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2026-02-26 16:30
分断世界とカーニー演説の価値─長期戦略への羅針盤
鈴木 美勝
日本国際フォーラム上席研究員
勢力圏抗争に、本格的に舵を切った米大統領トランプ。年明け早々のベネズエラへの軍事作戦行動に続いて、かねて意欲を示してきたデンマーク自治領グリーンランドの領有に向けて野望をむき出しにした。「戦後秩序の砦(とりで)」北大西洋条約機構(NATO)に亀裂を生じさせかねないトランプの専横極まりない振舞い。米欧間に緊張が走った。最も敏感に、研ぎ澄まされた反応で自国のポジションを鮮明にしたのが、隣国カナダだった。トランプから米国「51番目の州」とまで決めつけられたカナダの首相カーニーは「価値に基づく現実主義」の旗を掲げて大国主義を批判。同時に「力と利益」を絶対視する米中ロ三大国の横暴にあらがって「中堅国家」が結集し、新たな秩序への「第三の道」を目指そうと呼び掛けた。
◇「魔の山」からの発信
毎年1月に開かれる世界経済フォーラム(ダボス会議)年次総会─。今年、人工知能(AI)と並んで最大のテーマとなったのが、グリーンランドを巡る米欧の対立問題だった。開催場所のダボスはトーマス・マンの名著「魔の山」の舞台として知られるスイス東部山岳地帯だ。マンは、主人公の無垢(むく)な青年ハンス・カストルプに、「時間」の本質は「変化」であると断言、次のように語らせている。「毎日が同じ日の連続だったら、百年の一生もカゲロウの一生のように感得され、あっといううちにおわってしまう」のだが、「事件に富む年は、風に吹きとばされて霧散するような貧弱な空虚な年よりも、ずっとゆっくり経過する」─と。そして、2026年の今、亀裂深まる断絶世界の深層で「トランプ2.0」の 時間がゆっくりと流れ始めた。その日はちょうど、トランプ第47代米国大統領就任から満1年の1月20日、カナダの首相カーニーはハンスの言葉にかぶせるように、長期的視野に立った外交羅針盤を提示した。特別演説の演題は「原則に基づき、かつ実利的に―カナダの道(Principled and Pragmatic: Canada's Path)」。この中で米国を名指しするのを避けながらも、動乱・変動の帝国主義的な日々を世界に持ち込んだトランプの横暴を痛烈に批判してみせた。それは、米国への憤怒の表れというばかりでなく、「ジャングルの掟(おきて)」を復活させた中国、ロシアを含む三大国の責任を指弾する演説だった。いわく、「われわれは移行期(transition)ではなく、断絶(rupture)の真っただ中にいる」、そして、既存のルールに基づく国際秩序は既に崩壊して元には戻らない、「心地よいフィクションは終わった」のだ─ と。それは、戦後秩序を支えてきた「米国覇権物語」の事実上の終焉(しゅうえん)をも意味した。演説の裏には、大国が自国の利益のためにのみ都合よく戦後秩序のルールを利用し、自らに不都合となれば、恬(てん)として恥じずに国際法を蹂躙する「大国の横暴」が常態化したという認識がある。現に、経済的統合を「武器」にし、関税を「レバレッジ」として使い、サプライチェーンを脆弱(ぜいじゃく)性としてそれぞれ利用する大国の実態が浮かび上がってくる、と強調した。さらに、自戒の念を込めて語り掛けた─この間、カナダを含めた三大国以外の中小国は、「虚構」とも言える「儀式」に半ば唯々諾々と関与し、実はレトリックと現実の間にはギャップがあるとの指摘を避けてきた。つまり、米国の覇権が国際公共財を提供することによって機能する戦後体制には「部分的に誤りがある」のを知りながら、各国は無用のトラブルを回避するため、従順にそれぞれの役回りを演じてきたのだ─と。続けて、カーニーは力説した。「われわれは、この古代の冷徹な論理が現代の標準になることを許してはならない。中堅国(Middle Powers)は、単に耐え忍ぶだけの存在であってはならない」「中堅国は協力しなければならない。というのも、あなたがテーブルにいなければ、あなたはメニューに載ることになるからです」と弱肉強食の世界を描いて見せた。
