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2021-12-21 11:08

(連載1)拡大抑止の信頼性を向上させるために

笹島 雅彦 跡見学園女子大学教授
 11月15~18日にかけて、「バイデン政権は核の『先制不使用』宣言を出すべきでない」を投稿したところ、有意義な反応(11月29、30日)を示してくださり、ありがとうございます。こうした疑問点を提起してくださることで、核抑止論について、建設的な議論が深まることを期待しております。
 
(抑止の3条件)
 さて、言葉の定義や核抑止機能の証明の限界については、考え方の出発点として基本的に共有するところです。抑止機能は、一般的に、相手が敵対行動に出るならば、耐え難い軍事的報復を行う意思と能力を持っていることを事前に明示し、相手が有害な行動に出ることを思いとどまらせることです。その抑止が成立するためには、報復する意思の明示、十分な報復力、状況についての理性的な相互理解という3条件が必要とされます。ところが、現状維持が保たれているとしても、それが軍事力の抑止機能によると証明することは困難です。冷戦時代の緊張下、旧ソ連の意図は事前にわからなかったし、政治指導者が理性的な計算を尽くしているか、怒りに任せて核のボタンを押してしまわないか、わからないわけです。
 核抑止論の原点は、海軍戦略の専門家だったバーナード・ブローディら米エール大学の研究グループがヒロシマ・ナガサキから半年後の1946年2月、「絶対兵器」と題する論文集を少部数出版したところから始まります。「今まで軍の主な存在目的は戦争に勝つことであったが、核時代の軍の目的は戦争を回避することである」と結論付け、戦争の抑止こそが核時代における合理的軍事政策になる、と論じました。それ以来、米国の奇才たちが複雑で難解な核戦略論の構築に取り組んできたわけです。それでも核のディレンマを抱え、「暗闇の中のダンス」(Fred Kaplan, “The Wizards of Armageddon,” 1984)を踊っているような、いつ共倒れになるかもしれない深刻な危険と隣り合わせだった状況の分析が続きます。冷戦時代の米国内では、「核抑止は必要悪」(ハーバード大学核研究グループ「核兵器との共存」1983年)との共通認識も生まれていました。核廃絶を訴えた英国の数学者バートランド・ラッセルが断定したような「絶対悪」ではないという位置づけです。
 前回、核戦略論争で「MAD派」と「柔軟反応戦略派」の対立を紹介しました。このうち、「柔軟反応戦略派」の考え方は、実際のアメリカ戦略軍(USSTRATCOM)司令部による運用戦略(機密扱い)とも符合していると思われます。これを「戦争遂行戦略」だから、非人間的で許せないと感情的に批判するのは的外れだと思います。どちらの学派も核抑止が有効に機能する方策を考え抜いて、平和の維持を図ろうとしているからです。
 
(基本抑止の信頼性)
 冷戦時代における米ソ間の基本抑止と相互抑止はどうやら、確からしい、という評価があります。主要大国間の戦争が長期にわたりなかったという意味で、冷戦を「長い平和」と呼んだ冷戦史家ジョン・ルイス・ギャッディス米エール大教授も、その一因として核の安定化効果を挙げています(John Lewis Gaddis, “The Long Peace,” 1987)。「安定性にとって必要なことは、米ソ双方の警戒心と成熟さ、責任感である」というわけです。ネオリアリストの国際政治学者ケネス・ウォルツはさらに一歩進めて、「冷戦期から今日に至るまでの長い間、核抑止が主要国間の戦争を払い去ってきた」「第二次世界大戦後、核保有国同士が戦うことはけっしてなかった。このことはいかなる反証にも耐えてきた唯一の仮説である」とまで踏み込んでいます(Scott D. Sagan & Kenneth N. Waltz, “The Spread of Nuclear Weapons,” 2013)。
 
(拡大抑止:最先端技術と政治心理学のマリアージュ)
 ただし、拡大抑止の機能については今一つ信頼性がおぼつかなく、核戦略家たちを悩ませてきました。北大西洋条約機構(NATO)が「もつれた同盟(Entangled Alliance)」であると、米国側がうんざりするほど揶揄してきた所以です(Robert Osgood, “The Nuclear Dilemma in American Strategic Thought,” 1988)。
 これに対し、日本は世界的にも珍しい「非対称的同盟」(久保文明・防大校長・前東大教授「希望の日米同盟」2016年)であり、NATOに比べて機能面で十分ではありません。安全保障法制成立(2015年)によって、集団的自衛権の行使についてようやく補い始めたばかりであり、今後のさらなる同盟深化が待たれます。拡大抑止の不安定性について、私は、「最先端技術と政治心理学のマリアージュ」という性格に起因していると考えています。
 核の「先制不使用」宣言は、米国自身の国益上のプラスマイナスよりも、米国の主要同盟国にとって、拡大抑止の信頼性を揺るがしかねない深刻な選択肢なのです。しかも、NATO以上に日本にとってかなり深刻です。なぜなら、冷戦時代は東アジアが旧ソ連を封じ込めるための「第2戦線」にすぎませんでしたが、世界の地政学的重心が欧州から東アジアに移行した現在、日本は「フロントライン(最前線)」に立っている主要同盟国という立ち位置にあるからです。(つづく)
 
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