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2010-05-13 19:28
「沖縄の悲しみ」を想う
大藏 雄之助
団体役員
久しぶりに忘れかけていた歌を聞いた。「固き土を破りて民族の怒りに燃える島沖縄よ。我らの祖先が血と汗をもて守り育てた沖縄は、我らの島だ。沖縄を返せ沖縄を返せ!」だ。1958年9月、琉球民政府という名のアメリカ軍司令部はB円をドルに切り替えて、沖縄永久占領の構えを見せた。当時本土からの渡航は厳しく制限されており、米軍の許可が出るまでに幸運でも1か月、そのあと鹿児島から海路丸1日で那覇港に到着することになっていた。
私はラジオ東京(現TBS)に勤務していて、数少ない国連軍の accredited reporterだったので、在日米軍広報部に取材の申し入れをすれば、いつでも立川か厚木から Military Air Transportation Service の飛行機で、沖縄に行くことができた。
那覇は、やっと国際通りが「奇跡の1マイル」と呼ばれる復興を遂げたばかりで、「もはや戦後ではない」と宣言した本土とは比べようもなかった。沖縄「県民」は「1日も早く日の丸の旗を掲げたい」と訴え、沖縄教職員組合を中心に果敢な復帰運動のデモを繰り広げていた。その時、米軍警備隊の棍棒に追い立てられながら、民衆が歌ったのが、この『沖縄を返せ』の歌だった。
1972年5月15日に念願の「沖縄県」に戻った。日本政府は「糸を売って、縄を買った」(綿織物の対米輸出を自主規制して、沖縄返還の取引をした)とか、数々の密約をしたとか、噂されたし、それから満38年後も、米軍基地に象徴されるような敗戦の負の遺産が、今も沖縄にある。民主党政権の成立はそれを見直す絶好の機会だったが、鳩山内閣はかえって事を混乱させた。「2014年までに宜野湾の住宅密集地域から普天間基地を移す」という日米合意も先送りになりそうである。57年前にアメリカ軍の統治下で聞いた『沖縄を返せ』の歌が、今また悲しく響く。
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