第46回外交円卓懇談会
「イスラエルから見た世界情勢の動向」
第46回外交円卓懇談会は、エフライム・ハレヴィ・ヘブライ大学戦略政策研究センター所長(前モサド長官)を報告者に迎え、「イスラエルから見た世界情勢の動向」と題して、下記1.~5.の要領で開催されたところ、その冒頭講話の概要は下記6.のとおりであった。
1.日 時:2009年2月17日(火)午後3時より午後4時半まで
2.場 所:日本国際フォーラム会議室
3.テーマ:「イスラエルから見た世界情勢の動向」
4.報告者:エフライム・ハレヴィ ヘブライ大学戦略政策研究センター所長(前モサド長官)
5.出席者:19名
6.報告者講話概要
エフライム・ハレヴィ・ヘブライ大学戦略政策研究センター所長(前モサド長官)の講話概要は次の通り。その後、出席者との間で活発な質疑応答が行われたが、議論についてはオフレコを前提としている当懇談会の性格上、これ以上の詳細は割愛する。
1947年の国連パレスチナ分割決議に基づいて、イスラエルは48年5月14日建国を宣言したが、15日には国境を接するアラブ諸国が攻め込んで来て第1次中東戦争になった。イスラエルは戦争には勝ったが、以後敵対国に包囲される孤立状態のなかで生きてきた。1956年の第2次中東戦争では敵国だったエジプトを英・仏と共に攻撃して勝利を収めたが、米国、ソ連の反発で撤退することになった。以後イスラエルの歴代首相は、この孤立状態を改善するため、二国間、地域的、世界的の3つの次元で努力してきた。まずイラク、シリア、エジプトという敵の、それぞれの敵であるイラン、トルコ、エチオピアとの関係を改善し、ついでアラブ世界の辺境にあるモロッコと友好関係を築いた。さらに、われわれは物事を世界的に見なければならないことを知っており、その観点から冷戦時代のスーパーパワーである米国と友好関係を結ぶ合意に達し、米国から西側諸国の一員として認められるようになった。そしてイスラエルは、さらに他の西側諸国、独立を果たしたシンガポールやアフリカ諸国を含めより多くの世界各国と友好関係を築いてきた。しかし、当時は冷戦の真っ只中にあり、中東は両陣営の勢力争いの舞台となり、新兵器の試験場となった。転機となったのは、エジプトとの関係改善である。モロッコの橋渡しで、イスラエルは1978年、エジプトと平和条約を結んだ。
1980年に始まったイラン・イラク戦争、そして1991年からの湾岸戦争においてイスラエルはどちらの側にも加わらなかった。とくに湾岸戦争のときは、イスラエルはイラクから数十発のミサイルを打ち込まれながら、なおかつ反撃もせず、じっと耐えた。理由は、ここでイスラエルがイラクを攻撃すれば、戦争がイスラエル対アラブ諸国の戦いにすり替えられるおそれがあったからである。これは、イスラエルが物事を地域レベルや、ましてイラクとの二国間関係レベルだけでは見ておらず、世界的視野で見ていたことを意味する。今回のガザでの衝突についても、アッバース・パレスチナ自治政府大統領は、反イスラエルの国際世論の支持を得て、国連決議を有利な内容で成立させようと努力したが、失敗し、またもアラブ諸国が一枚岩ではなくなったことを露呈した。
世界的不安定の3つの中心は、(イ)核兵器などの大量破壊兵器の拡散、(ロ)イスラム過激派によるテロ活動、(ハ)原油価格高騰から始まった今日の世界的経済危機であるが、これら3つの問題はいずれも中東に根ざしている。そして、イスラエルは中東に位置する国家であると同時に、グローバル・プレーヤーでもある。イスラエルは、中東和平のキープレーヤーであり、イスラエルの存在を否定することは、もはやだれにもできない。レバノンのヒズボラも、ガザのハマスもイランの傀儡だが、ともにイスラエルによって撃破され、イランは面目を失った。イスラエルは中東で一番民主的な国家であり、先端的な科学技術と産業をもち、その軍事力は強固である。今、イスラエルは独立以降初めて、孤立した国ではなくなり、国際社会の一員として認められ、尊敬される国になった。イスラエルと日本は長年にわたって友好関係にある。イスラエルにとって日本は巨人であるが、日本にとってもイスラエルは良好な関係を築くメリットのある国だと思う。
(文責、在事務局)