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2013-05-16 10:13
(連載)民主主義は改憲の根拠たりうるか?(2)
河野 勝
早稲田大学政治経済学術院教授
ところで、憲法は、多数派の意思をそのまま反映させないための仕掛け、というだけではなく、もうひとつ別の意味でも反民主主義的な制度である。それは、一度制定された憲法は頻繁に改正されないので、憲法とは現在の多数派のみならず、将来の多数派をも拘束する文書だ、という点においてである。
このことに関して、200年以上も前のアメリカでは、ジェファソンとマディソンとのあいだで(私信のやりとりを通じた)有名な論争があった。ジェファソンは、現在の人々(の決定)が将来の人々を拘束することがあってはならないと考え、(ある算出根拠にもとづいて)憲法は20年ごとに改正されなければならないと主張した。つまり、民主主義の原則を世代を超えて適用し、そこに憲法を改正する正当性を見出そうとしたのである。これに対して、マディソンは、そのような定期的な改正は、憲法を国民のあいだに定着させることを妨げ、不安定な政治状況につけこむ勢力を助長し、ひいては将来の人々にとって不利益をもたらすことになると反論した。
憲法を起草したり改正したりするには、屋台骨となる理念が必要である。「時代に合わなくなった」憲法を変えるのは当たり前ではないかと、いま声高に主張している人々は、憲法の根拠をあくまで民主主義にもとめたジェファソンの立場に一見重ね合わせられる。しかし、ジェファソンの意を正しく汲むならば、憲法改正を定期的に行うことが憲法自体に明記されなければならない。なぜなら、民主主義が続く限り、現在の(改憲を主張している人々を含む)世代だけが特権化され、将来の世代を拘束できる理由はないからである。
しかし、もしそのような条項を実際加えるとなると、今度はマディソンが危惧した政治の混乱が現実味を帯びると判断する人もおそらく多くなるのではないだろうか。このようにして、アメリカの二人の偉大な「建国の父」のあいだでのこの論争は、今日でもその重要性を失っていない。われわれも、いま、ひとりひとりの良心と能力の限りを尽くして、憲法改正を正当化する根拠が何なのかを、改めて考えなくてはならないのである。(おわり)
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