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2025-11-23 16:12

⾼市「咲き誇る⽇本外交」の陥穽─重要さ増す「裏」舞台

鈴木 美勝 日本国際フォーラム上席研究員
 「外交はアート」と⾔われる。そこには、「表」の「舞台」があり、そこで演じる「役者(アクター)」がいる。加えて、必ず「裏」の舞台があり、国家的外交の⼤事に取り組む際には「裏」の舞台で、主役たる⾸脳の意を体した、匠(たくみ)の交渉スキルを持つプレーヤーがシェルパ的な働きをするのである。就任早々、最重要の外交イベントたる⽇⽶⾸脳、⽇中⾸脳両会談をこなした⾸相・⾼市早苗は、裏⽅が準備した表舞台に在って物おじしないパフォーマンス⼒を発揮した。「⾼市劇場」は滑り出し上々の幕開けとなったが、国会答弁での台湾有事に絡めた「存⽴危機事態」発⾔で暗転、無難に始動したかに⾒えた⽇中関係が動揺している。緊迫の度を増す⽇中関係を鎮静化するには、今後、「裏」の舞台における⼿練(しゅれん)の外交アクターの動きがますます重要になる。
 
 ◇国家安保局⻑交代の衝撃⼈事
 ⾼市新内閣・組閣前⽇の10⽉20⽇朝、霞が関に衝撃が⾛った。⾼市外交戦略の中枢を担う国家安全保障局⻑交代の情報が駆け巡ったのだ。初代局⻑・⾕内正太郎から数えて4代⽬の局⻑・岡野正敬の在任期間は、1⽉に前任者の秋葉剛男から引き継いでから1年に満たず、わずか9カ⽉で⾸相官邸を去ることになった。この電撃的な交代⼈事の真相は諸説ある。外相・茂⽊敏光の⼈事報復説さえ出回ったが、それは⾒当違いの臆測にすぎない。実際は、⾼市独⾃の強い意向によるものだった。国際法の規範を最重視する発想に⽴って外交を考える外務官僚エリートの岡野と、タカ派政治家の⾼市は、政官の肌合いばかりでなく、拠って⽴つ基本的な考え⽅が違っていた。特に中国との向き合い⽅がそれだ。2⼈をよく知る政府筋は証⾔する。⾼市総裁が選出された時から、「(岡野は)ややリベラルなので(再任は)どうかな」と感じていた─と。「世界の真ん中で咲き誇る⽇本外交を取り戻す」─⾼らかに宣⾔した⾼市だが、⾃⺠党 総裁就任後、岡野とどう向き合ったか。
 総裁・⾼市が、外交に関して初めてブリーフを受けたのは、10⽉8⽇。党本部で、内閣特別顧問・秋葉剛男(前国家安全保障局⻑)を⽪切りに、外務事務次官・船越健裕、そして、国家安全保障局⻑・岡野と相次いで「個別」に会談した。その10⽇後に起こる電撃的⼈事の伏線は、実はこの⽇にあった。その後、公明党の連⽴離脱があって、外交政策のブリーフが再開されたのが15⽇午後。秋葉、岡野をはじめ、船越、財務事務次官・新川浩嗣、防衛事務次官・⼤和太郎らが招集されて会合が開かれた。約2週間後に迫った⽶⼤統領トランプの来⽇に備えたものだった。翌16⽇午後、⾼市は駐⽇⽶国⼤使ジョージ・グラスと会談、続いて17⽇⼣、東南アジア諸国連合(ASEAN)関連⾸脳会議の出席に向けて、船越以下、外務省関係局⻑からブリーフを受けた。この時も秋葉ばかりでなく、岡野が同席していた。⾼市⼈事は⾮情だった。国家安保局⻑を巡る⼈事異動が突然動き出したのは、外交ブリーフが終わって間もない同夜以降だ。翌18⽇の⼟曜までには、岡野退任が決定、その後任に内定した前内閣官房副⻑官補・市川 恵⼀にその旨が伝えられた。その市川は、15⽇に皇居で駐インドネシア⼤使の認証式が終わり、既に発令されていた。閣議決定された⼈事を覆し、急きょ差し替えた異例中の異例の⼈事だった。⾼市が掲げる「⾃由で開かれたインド太平洋(FOIP)」は、安倍晋三政権時代に総合外交政策局総務課⻑・市川が同局⻑・秋葉と協議しながら作り上げた政策構想だ。そこには、安倍の権威にすがる⾼市の⼼根も垣間⾒える。
 
