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2009-09-09 09:52
(連載)この国の来し方行末(3)
野田 英二郎
元駐インド大使
わが国が、明治年間に、日清・日露の両戦争で勝利し、更に第一次大戦での勝者となり、世界の一等国の仲間入りをしたという急速な地位の向上によって、わが国の政府及び軍は、国際的孤立も意に介しない自信過剰に陥ったのである。戦前戦中の日本の国の機構は、文字通り神格化された天皇を頂点とした組織であった。これは、上記のとおり、自らの行動を「常に正しい」とする無謬性に安住していたのみならず、同時に、従ってまた、如何なる結果にも責任をとろうとはしない体制でもあったといえよう。日本軍の戦争犯罪について、戦勝国の「極東国際軍事裁判」により裁かれる以外に、国内でこれを追求する動きは全くみられなかった。
最も大きな問題として、現在のわれわれ日本国民が振り返って考えるべきは、特に1937年以降、わが国が長期にわたり、大義名分に乏しい泥沼のような中国での軍事行動にのめりこんだ末、更に、あれだけ桁違いの生産力をもち、長期戦では勝てる自信のなかった米国に対して、無謀にも開戦し、太平洋戦争をおこし、その結果、全国殆どすべての都市が焼土と化し、軍人を含め300万人以上の国民が犠牲となり、海外領土もすべて失うことになった、という有史以来の大失態につき、日本国民に対しては、何人も責任をとろうとしなかったということである。上記が敗戦までの日本の姿であった。
わが国は、1945年8月15日、ポツダム宣言を受諾して、降伏した。このことは、わが国が、その陸海軍による軍事行動を停止し、降伏するのみならず、同宣言に記されている軍国主義的政治権力の除去、民主主義的傾向の復活強化、基本的人権の尊重等を約束したことを意味する。そして、マッカーサー元帥が率いる連合国最高司令部(SCAP)の強力な指導による占領行政が開始された。翌1946年1月には、昭和天皇による「人間宣言」が発せられ、明治憲法の「国体」の根本にあった天皇の神格は否定された。1947年施行の新憲法は、その基本理念として、平和主義、主権在民、基本的人権等の人類普遍の諸原則を守るべきことを強調した。占領軍の指令により、政治犯の釈放のほか、「法の下の平等」の原則による華族制度の廃止、婦人参政権の確立が実現し、更に「教育勅語」を無効とし、教育の目的を、世界平和と人類の調和に貢献する人を育てることにおくとする教育基本法なども制定された。
このように、終戦後の日本が、明治憲法下の体制から、平和主義と民主主義の新しい体制へと転換したのは、ポツダム宣言受諾という国際的公約を実行するためであった。東京を含め日本全国の大都市は殆ど例外なく空襲をうけて、焼土と化しており、筆者自身を含め、一般国民は空腹と栄養失調に苦しんでいた。国民の大多数は、「主権在民」などの民主主義の政治理念についての理解の程度如何はともかくとして、戦時中のお先真暗の苦しい生活に喘ぎ、政治の在り方に失望していたので、戦争をしない平和な時代がきたとして、これを率直に歓迎したのである。(つづく)
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