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2008-11-17 07:59
奥田碩氏の「民放テレビ批判」は正論
杉浦 正章
政治評論家
「民放テレビの厚労省叩きに、広告を切って報復する」というトヨタ自動車相談役・奥田碩氏のショッキングな発言が波紋を広げている。普段は温厚な奥田氏の発言だけに、意外性もある。言論抑制は注意せねばならぬが、民放報道番組は最近ますます切り捨て御免の横暴さを露骨にさせおり、「もっともだ」と胸のすく思いがした識者も多いのではないか。小生もかって松下電器の役員から「松下幸之助さんが生きていたら、しょうもない民放報道番組などに例え子会社でも、スポンサーになるなと言われるだろう」という声を聞いた。だれも圧力をかけられない立場をフルに活用して、民放番組はいまや批判だけでなく、断罪までするようになっており、まるで司法権まで手中にしたような状態である。19世紀の米国におけるイエロージャーナリズムに似て、扇情的、扇動的であり、「民放全体主義」とでも言いたいような状況だ。確かにスポンサーから圧力をかけるしかないかもしれない。
奥田発言は「厚生労働行政の在り方に関する懇談会」で13日に飛び出したものだ。「厚労省があれだけ叩かれるのは、異常な話。正直言ってマスコミに対して報復でもしてやろうかと思う。スポンサーを引くとか」と述べた。よくよく腹に据えかねたのであろう。加えて、「名前を言うとまずいから言わないが、2,3人のやつが出て来て、年金の話とか厚労省に関する問題について、朝から晩までわんわんやっている」とも述べた。「2,3人のやつ」とは、おそらくすぐに思い浮かぶのは、TBS朝ズバッのみのもんただろうし、朝テレの報道ステーション、同じくやじうまプラスなどを指すものとみられる。これらの番組に一貫しているのは、切り捨て御免のセンセーショナリズムだ。検証不足のニュースであっても、多彩な形容詞と誇張の使用などによって、新聞報道を増幅して伝える。言葉は一過性とあって「定額減税は弱者に厳しい」(朝ズバッ)といった大間違いも平気でする。「無期懲役か、死刑だ」と発言するコメンテーターもいる。まるで裁判官だ。容疑者は裁判を受けぬまま社会的に断罪されるのである。
とりわけ朝日新聞の影響が強く、同紙が社説で「いまこそが政治空白」と書けば、政治を知らないコメンテーターが「いまこそ政治空白」と恥ずかしげもなくコメントする。朝日が首相・麻生太郎のホテルのバーの利用を批判すれば、大特集を組んで批判する。麻生が用字用語を読み間違えば、何度も何度も同じ場面を報道する。まるで首相の神経逆なで番組ばかりである。安倍晋三のように気の弱い政治家はノイローゼになり、福田ですら政権を投げ出す。「バーを利用したり、用字用語を読み間違える首相がいても、本筋を間違わなければいいではないか」というコメントはゼロ。それでいて民放関係者らはホテルのバーどころか、銀座のキャバレーで豪遊する。総じてみのもんたの基点は「反対のための反対」にある。
民放番組の「街の声」ほど偏ったものはない。編集意図に添ってしゃべったものしか報道しないのだから、一見公平に見えてこれほど不公平なものはない。みのもんたは田母神俊雄が「貧乏だから退職金を返還しない」と述べたことについて、「空幕長ほどの人が貧乏とはいかなるものか、特集を組む」と宣言する。田母神発言に同情の余地はないが、私生活を暴いて、貧乏かどうかを検証する権利が民放にあるだろうか。図に乗っているとしか言いようのない報道ぶりだ。どうしてこうなってしまったのかと言えば、まず大局的に見ればイデオロギー対立がなくなり、政権批判が野放しとなったことが挙げられる。自社対立時代なら、報道機関が社会党や共産党の言っていることをそのまま報道すれば、偏向の批判を受ける。だから自制した。いまはそれがない。加えて麻生批判の場合、マスコミのリードによる解散に麻生が応じないことが根底にある。簡単に言えば「解散しないから、いじめてやれ」「解散の誤報をさせられたから、腹いせに批判してやれ」ということだ。もちろん政権交代を推し進めようとする意図もありありだ。レベルがあまりにも低い。
要するに、自らの影響力の大きさを知ってか知らずか、常識的な日テレなど数局をのぞいて、民放は言いたい放題、やりたい放題の野放し状態だ。米国のイエロー・ペーパーは、読者の知性向上と裁判制度の普及で瓦解したが、民放の報道に視聴者が慣れて、影響されなくなるのはまだ先のことだろう。規制は報道の自由に結びつけられてできないことをよいことに、安心しきった報道ぶりだ。唯一の道は訴訟だが、政治家は個人では報道機関を敵に回したくないから、滅多にしない。しかし、余りにひどい事実誤認や意図的な報道については、政党が頻繁に訴訟を起こしたり、抗議する手段もあるだろう。そして一番手っ取り早いのが、奥田氏や松下役員のいうように主要会社がスポンサーから降りるという手だ。ちなみに朝ズバッはトヨペットが広告を出しているが、まずここらから奥田構想に手をつけてみてはどうか。朝日が奥田構想に「言論への挑戦」との識者の談話をつけているが、逆に「言論の暴力」はどうする。このままでは「言論弾圧」をするような政府が出来てしまいそうで恐ろしい。そうなってからでは遅いのだ。
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