 ◇外交官─市川・岡野の系譜
 岡野と市川の外交官としてのキャリアは対照的である。岡野は、古くは、⾼島益郎をはじめ、栗⼭尚⼀、⼩和⽥恒、柳井俊⼆、⽵内⾏夫ら「条約畑」を歩んだ歴代事務次官同様、「規範」を最重視する頭脳派のエリート外務官僚の系譜に連なる。このうち、⽇中国交正常化交渉の際の条約局⻑・⾼島に⾄っては、中国⾸相・周恩来から「法匪(法律を絶対視し⼈を損なう役⼈や法律家)」と呼ばれたほどの規範主義的外交官。この系譜は、戦後の国際秩序が⽶主導で安定していた時代における外務省本流だった。
 対する市川はと⾔えば、総合的・中⻑期的視点からの政策⽴案や、全省的観点から政策の総括・調整を⾏う総合外交政策局のポストや政務ポスト(官房⻑官3⼈に仕えた秘書官)を数多くこなしてきた外交官だ。国際法局(旧条約局)の職務経験はなく、古くは、⽇中国交正常化や天皇訪中の実現に⼤きな貢献した橋本恕、そして、政治問題化した外交政策で顕著な働きをした岡本⾏夫や⽥中均らの系譜につながる政務派の外交官だ。その点、岡野は政治家との付き合いは薄く、接点も数少なかった。旧宮沢派に根っ⼦を持つ官房⻑官・林芳正(現総務相)とのパイプが最も太く、「岡野外務事務次官」を実質的に決めたのも、林(当時外相)だった。その林はと⾔えば、有能であることは誰もが認めるところだが、安倍の対極に位置付けられる政治的突破⼒に⽋けるハト派政治家だ。⾼市が、岡野から市川への国家安保局⻑交代を決断した事情はこの辺りにもあるだろう。
 
 ◇「守り」から「攻め」の外交へ
 本来、「規範」と「政治」は、弱⾁強⾷の国家間のパワーゲームの中で国益の維持・拡⼤をミッションとする外交官が苦悩のジレンマに陥りやすい⼆律背反の命題である。戦後秩序体制下では、「条約畑」を歩んできた外務官僚が本流意識を形成し、⽇本外交の中枢を担ってきた。だが、⽇本の対外的戦後処理も進み、外交に求められる要請も⼤きく変わった。世界の⼤状況も冷戦終結後を起点に変質した。1990年代、東⻄の境界線を巡る⽶欧─ロシア間の1インチの攻防─虚々実々の駆け引きが⽔⾯下で始まり、21世紀に⼊って号砲⼀発─アメリカの⼀極⽀配を揺るがすかのように⽶同時多発テロが勃発した。加えて、⻄⼤⻄洋条約機構(NATO)の東⽅拡⼤が本格化すると、プーチン・ロシアが反発、国際政治の地殻変動、⻲裂が顕在化した。「韜光養晦」を旨としてきた巨⼤国家中国もアグレッシブな外交を展開し始めた。⼤状況が激変する中で⽇本外交も、⽇⽶同盟を基軸にして国際法のみを墨守し「祈って」いれば、国益を守れる時代ではなくなった。規範⼒を偏重する「守りの外交」から、政治的レバレッジを⾼める「攻めの外交」へ。安倍内閣で創設した「国家安保局」は、こうした⼤きな時代変化や潮流に対応したものだった。今や、国際法の規範を遵守、「法の⽀配」に価値観を置きつつも、リアルな国際情勢に即応するために政治のバトルフィールドでも影響⼒を及ぼせる外交が、より重要になった。⾸脳外交の中枢を担う国家安保局⻑は、⾸相の絶対的な信頼を受け、その⼼の襞(ひだ)を読みつつ、相⼿国との交渉を進めていかなければならない─政官の接点に位置する最重要の外交ポストとなったのである。
 
