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2006-12-03 11:10
連載投稿(2)対欧米世論工作で負けていた日本
太田正利
元駐南アフリカ大使
時代は遡るが、辛亥革命、清帝国の秩序崩壊とともに、中国大陸は群雄割拠の流動的な時代に入る。誤解されているが、統一「民国」が出来たわけではない。海外への人材の流失も多く、場合によっては中国の宣伝の役にも立っただろう。所謂「21箇条要求」事件で世界における日本の信頼は傷つき、満州事変に至る。しかしながら、事変に関する「リットン報告書」は日本の立場にも理解を示しており、日本の非のみを強調したのではないが、一般にはそのように理解されていた。大陸での反日感情は高揚する。外国における中国の反日PRも盛んになる。このとき日本はそのことの意義に対する認識に欠けていたのではないか。
ここで、これら中国人の個々の名前を挙げないが、究極的には大陸における日本の「不合理な」動きを逐一アメリカ人、ひいては全欧米世界に伝え、これが世界における日本観となった。そしてアメリカが対日戦(これは日露戦争直後から計画されてきたもの)を米国内や世界に納得させる良い口実にもなった。日華事変の最中の「南京事件」報道もひどい。これは戦争中は殆ど大きな問題にはならなかったが、布石だけはぬかりなかった。
『マンチェスター・ガーディアン』特派員だったティン・パーリーの著書『戦争とは何か』(日本軍の「4万人虐殺」説を示す核心部分は、すぐ後に国民政府外交顧問徐淑希の『チャイニーズ・イヤーブック38~39年版』では削除され、国際連盟理事会でも「虐殺」を非難する文言はなかった)が謂わば原典で、これをエドガー・スノーが孫引きして「南京大虐殺」説となり、アイリス・チャンの『ザ・レイプ・オブ・南京』の種本ともなったのである。ところが、この「ティン」は実は「田伯烈」、蒋介石の謀略宣伝の顧問だったことが最近判明している。この書は一種の宣伝文書だった!
なお、この他、蒋介石夫人の宋美麗(アメリカ人好みの美人)、宋子文等が米政府やマスコミに中国の立場を売り込んだ。世界的な外交官だった顧維鈞は、コロンビア大学卒、多くの国際会議で活躍し、就中駐米大使や国際司法裁判所判事も勤めた大物だった。このように、戦前には優秀な中国人の積極的な対米宣伝活動により、米国内における日本観は殆ど中国のものと同じになっており、マクマリーの如き親日派も国務省内で中国派に押されていた。(つづく)
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投稿履歴
連載投稿(1)中・韓・北朝鮮の積極的な「反日」宣伝
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連載投稿(2)対欧米世論工作で負けていた日本
太田正利 2006-12-03 11:10
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連載投稿(3)対外発信不在だった日本の反論
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