在任中の主な出来事

2008年7月末に赴任して1週間後にロシアのグルジア侵攻、その冬にイスラエルのガザ攻撃、ウクライナを経由するパイプラインをめぐる供給危機という、EUにとって重要な国際問題が次々に発生した。翌年は経済金融危機が波及し、中国などの経済力の増大を反映する「グローバルパワーシフト」によるEUの国際社会における地位の低下をめぐり、EU内で懸念が持たれるようになった。欧州統合の側面では、対外関係を強化する役職やEUの外務省にあたる「欧洲対外活動庁」創設を盛り込んだ画期的なリスボン条約が2009年12月1日に発効し、その履行をつぶさに追うことになった。同年暮頃から、北アフリカ・中東の民主化の動きが広がり、リビアに対する多国籍軍、後にNATOによる軍事行動がとられた。この間、政権交代や尖閣問題など日本も激動し、さらに離任の挨拶のときには日本全土が放射能に被われているかのような誤解の払拭に追われた。

日本とEU

1991年のハーグ宣言は、経済・通商一辺倒の関係を包括的な協力関係に拡大させるものであったが、相互の関心が十分に高まらなかった。EU側はアジアに戦略的な利害を持つ国々が限られ、他方、日本は国際社会におけるアクターとしてのEUを十分に認知してこなかった。しかし、EUの対中政策や対ロ政策は日本に影響を与えうる。他方、日本とEUは、発展段階が同レベルであるので、グローバルな問題については共通の利害を持つことが多い。とくに、グローバルパワーシフトの時代では、国際社会における法の支配を維持する上で、EUは極めて重要なパートナーである。

今後の日EU関係など

 私は、EUと日本の間の政務関係の協議を推進したほか、双方の市民にわかりやすい、日EU間の協力案件として、災害防止救難分野での協力を1年以上前に構想し、日本政府の提案するところとなり、震災前の3月4日のファン=ロンパイ欧洲理事会議長のスピーチで「ウエタ・イニシアチブ」として言及された。5月28日の日EU定期首脳協議で打ち出され、様々な協力がなされよう。
なお、直接、日EU関係にはかかわらないが、昨年10月のASEM首脳会議のときの日中の首脳の接触をめぐる状況から、大使級の安全保障対話を毎週定例で開催する、事務レベルの恒常的なアジア太平洋安全保障対話・協議の場を東京に設置することが急務であると痛感した次第である。

(文責、在事務局)