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2008-11-21 08:03
「麻生失言」は危険水域に入った
杉浦 正章
政治評論家
「医者は非常識」という極めて失言度の高い首相発言をあげつらっても仕方がない。問題はこういう発言をする首相・麻生太郎の心理状況が大丈夫かと言うことだ。まだぎりぎりで「サービス過剰型発言」と言うことができるが、これを越えると「自己破滅型確信犯発言」となり、危険水域に入る。政治家の失言を長い間観察していると、失言は「サービス過剰型」と「確信犯型」に大きく分類されることが分かる。サービス過剰型発言は根底に悪意がみられず、単に聴衆を喜ばせる意識が濃厚なものだ。鳩山邦夫の「私の友人の友人がアル・カイーダ」発言や、柳沢伯夫の「女性は生む機械」発言がその範囲に入る。選挙演説で「聴衆にうけてなんぼ」の発言を繰り返す政治家の“演説本能”からくるものだ。
マスコミは言葉尻をとらえて攻撃するが、辞任にまで追い込みきれないないケースが多い。マスコミがいないと思って発言するケースも多い。逆に「確信犯型失言」は普段から政治信条として思っている事を、つい言ってしまったというものだ。辞任に至った歴代防衛長官の発言がその例であり、久間章生の「原爆はしょうがない」発言に代表される。政治家ではないが、文民統制の危機を感じさせた田母神俊雄の発言はその際たるものだろう。麻生の失言はこれまでのところサービス過剰型が多い。その端的な例が、吹き出してしまうが、幼稚園の保護者大会を先生の会合と間違えて「幼稚園はお子さんを預かっているが、親で苦労しているでしょ」と言ってしまったことだろう。先生にゴマすったつもりが、親だったというのがオチだ。
焦点の「医者はもっとも社会的常識が欠落している人が多い」発言は、文脈が捉えがたく、麻生の個人的な体験から経営者としての判断力か、または政治的判断する場合の常識欠落を言いたかったのかも知れない。それが一般論として伝えられる危険を意識していないのが問題なのだ。「大雨被害が安城や岡崎でよかった」発言も、名古屋市民へのサービス精神発揮のつもりであろう。最近の一連の発言からは、麻生の「ほとんどびょーき」とも取れる“失言癖”の台頭が感じられることが、極めて懸念される。麻生発言が「サービス過剰型」から「確信犯型」に変質する危険性を内包しているのだ。2003年東大での講演における麻生の「創氏改名は朝鮮人の人たちが『名字をくれ』と言ったのが始まり」というような発言をもう一度繰り返してしまったら、まさに“サドンデス”となりかねないからだ。
首相就任時は自らの失言癖を意識してか一語一語を選ぶような発言をしていたが、最近は弛緩してきたに違いない。田中角栄が「首相になって1年もたつと狐が憑いたようになり、自分が何しているか分からなくなる」と述べていたが、たしかに1年たつと首相はおかしな発言をし出すときがある。最近はもっとスピードが速まって来たのかも知れない。毎日の日程をみるとどうも側近があれもこれも仕事を入れすぎのように見える。大平正芳が病気になったのも日程がきつすぎたからだ。もっと厳選すべきだろう。首相は日程をこなす機械ではない。考える時と場所が必要なのだ。
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