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2022-07-29 15:12
日本の民主主義の強靭性
高橋 慶吉
大学教員
選挙遊説中の安倍晋三元首相が殺害されるという、民主主義に対する重大な挑戦を日本社会は見事乗り切ったと言えるだろう。殺害事件のあった当日こそ遊説活動を中止した政党も翌日には再開した。投票率は52.05%(選挙区選)と決して高くはないが、前回を上回った。女性当選者は35人で過去最多だという。何より大きいのは、事件の衝撃の中でも投開票が混乱なく進められたことである。選挙翌日の日経新聞社説が説いているように、そのことにより「テロには決して屈しないという」日本社会の「決意」が示された。
振り返れば、日本の民主主義がいかに強靭かは平成の30年間もよく示している。平成と言えば、経済の低迷が続き、自然災害が頻発した時代だった。化学物質を使った前例のない都市型無差別テロとして、世界を震撼させた地下鉄サリン事件が起きたのも平成である。政治も安定しなかった。短命政権が多く、平成の30年間で首相職を務めた政治家は17人にのぼる。これら事象が目立つために平成に対する評価は総じて低い。「失われた30年」とか「失敗の時代」とか、平成に関する否定的な表現を挙げればきりがない。だが、忘れてならないのは、政治、経済、社会がなかなかうまくいかない中でも、憲法によって規定される日本の民主主義体制が動揺することは一度としてなかったということである。
昨今、世界的な民主主義の退潮が指摘される。民主主義を維持することは決して容易なことではない。このことを考えれば、30年に及ぶ長期の不調に苦しみながらも、民主主義を守り抜いた平成という時代をわれわれはもっと肯定的に評価してもよい。
首相経験者が襲撃によって命を落としたのは1936年の2・26事件以来である。その後の日本は軍国主義への傾斜を強めたが、平成の30年と安倍氏殺害事件直後の日本社会の反応は、民主主義がいまや強固に国民の中に根付いていることを示している。安倍氏の殺害を深刻な政治的混乱の予兆として見ることは適当ではないだろう。
もちろん、日本の民主主義の将来について過度の楽観は慎まなければならない。だが、過度の悲観もいけない。どちらも、民主主義を動かしていくのに必要な関心とエネルギーを社会から奪うからである。楽観と悲観の間で適度なバランスを保ちつつ、民主主義の維持とさらなる強化に努めることが重要となる。
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