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2008-05-15 16:30

(連載)戦後平和主義について(1)

茂田宏  元在イスラエル大使
 この間ある代議士からメールを受け取った。昔かれが大蔵省に入省した際、当時の宮沢喜一大蔵大臣から「君たち、どんなことがあっても、戦争はしてはいけない」との訓示を受けたことを紹介するメールであった。「戦争の経験もある宮沢大臣からこういう言葉を聞いたことを大事にしたい」と言う。「欲しがりません、勝つまでは」で頑張った後敗北した日本人が「もう戦争はこりごりだ」と考えたのは、自然なことである。しかし宮沢発言には、戦争についての間違った前提がある。それは戦争をするかどうかが自らの選択の問題であるという前提である。もし日本が戦争をしないと決めれば、戦争をする必要がなくなるのであれば、そう決意すれば良い。しかし戦争が起こるかどうかは、日本だけが決められる問題ではない。

 最近の例を挙げれば、北朝鮮は1993-94年の核危機の際「国連安保理が制裁を決議し、それを日本が実施すれば、それを宣戦布告とみなす」としていた。安保理が制裁決議をすれば、日本は国連憲章上それを実施する義務がある。日本国憲法98条は国際法の遵守を定めている。この危機は、カーター元大統領が訪朝し、金日成と会談し、核活動の凍結が合意され、回避されたが、朝鮮半島では戦争の危険があった。

 1917年のロシア革命後、革命政府の最初の布告は「平和の布告」であった。一方的に平和を宣言した。トロツキーはドイツに対し、ロシアは戦争を止めると申し出た。しかしドイツは戦争を継続した。トロツキーの発言で「諸君は戦争に関心を持っていない。しかし戦争が諸君に関心を持っているのだ」というのがある。戦争をするかどうかが、自らの選択ではどうしようもない、ことを述べたものである。ロシアがドイツの過酷な条件を鵜呑みして、ようやくブレスト・リトフスクの講和が出来た。

 イスラエルのバラク首相は「和平は、タンゴ同様、二人でないとやれないが、戦争は、一人で始められる」と言ったことがある。戦争は、自分の選択による場合同様、相手の選択による場合も多い。大方の場合、戦争は、双方とも自分に理がある、自分が強制されたと考えて始まる、のが通例である。明らかな侵略戦争もある。ソ連が、敗北が確実な日本に領土の獲得を目指して仕掛けた、1945年8月9日に始まった対日戦争である。今のイラク戦争を、ニューヨーク・タイムズ紙のトム・フリードマン記者は「選択による戦争」と言っているが、米国から見ればそうでも、イラクから見ればそれは押し付けられた戦争であった。(つづく)
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