◇⼆⼑流外交官
 ⾸脳外交の戦略的な舵(かじ)取りを⾏う国家安保局⻑は、当然、相⼿国からも重視される。特に隣国の中国の場合、⽇本で最も重視する外交当局者は外相ではなく、国家安保局⻑となった。時の⾸相と⼀体の戦略と思想を持ち、意思疎通が密に出来る外交官の存在が不可⽋となる。「積極的平和主義」を掲げた安倍は、初代安保局⻑に抜擢した⾕内正太郎に⽀えられてFOIPなど「地球儀を俯 瞰(ふかん)する外交」を推進した。ポスト安倍の菅義偉、岸⽥⽂雄両⾸相は安倍外交の戦略図を引き継ぎ、⽶・中はじめ主要国との「裏」舞台外交を第3代局⻑・秋葉に全⾯的に任せた。条約局(現国際法局)⻑と総合外交政策局⻑を経験した⾕内と秋葉は、「法の⽀配」が依拠する「規範」意識と併せて「政治」のパワーを巧みに引き出すバランス感覚を⾝に付けており、政官の接点も巧みにこなしてきた⼆⼑流の外交官と⾔える。
敢えて岡野を引き合いに出せば、次のようなエピソードが残されている。それが、⾼市の⽿に⼊っていたか 否かは定かではないが…。
 3⽉23⽇、「⽇中経済ハイレベル対話」のために来⽇した王毅(中国共産党政治局員兼外相)は、中央外事⼯作弁公室主任としてのカウンターパートである国家安保局⻑・岡野とも会談した。懸案が⼭積する⽇中両国には、互いに絶対譲歩できない国益があるが、妥協可能な懸案もある。何が譲れるのか、どこにギリギリの線を引けるのか、その着地点を「裏」の舞台の協議で⾒出す。相⼿には⾸相の意向を踏まえ、本⾳をまぶしつつ⾁声で伝える。時に激しく突っぱね、時に声を低くして…。中国が「ハイレベル政治対話」と位置付ける枠組みは、プロフェッショナルな外交官が「裏」舞台外交で匠の技を駆使できる重要な場。ここで、彼らは単なる舞台裏の裏⽅から「裏」の舞台アクターとなるのだが、約1時間20分にわたる会談が終わると、王毅は⼝にしたという。「今度は、メモを⾒ないで話をしましょう」。岡野がメモに⽬をやりながら⽇本のポジションを頑なに堅守する、⽊で⿐をくくったように聞こえる型通りの発⾔、そのやり取りに不満を感じた王毅の⼀⾔だったのではないか。王毅をよく知る外務省OBは解説する。「今後、岡野との『政治対話』は、設定する価値がないと判断したのだろう」。⾸脳外交を仕切るプロの外交官の「裏」舞台での重要性は、この種の「政治対話」にこそあるのだ。
 
 ◇「台湾」─⾼市リスク
 では、⾸脳外交の主役となる⾼市は、隙のない対中外交を進めているだろうか。⾼市はタカ派の⾔動を繰り返してきた政治家。このため、台湾問題と並んで歴史問題が⻤⾨とされるが、総理総裁就任後、歴史問題では慎重な対応を取り続けた。まず、秋季例⼤祭では⽟串料を私費で納め、靖国参拝を⾒送った。対中シグナルの⼀つだった。⽇本側が望んでいた⽇中⾸脳会談は、発表よりかなり早い段階で内々に中国から申し出があり、実現した。⾼市は国家主席・習近平との間で「戦略的互恵関係」の推進を確認、対中外交を無難に始動させた。従軍慰安婦問題で「おわびと反省」を明記した河野談話と戦後50年村⼭談話についても、談話に批判的な持論を封印し、両談話とも「継承する」意向を表明した。ところが、もう⼀つの⻤⾨─「台湾」に関しては想定外のことが起きた。⾸相が集団的⾃衛権を⾏使できる存⽴危機事態を巡って持論の⼀端を表明、海上封鎖など台湾有事の際に該当し得ると発⾔したのだ。駐⼤阪総 領事・薛剣が戦狼外交官張りの品位に⽋けた⾔辞でXに投稿した─「汚い⾸を斬ってやる」。当初、北京は型通りの⼿順で⽇本側に抗議、事態の推移を⾒守ろうとした感じがあった。が、1週間後、渡航を控えるよう国⺠に呼び掛け、事もあろうに留学⽣ら⽇本滞在者には危険が及ぶ恐れがあると発信した。認知戦を仕掛けてきたのだ。北京が国⺠レベルに⽕種を持ち込んだことで、今後、燎原(りょうげん)の⽕が⼤衆に広がるリスク がないとは⾔えない。来年に持ち越した⽇中韓⾸脳会議が今後どうなるのか。それに先⽴って⽣じたこの緊張局⾯を打開できるのか、新任の国家安保局⻑・市川が、また、「裏」舞台外交で豊富な経験を持つ内閣特別顧問・秋葉が、それぞれプロのプレーヤーとしてどのように動くのか─注視する必要がある。(敬称略)(時事通信【外交傍目八目】2025/11/19配信より)
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