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2008-12-25 03:45
佐藤首相の「核発言」に思う:無条件の政策はない
小笠原高雪
山梨学院大学教授
外務省が12月22日付で公開した外交文書によると、1965年に訪米した佐藤栄作首相(当時)は、ジョンソン大統領との会談において、「中共(中国)の核武装にかかわらず、日本は核武装は行わず、米国との安全保障条約に依存するほかない。米国があくまで日本を守るとの保証を得たい」と発言し、大統領は「保証する」と述べたという。ここにいう「保証」が米国の核戦力を念頭においたものであったことは、佐藤首相がマクナマラ国防長官との会談のなかで、「(日中で)戦争になれば、米国が直ちに核による報復を行うことを期待している」と発言していることから明らかであろう。
外交文書が公開されたことの意義は大きいが、そこで確認された佐藤首相の発言に意外な箇所は全くない。日本の安全保障政策が抑止力の対米依存を前提としてきたことは周知の事実であり、佐藤首相は前年秋の中国の最初の核実験を受けて、この前提の再確認を要求したにすぎない。また、この発言をもって佐藤首相が「核戦争を容認していた」と表現するのは、誤解を与えかねない表現であろう。「抑止力」には論者により異なる用法があるが、その核心的な狙いは「先制攻撃を断念させること」にあるからである。
1965年の日米会談が話題になったのは今回が初めてではない。1998年に公開された米国の公文書では、佐藤首相はジョンソン大統領に対し、「中共が核を持つなら、日本も持つべきだと考える」と発言したとされている。今回公開された日本側の文書には、この発言はふくまれていないようだが、そこにはマクナマラ長官に対する発言として、「技術的にはもちろん核爆弾をつくれないことはない」「宇宙開発のためのロケットを生産している。これは必要があれば軍用に使うことができる」というものがあるようなので、両者のあいだに矛盾はないというべきであろう。
佐藤首相はその後、非核三原則を打ち出し、ノーベル平和賞を受賞した。そして、非核三原則は、日本の国是と認識されるようになった。非核三原則は核四政策の一部を構成するものであり、それは日本の国益にかなうものであっただろう。しかし、少なくとも佐藤首相に関する限り、非核三原則が米国による「核の傘」の保証を前提として打ち出されたものであったことは、否定できないように思われる。そして、その保証を引き出すために、佐藤首相が核武装の可能性に言及したのだとするならば、それはしたたかな戦術であったといってよいであろう。
私は米国による「核の傘」が今日ゆらいでいるとは考えていない。また、かりにそれが近い将来ゆらぐことがあったとしても、日本が自前の核抑止力を持つことが可能かどうかは疑わしいと考えている。さらに、もし非核三原則が核不拡散に貢献するのであれば、それを日本が維持することには正当性があると考える。しかし、以上をすべて認めた場合でも、佐藤首相の発言はときおり想起されるべきであろう。それは対外政策におけるすべての選択は条件つきのものであり、ときには選択の幅を広げてみせることが有益な場合もありうることを示唆しているからである。
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