会社でも自治体でも資質のない者がトップに座ると、高揚感が強く前面に出すぎて、平常心を外す。政治家ではもっとも必要な「平衡の感覚」(sense of proportion)に欠けることになる。側近も側近だ。ゴーストライターで官房副長官の松井孝治が、閣議で施政方針演説を涙を流して読み上げたと言うが、政府の最重要演説に陳腐な情緒は不要だ。一知半解の演出家による“演出”も不要だ。情緒や演出にこだわるのは、ポピュリズムの原点だ。ゴーストライターを選定するピントを外せば、行き当たるところは「バカの壁」であろう。「人間というものは、結局自分の脳に入ることしか理解できない」(養老孟司)のだ。鳩山演説は、歴代首相演説の中でももっとも真摯(しんし)さに欠け、言葉の遊びによる欺瞞(ぎまん)性が強いものとなった。鳩山の心中を分析すると、国民に対する見当外れの“慈しみ”の高揚感が極まって、何か自分が“神”か“仏”になったような心理状態に立ち至っているに違いない。“鳩山観音”など国民にとっては薄気味悪いだけの何物でもない。