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2008-07-19 11:15
(連載)ケナンの米占領政策批判(1)
奈須田敬
並木書房取締役会長・月刊「ざっくばらん」編集長
ジョージ・ケナン国務省政策企画室長(当時)は、「この瞬間から、万事が好転した」とその回顧録に特筆している。日本を訪問して、マッカーサー元帥と意気投合したケナンの次の仕事は、占領下にある日本の主要地点のいくつかをその目で見ることであった。日本のことをよく知っているグルー元駐日大使の個人秘書を務めたこともあるマーシャル・グリーンが随行してくれた。マッカーサーは、鉄道の専用客車を提供してくれ、望みうるいっさいの情報を提供するため、あらゆる便宜を図ってくれた。ケナンにとってこの調査旅行から明らかになったことは、前年の秋に初めてケナンら企画室のものが事情調査に着手したときに経験した懸念が、文字通り裏付けられたということだったという。
ケナンは、「当時の日本はどの点からしても、平和条約締結とともに直ちに期待されるはずの独立の責任を立派に背負ってゆけることができる状況にはなかった。第一に、日本の防衛のための正しい取り決めが全くできていなかった。SCAP(連合国軍最高司令部)は当時日本に全部で8万7千人の兵員を駐留させていた。その大部分は占領地管理に配置されていた。この中から戦闘用部隊として使用できるのは、せいぜい1ないし2チームにすぎなかったろう。日本人は、もとより完全に非武装化され、だれ一人として再武装を夢みるものはいなくなっていた。アメリ占領軍の存在は、日本人の生活に重い負担となっていたしーーー、占領軍の必要経費として日本の国家予算のおよそ3分の1が消費されていた。厄介な占領軍当局は、多くの点で寄生虫的存在であった」と言う。
ケナンの占領軍批判は、金や物、経費等の問題だけでなく、SCAPが「指導してきた改革」とその「改革を指導してきたやり方」が、「日本人の生活全体に当時深刻な不安感」をかもし出していたと、行政上の問題に匕首をつきつけてきたのである。(つづく)
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