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2008-06-02 16:35
オバマの嘘、ヒラリーの嘘
梨絵サンストロム
ジャーナリスト
普通なら三文記事にもならない虚言、失言も、大統領候補者であれば政治生命に関わる問題になりかねない。政治家の有名な嘘中の大嘘は、ゴア副大統領が言った「インターネットを開発したのは、ほかでもないこの私だ」であるが、オバマもヒラリーもせっせと嘘の記録を築きつつある。戦没将兵追悼記念日の5月25日、ニュー・メキシコ州でオバマが演説をした。「私の家族の間で話題になる話ですが、私の叔父は第二次世界大戦が終わったとき、ナチの捕虜収容所アウシュヴィッツを解放し、最初にユダヤ人捕虜たちを救出したアメリカ軍人の一人でした」と。その演説を聴いていたメディアが、「待った」をかけた。ポーランドのアウシュヴィッツを解放したのは、アメリカ軍ではなく、ソヴィエトの赤軍である。ソヴィエトが進駐していたポーランドには、戦中、戦後アメリカ軍は一歩も入っていなかった。色めき立った保守系メディアの詰問に、オバマの広報係が大慌てで訂正声明を出した。「アウシュヴィッツではなく、ブッケンヴァルド収容所でした」と。
ABCのジェーク・タッパー記者は、オバマを「ワンマン失言マシン」と名づけている。インターネットでは、ブロガーたちが「オバマの嘘」「ヒラリーの嘘」を書き連ねている。ヒラリーの馬鹿げた嘘の例は、「私と娘はボスニア視察の折、滑走路で弾丸飛び交う中を潜り抜けながら、迎えの車まで身をかがめて走った」(ボスニア戦争は終わっており、弾丸どころか蜂も飛んでいなかった)とか、「ヒラリーという名はエヴェレストを初制覇したエドモンド・ヒラリーの盛挙に感動した私の両親が、私につけた名」(エドモンド・ヒラリーのエヴェレスト制覇は、ヒラリーが生まれて5年後だった)とか、「9・11の惨事の際、娘のチェルシーはトレードセンターの周りをジョギングしていたが、危うく難を逃れた」(チェルシーは自分のアパートでテレビを見ていた)とかである。
オバマのお粗末な嘘の例は、「私の両親は、黒人がデモ行進をした有名な『セルマの行進』で出会い、結ばれ、私が生まれた」(オバマはセルマの行進の4年前に生まれていた」とか、「私はアメリカ57州をすでに遊説して廻った。あと残っているのは、アラスカ1州だけだ」(アメリカは50州しかない)とかである。取るに足らない他愛のない嘘から、政策上の深刻な嘘まで、ブロガーたちが必死に暴いている割には、いまのところオバマの怒涛のような大人気に、大した影響はない。そこへ行くと気の毒な「嫌われヒラリー」は、「彼女を選挙から降りさせるには、ドラキュラ式に心臓に杭を打ち込むよりほかは無い」とまで言われてしまう。コラムニスト・チャールズ・クラウトハマーは「オバマは、けちな嘘や失言を実に巧みに操る術を知っている。大したことではなくても、こういう度重なりは、彼自身が築き上げた台座を必ず削り減らしてゆく」と言っている。
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