シリア統治体制の特徴

シリアの統治体制は軍部と強固に結び付いている。アサド大統領は、シリアでは少数派のアラウィー派の出身であるが、同宗派に属する者を軍部、諜報機関、与党バース党などの主要ポストに配置している。しかし、アラウィー派全体がシリアを支配し、政権からの利益を享受している訳ではなく、シリア国民の大半がそうであるように、アラウィー派も経済的に恵まれておらず、反体制の者や政治犯として捕われている者もいる。アサド大統領は、軍と治安部隊の要所にアサド一族の者を配置し、軍部の結束を維持している。例えば、大統領の弟マーヘルはシリア軍の中で最も整備された第4部隊と共和国親衛隊を率いている。このように、アラウィー派や一族の者の登用で、軍の体制への忠誠および結束を確実なものとする一方で、アサド政権は、スンナ派の一部のビジネス・商人階級とも親密な関係を構築し、政治的な安定をより一層強固なものとしている。

抗議運動の発端および背景

シリアにおける反体制運動の兆候は、2011年2月から見られた。エジプトで発生した反体制デモの犠牲者の冥福を祈るため、エジプト大使館の前でろうそくを灯した民衆が逮捕される結果となった。シリアの体制に対する民衆の怒りが噴出した最初の事件は、2月19日にダマスカス中心部で起こった。警官に叱責された商人の息子が警官に立ち向かい、他の商人もこの青年の行動を応援し抗議を始めたため、内務大臣が自ら仲介と事態の収拾にあたった。シリアにおける本格的な反体制抗議運動は、3月にシリア南西部のダラアから始まり、政府は死者を出して、この抗議活動を鎮圧するとともに、逮捕・拷問するなどの取締りを行った。現大統領の父であるアサド前大統領は、軍や治安部隊だけでなく、官僚機構や与党バース党などを利用して独裁体制の影響力を社会のあらゆる階級に浸透させ、国民を統治していた。他方で2000年に就任したアサド現大統領は、様々な機構を利用する父の支配のメカニズムを受け継がず、アサド一族を要職に就け、権力を一族で独占することで支配体制を強化しようとした。アサド前大統領の体制は個人支配が特徴であったのに対し、現体制の特徴は一族支配だといえる。汚職の蔓延、経済状況の悪化、地方部と都市部の格差の拡大などを放置した現体制下で、民衆は不満を募らせ、「アラブの春」に触発されたことで大規模な抗議運動につながったといえる。

反体制派の実態と動向

主にシリア軍の離反兵で構成される「自由シリア軍」は、組織化されていない。これら離反兵の多くはスンナ派の下級兵士であり(シリアの人口の70%以上はスンナ派)、抗議運動鎮圧の目的で町に入った際などに離反し、反体制派の活動家によって保護され、財政的・精神的支援を受けている。反体制派は、平和的・非暴力的な抗議活動を行なう活動家がいる一方で、暴力の連鎖により抗議運動が過激化するのを当然視する勢力もいる。5月に発足した地域間調整委員会は、反体制派と国際メディアを結び付ける活動を行なうとともに、シリア国民に対し、抗議スローガンを発信したり、声明を発表したりし、抗議者に対しどこへ行き、どこで集まり、いつ逃げるべきかなどの指示を与えている。アルジャジーラは、同委員会のメンバーをシリア特派員として雇い、シリア情勢に関する報告を毎日直接受けている。

抗議活動の行く末

 現在のところ、シリアではだれからも何らの政治的解決も示されていない。このままでは、シリア政府による民衆の弾圧が継続し、軍部の下級兵士による離反が加速し、更には体制側が宗派間対立を扇動していることで、スンナ派が圧倒的に多い同国において実権を握る少数派のアラウィー派との間で紛争が勃発する可能性が危惧される。「自由シリア軍」がシリア軍に比べ依然として脆弱であることから、国際社会では外国による軍事介入を求める声もあるが、現実には各国とも「現状変更よりは現状維持が望ましい」とする本音があり、その動きは鈍い。シリア政府が政治的解決策を提案せず、反体制派の存在も要求も認めない状況が続けば、現体制を支持する側と反体制派を支持する側の両方からの国際的干渉を招くことになるだろう。シリアの危機は、アサド体制対反体制勢力という国内的な対立から、シリアをめぐる地域および国際的な争いへと転換しているといえる。

(文責、在事務局)