◇欧州・カナダ、対中接近の裏読み
カーニー演説は、NATO創設時からの加盟国カナダの首相が米中ロの大国批判を率直に展開したことで、過剰な対米依存の脱却に向けて、欧州を覚醒させた。ダボス会議最終日の23日、欧州中央銀行(ECB)総裁ラガルドが、カーニーの「断絶世界」論を全面的には支持しなかったものの、「われわれ政策立案者はプランBを検討すべき段階にいる」と表明。代替戦略「プランB」の必要性が公式に語られ始めた。欧州の主要国には、米国とは別に対中関係をリセットしようとする動きも既に出始めていた。昨年末から年明けにかけて、仏大統領マクロン、英首相スターマーが相次いで中国を訪問、近々、独首相メルツの訪中も予定されている。そこには、関税攻勢をかけるトランプの保護貿易へのけん制や、欧州の市場拡大策を推進する積極的な狙いがある。現に、欧州連合(EU)は巨大な米国市場の代替市場として、かねて交渉中で行き詰まっていたインドとの自由貿易協定(FTA)を締結した。対中関係で言えば、当のカーニーも1月、ダボス演説の直前、訪中していた。中堅国家の結束を呼び掛けながらの訪中には疑問を投げ掛けられ、危うい均衡の上に成り立つ対中接近だが、それは「51番目の州」併合案を公然と口にするトランプからの威嚇防御と、経済的生き残りを賭けたプラグマティックなバランス外交とも言える。「米国への併合は素晴らしい結婚。関税もすべて消滅する」と言いつつ、「利益」と「力」の論理でカナダの実存を脅かすトランプは、近隣地域をもカバーするミサイル防衛網「ゴールデン・ドーム(黄金のドーム)」構想への加入を持ち掛けている。カーニーは激しく反発した。「カナダは売り物ではない」─。19世紀に「世界最長の国境線」を引いた米国の〝キング〟が「ガバナー・カーニー」と呼び始め、「米国51番目の州」発言を繰り返すのを聞けば、カナダの対中接近は、生存を賭けた経済的強靭(きょうじん)性を保持するためのヘッジ(回避)、言わば「保険」と見なすことができる。ダボス演説は、屈辱的なトランプの言葉と脅しに対する怒りと抵抗の延長線上に在る。その核心は、三大国が帝国主義的世界に回帰しつつある大状況の中で、微動だにせぬ「(民主的)価値の体系」と揺るぎない「主権の意思」にあり、演説はそれらに支えられた民主主義の一中堅国家の矜持(きょうじ)としての能動的・自律的対外発信だったと捉えるべきであろう。
◇リアリズム(現実主義)とプラグマティズム(実用主義)
カーニー演説に対しては、日本外交関係者の間での受け止め方の多くが冷ややかだ。その代表的な声は「国家のリーダーとは言い難い学者のような発言。本人はトランプ批判でスカッとした気分だろうが、無責任」という評だ。一理あるコメントだが、この演説はもっと深く考えるべき、価値ある内容を包含しているように思える。では、「ジャングルの掟」が支配し始めた世界にあって、中堅国家たるカナダの首相が提起した「第三の道」の真意は奈辺にあるのか。その核心は、演題の「原則に基づき、かつ実利的に」というキーワードにある。 ここで考えねばならないのが、政治や外交政策でよく使われるリアリズム(現実主義)に対するプラグマティズム(実用主義・実利主義)の意味合いだ。国際社会には、国際法という規範が存在するものの、冷厳に見つめれば、その実態は「無政府状態(アナーキー)」で、国家は自国の存続と「力(パワー)」の最大化を唯一の指針とすべきだ─これがリアリズムの理論だ。戦後秩序は、米国が主導した国際機関と、欧米が積み重ねてきた国際法という規範を基盤に、(超)大国の自制とアライアンスなどをツールにして、「力の均衡」を維持してきた安全保障体制だ。