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2026-04-16 12:55
陸自留学歴のパキスタン情報機関の元長官は米大統領お気に入り
山田 禎介
国際問題ジャーナリスト
パキスタンのシャリフ首相仲介で、イスラマバードにアメリカのバンス副大統領、イランのガリバフ国会議長ら両国代表団を迎えて行われた2週間停戦「最終合意」に向けた協議(11、12日)は、もの別れに見えたが再協議が浮上して来たようだ。この情勢のなかで、パキスタンのシャリフ首相がサウジアラビアとカタール、トルコを歴訪しているのは根回しか。またトランプ米大統領は、お気に入りのパキスタン国軍司令官兼陸軍参謀長のムニール元帥の名を挙げて、「素晴らしい仕事をしている」と、その根回しの努力に感謝している。
このムニール元帥こそ、米CIA、英MI-6など主要国の情報機関と肩を並べてリンクするパキスタンの巨大情報機関「軍統合情報局」(ISI)の元長官だ。ムニール元帥により、アメリカとイラン、さらに対インド緊張関係のパキスタンとは友好な中国と、バランスよく各情報機関の人脈をテコに、水面下での政治調整が行われたものと思われる。イラン側にも前パーレビ国王時代の悪名高いサバク(SAVAK)と呼ぶ、情報機関-秘密警察があったように、イスラム教シーア派の最高指導者が率いる現イラン-イスラム共和国でも各情報機関が存在しており、意外な敵対国とも地下チャンネルを持っている。加えてシーア派が国民の2割を占めるパキスタンとは、「かなり風通しが良い隣国関係」にあるイランだ。
意外なことに、このムニール元帥は日本とも無縁ではない。はるか昔、パキスタン陸軍士官候補生時代には、富士山麓御殿場の陸自滝ケ原駐屯地での長期訓練留学経験者でもある。もちろんこのことは防衛省調査部では周知のことと思われる。情報機関ISOを強固なものにしたのは、初代パキスタン軍総司令官で、第2代大統領のアユブ-カーン(英サンドハースト陸士卒)。パキスタンではこのアユブ-カーンに次ぐ2人目のフィールドマーシャル(元帥)となったムニール参謀長は、1968年に現首都イスラマバードとは双子都市のラワルピンディ(前仮首都)の生まれ。父親は教育者でモスクの指導者でもあった。
筆者はパキスタンの新旧3首都を訪れた経験があるが、高原の計画都市の現首都イスラマバードは緑と爽快な空気に包まれ、隣接の仮設首都だったラワルピンディには、商業の場の活気があった。また建国以来首都だった港湾都市カラチは、いまも周辺都市部を入れ人口2000万を超す巨大な都市だ。その喧騒と、かつての海上交易の中枢地にはアラビア海から中東の熱風を感じたものだ。日本からヨーロッパへの航空機は、長らく給油地としてカラチ空港に立ち寄るなど、一時期の同空港はアジア-中東-アフリカ-ヨーロッパへの各国航空機のハブでもあった。パキスタンの情報収集と巨大な情報組織の土壌は、このカラチの地政学的位置から生まれたものだろう。
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