キルギス情勢混乱の現状と背景

キルギス共和国は、ソ連崩壊に伴う分離独立後の一時期には「中央アジアのスイス」、さらには「民主化の優等生」とさえ称賛されたこともあったが、2005年3月(チューリップ革命)と本年4月の2度にわたる政権崩壊を経て、現在は暫定政権による不安定な統治が続いており、ソ連崩壊後のこの地域で初めての「破綻国家」となる可能性さえ懸念されている。とくに同国南部では、キルギス人とウズベク人の民族抗争が激化し、またその抗争に便乗した略奪や殺人等の不法行為が多発しており、収拾困難能な事態に陥っている。このような同国南部の混乱の背景には、スターリン時代に引かれた恣意的な国境線による民族抗争の温床に加え、本年4月に失脚したバキーエフ前大統領の支持派による暴動扇動があるとみられる。彼らは、イスラム原理主義勢力や、麻薬密輸に関与する地下組織に資金援助をしているとされ、同国南部地域の混乱に拍車をかけることで、同国北部に拠点を置く暫定政権の政治的正当性に揺さぶりをかけている。

キルギス政治の不安定化の根本的原因

キルギス問題の本質は、「なぜキルギスでは民主的制度が定着しないのか」という点にある。政治的、経済的、社会的な要因が混在するが、中でも根本的な要因は、キルギス社会の政治システムが、基本的に部族や氏族への忠誠心に依拠した権威主義的なものであることによる。政権が連続して崩壊した同国の政治情勢の背景には、議会制民主主義の衣をまとった政府が成立しても、国民に個人主義が確立しておらず、やがて氏族的な権威主義に流れ、国民の不満や幻滅によって政権の転覆へとつながるためである。次に成立した政府も同じ経過をたどるという悪循環がみられる。さらに、同国人口の大半を占めるフェルガナ盆地地域は、複雑で過密な民族分布があり、同国南部へのイスラム系テロ組織の流入、違法薬物の蔓延、混迷の続くアフガン情勢の影響等といった不安定化要因が、その政治的不安定性を加速化している。

キルギス情勢にロシアが介入しない理由

キルギス情勢の安定化に向けた方途として、集団安全保障条約機構(CSTO)を通じたロシアの介入の可能性が指摘されているが、実際には、(1)CSTO は、介入のために緊急動員できる制度上の国際部隊を保有していない、(2)CSTOの介入を要請するキルギス共和国の暫定政府が、正当な政府として要請資格を有しているか否かをめぐって、CSTO内で関係国の意見が割れている、(3)ロシアの介入を認めれば、今後のロシアの同様の事態に対する介入の前例となることを、ウズベキスタン、アルメニア、ベラルーシなどが懸念している、などの理由から実現をみていない。従って、CSTOがキルギス問題解決に積極的な役割を果たす可能性は低い。また、ロシアの単独介入の可能性については、キルギス国内情勢に破綻国家化を予想させる泥沼的な要素があるうえ、キルギス自体には石油、ガスなどの天然資源がほとんどなく、ロシアにとって介入するコストと利益の計算が成り立たないことも一因となっている。これは2008年8月にロシアがグルジアに出兵したときの状況とは違う。グルジアは、ロシアの石油輸出パイプラインの経由地だからだ。

「ニュー・グレート・ゲーム」の活性化と今後の展望

 他方、同国に軍事的基地(マナス基地)を有し、その情勢悪化を恐れている米国は、欧州安全保障協力機構(OSCE)の枠組みでキルギス問題に対処することを提案している。米国には、OSCEを活発化させることで、ロシア主導のCSTOが中央アジアの支配的な安全保障枠組みとなることを牽制する狙いがある。そのような中、中国は、自国と国境を接する中央アジア地域における米国の動きに警戒心を持っている。また、米、露、中に加え、イラン、トルコ、インド等の地域的プレイヤーも中央アジア地域に影響力を及ぼしており、現在、この地域は、19世紀の英露を中心とした帝国主義的抗争を髣髴とさせる「ニュー・グレート・ゲーム」の様相を呈している。同地域において繰り広げられるこのような大国間ゲームのもとで、中央アジア諸国は、国家的統一と地域的統合という二重の課題をめぐり、当面、苦悩することが予想される。

(文責、在事務局)