アジェンダとするのを避ける方法である。1945年から1980年代にかけて、多くのアジア諸国は権威主義体制であったが、そこでは人権意識が希薄で、かつ各国間での相互依存度も低かったため、歴史問題を政治的アジェンダから除外することが可能であった。しかし、各国の相互依存が深化し、共通利益の確保や重層的な政策提携などが模索されるようになった1980年代から2000年になると、もはや「歴史について語らない」ことは許されなくなった。この段階において国家は、2つ目の方法である「和解(reconciliation)」へと政策を転換する。これは日本で言えば「河野談話」などに代表される路線転換である。しかし日本は、2000年の中頃になると「謝罪疲れ(apology fatigue)」に陥り、その反動として小泉純一郎元首相の靖国神社参拝や安倍晋三元首相の慰安婦発言などが顕在化し、日中・日韓関係は急速に冷却した。現在は、中国と韓国のロビイング活動と圧力により、日本は国際的な世論からも孤立した状態に追い込まれている。

日中韓の歴史認識と今後の見通し

 日本は現在、中国や韓国との間で歴史問題を抱えているが、その際「損害限定」と「和解」のどちらの対応策をとるべきなのだろうか。中国では、1980年代以降実施された「反日愛国教育」によって、民衆の間に広く、深い反日感情が根付き、それが草の根の反日デモなどとして全国的規模で展開されるようになり、歴史問題は「政治の道具」と化している。日本が中国と「和解」する状況が整っているとは言えず、かといって「損害限定」をする余地があるとも思えない。これに対し、韓国では、反日感情を抱くことは「国家のアイデンティティ」になっているとも形容できるが、同時に日韓両国は、基本的な価値観を共有しており、その意味では韓国との「和解」は将来可能かもしれない。日中韓が歴史を共有することは難しく、現在は「冬の時代」とも言えるが、新たな指導者たちが、そのリーダーシップを発揮し、歴史問題を乗り越えていくことを望む。

(文責、在事務局)