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2014-07-11 18:14

中国の「法治」と文化大革命

中兼 和津次  東京大学名誉教授
 習近平政権になってから中国国内ではとくに「法治」の必要性が訴えられるようになった。それは、長期にわたる高度成長の時代が終わり、社会的にも政治的にも累積されてきた国内の諸矛盾が噴出し始め、またこれまでの質よりも量を重視してきた粗放的成長の時代から集約的成長の時代へ転換するに際して、より「近代化された」システムとモデルが求められるようになったからであろう。

 しかし、中国でそもそも「法治」(rule of law)の意味が理解されているのか、きわめて疑わしい。中国語の発音では全く同音の「法制」(rule by law)の意味で使われているのではないかと疑われる。「法」とはルールの一種であり、すべての人を縛るものであるだけに、よく知られているように毛沢東は「法」が大嫌いだった。文化大革命を発動する少し前に、彼は久しぶりに再会したエドガー・スノウに向かって「和尚打傘、無髪無天(坊主が傘さし、髪もなく、天もない)」と言ったという。通訳がそれを直訳したところ、スノウは「老人になった毛沢東は、修行僧のような達観した境地に至ったのだ」と解釈したようである。しかし、実際毛沢東が言わんとしたことは、「無法無天」(中国語で髪と法とは同音)、つまり「法」や「規則」を無視し、「やりたいようにやる」という趣旨だった。それから1年、毛沢東は憲法も党規約も無視し、やりたい放題の文化大革命を起こした。

 文革中には全国でほとんどの法学部が解体され、残ったのは北京大学のほかわずか1校というありさま。改革開放後、さすがにこうした「無法」状態を改め、「法制」を確立しようと、各大学に法学部を復活させ、あるいは大量に設立し、弁護士制度を作り、司法試験を導入し、そして近代法に倣った各種の法律を制定した。

 しかし、「法治」の精神は根付くことはなかった。というのは、中国では「法」よりも「党」が上位に来る制度だからである。憲法は近代国家では最上位の法であるが、中国では、あるいはかつてのソ連など社会主義国家では、憲法は「党」の指導下に置かれる。その意味で中国は「法治」ではなく「党治」の時代に留まっているといえよう。確かに、それは毛沢東時代の「人治」(個人独裁)よりはマシかもしれない。しかし、「民主主義」と「法の支配」を原則とする国際社会は、そうした中国と「法」という共通ルールを巡ってやりあうのは大変なことである。
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