ところが、ロシアがまず、2014年のクリミア併合で現状打破への風穴を空けて8年後のウクライナ戦争で「ジャングルの掟」を復活させた。また、中国が建て前を適度に織り交ぜながら力ずくの一方的な現状変更を一段と進め行い、加えて「トランプ2.0」が疑似的19世紀帝国主義世界への回帰を加速させた、それが21世紀の現状だ。そこには、「力と利益」本位の米中ロ三大国によって、価値と道徳(自制と規範遵守)が木っ端微塵(みじん) に打ち砕かれようとする世界が現出しつつある。カーニーはダボス演説で、リアリズム理論を支える要素となっている決定論的側面─「強者が弱者を支配するのは歴史的必然である」というトゥキディデスの格言を拒否、伝統的リアリズム世界との決別を宣言した。対して、カーニー演説の基盤となったプラグマティズムとは何か。それは、固定的な理論やイデオロギーに固執することなく、「実際に何が問題解決に向けて機能し有用なのか」という実用・実利を最重視、政策を「ツール(道具)」と見なして状況変化に応じて修正する実験主義を推奨する哲学的態度だ。カーニーは演説の中で、カナダは「可変幾何学(variable geometry)を追求している」と言明した。「可変幾何学」とは、フランスの国際戦略論で使われる概念で、「課題や目的、利益に応じて、協力するパートナーや枠組みを柔軟に入れ替える」という戦略的アプローチだが、プラグマティズムにも相通じている。すなわち、自由、民主主義、人権などといった社会・政治的価値と同様、経済実利をも視野に入れて行動するのが、カーニーのプラグマティズム(実用主義)の核心部分にあるのだ。カーニーは演説の中で、カナダ外交の新たなアプローチはフィンランド大統領ストゥブが「価値に基づく現実主義(value-based realism)」と呼んだ概念がベースになっている、それをカーニー流に換言したのが「われわれは原則的でありながら実用的である」の意味であることを明らかにした。
◇中堅国家・日本外交に問われるもの
カーニー演説の狙いが、トランプ批判が核心的テーマだとか、カナダの対中接近は米国覇権の横暴から身を隠すためのものだとかいう言説は、皮相的過ぎる。安全保障に関しても、カーニーは北極圏の主権問題に言及、NATO第5条へのコミットメントが揺るぐことはないとして、デンマークとグリーンランド独自の権利を全面的に支持する方針を表明した。 プランBには、いまだに決まった定義はなく、多様なアプローチを試みて収束するものだ、と考えれば、その力点の置き方は各主体にとってさまざま。国家安全保障の処方箋は、それぞれ国ごとに「最適解」があるはずだ。同じ中堅国家の日本にしても、カナダとは地政学的環境は違い、おのずと「最適解」も違ってくる。日本の安全保障環境はと言えば、カナダの地政学と大きく異なる。四方海に囲まれているとは言え、「力の支配」を前面に対外膨張を続ける巨大国家中国、また核・ミサイルを保有する北朝鮮が至近距離に存在する。加えて、中国と連携する反米国家で北朝鮮を後押しする軍事大国ロシアともアジア北方で対峙(たいじ)せざるを得ない。カナダとは、脅威の質が明らかに違うのだ。その点、カーニーの中堅国家論は安保面では楽観的で、日本が全面的に賛同するわけにはいかないのだが、断絶世界の中にあって、生き抜くには何が最良の策なのかを考える上での価値ある提言であるのは間違いない。日本も同じ民主中堅国家として、能動的・自律的な外交を推進するため、独自のナラティブを創って並進する道はあるはずだ。首相カーニーは、カナダが進むべき道を明示し、一人声を上げた。そこに示された主権を守り抜くための意思の強さ、勇気と胆力─その受け身ではない能動的・自律的行動こそが、今の日本外交に欠けているものではあるまいか。(敬称略)(時事通信【外交傍目八目】2026/2/16配信より)
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