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2010-08-09 17:47
(連載)世界金融危機に至るまで(1)
入門 貴男
文化女子大学
2000年にITバブルが崩壊し、インターネット・情報技術関連企業の上場が多い米国NASDAQ市場は大暴落した。その影響から2001年4-6月期からは米国GDPが3四半期連続のマイナス成長となり、失業率も増加の一途をたどった。米財政赤字は拡大を続け、米国経済は停滞した。米国政府は、経済対策として大規模所得減税を実施し、FRBは2000年末から利下げをくり返した。その中で2001年9月11日にアメリカ同時多発テロ事件が発生した。被害に遭ったワールド・トレード・センターには、多くの金融機関が入居していたことから、業務の遂行に支障を来す恐れがあると判断したニューヨーク証券取引市場は、太平洋戦争以来の市場閉鎖を行い、4日間休場した。
既にFRBは、年初から7回利下げを実施していたが、事件後の9月17日に緊急利下げをおこない、12月までにさらに4回の利下げを実施して、本格的金融緩和政策を鮮明とした。この結果、2001年FRBの政策金利は誘導目標を年初の6.5%から12月の1.75%まで引き下げを行い、米国金融史上で最も低い低金利政策となった。 最終的には2004年5月まで1%という低金利政策が続いた。この低金利政策は当初は正当視されていたものの、その後、不動産、住宅、債券などの資産バブルが明らかになると、ITバブル崩壊後の行き過ぎた低金利政策が資産バブルの温床となったとして、批判の的となった。
BRICsを中心とした途上国の経済発展を背景に、エネルギー需要、食料需要などの資源需要の高まりにより、原油価格の上昇も加速された。産油国は莫大な利益を上げ、その利益はヨーロッパや米国のヘッジファンドなどの金融部門へと流れ、結果世界的な金余り現象が発生した。また新興経済発展諸国の外貨準備高も増加し、その資金運用が米国に向かい、世界的な資金がアメリカ合衆国に集中するようになった。これが米ドル高となり、米国国内に流入した過剰流動資金が米国不動産市場にも流れて、サブプライム・ローンに代表される住宅バブルを構築する土壌ともなった。
また、これまで世界第2位の埋蔵量を誇り、非公式に輸出されていたイラクの原油が、イラク戦争で輸出不可能となり、原油をはじめとした商品(先物)市場を通じた資源投機に拍車をかける材料となった。資源価格が上昇したと共に、豪ドルやカナダドルに代表される資源国通貨も全面高となった。OPEC非加盟国であったロシアは、採算に難があった北極油田の採掘が、原油価格の高騰で可能となり、サウジアラビアを抜いて世界一の産油国となった。また、原油の輸出によりこれまでの債務国から債権国に転じた。(つづく)
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入門 貴男 2010-08-09 17:47
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