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2007-10-19 22:10
占領政策の転換:日本弱体化から日本復興へ
奈須田敬
並木書房取締役会長・月刊「ざっくばらん」編集長
くりかえすようであるが、筆者は連合国軍の日本占領政策、とりわけ過酷な日本弱体化政策に対して、占領軍(主力は米軍であるが)の高級幹部の中で、その過酷な政策に疑問を抱き、連合国軍最高司令官(GHQ・SCAP)マッカーサー元帥に対し、是正を促す軍人(たとえば、情報部長ウィロビー少将など)が存在し、かれらがGHQの内部の “敵”(親ソ、左翼系分子)と暗闘をつづけていた事実を、公刊された関係資料の中から掘り起こすことによって、占領軍の内部事情と人間関係が多少なりとも理解できれば、占領政策「善悪二元」説の判断材料になりうると考えている。
ウィロビーについては、『知られざる日本占領--ウィロビー回顧録』(番町書房、1972年〈昭和48年〉、絶版?)があり、その対極にあって、ウィロビー的な是正政策を「逆コース」ときめつけ、そのスタンスで、米国内の是正派(グルー元駐日大使ら)の動向を詳細に調べあげた書物が、『軍隊なき占領--ウォール街が「戦後」を演出した』(G・デイビス著、新潮社、1996年〈平成8年〉)である。両書については、すでに本欄への過去の投稿に登場しているので、その概略は読者もご存知かと思うが、さらに注意深く両書を比較検証すれば、凡百の占領史研究書のエッセンス、核心をつかむことができようかと思う。さて、『軍隊なき占領』が最重要視したグルー元駐日大使・国務次官を代表格とする「米対日協議会(ACJ)」の実態に迫りたい。マッカーサーに課せられた任務について、著者は冒頭次のようにのべる。
≪ハリー・トルーマン大統領の指令によれば、SCAP(連合国軍最高司令部)の任務に敗戦国の管理があった。すなわち、速やかなる武装解除、非軍事化の実施。日本が海外に築いた帝国の解体。軍部・財界・官僚の結託による独裁体制を廃し、民主的社会に作りかえる。新生日本を平和的存在にふさわしい自由経済によって支えられるようにすることであった。数週間後には大統領は、軍事総督(プロコンスル)たるマッカーサーにたいし、自由経済体制の基盤を準備するよう指令を発した。「この目的を達成するために、最高司令官は・・・日本の通商、産業の大きな部分を支配してきた産業・金融機構の解体計画を支持する」。占領開始後6週間のうちに、SCAPは言論・出版・集会の自由を剥奪する諸法令の廃止を完了した。あの過酷な「治安維持法」も撤廃された。(略)占領計画は、アメリカ国民の圧倒的支持を受けた戦争目的に従って、主としてアメリカの軍部および文民当局の手により作成され、施行された。マッカーサー元帥は「連合国最高司令官」という肩書ではあったが、その権限を他の戦勝国と分担しようとするフリすら見せなかった。(略)にもかかわらず、連合国の各政府および国民はSCAPの当初の目標を全面的に支持した。≫
著者の筆が一転するのは、このあたりからである。≪さらに思いきった措置は、「軍国主義的国家主義と侵略の積極的擁護者」は一人のこらず公職から追放せよ、というワシントンからの指令だった。無期限の活動停止命令を受けた者のなかには、日本の主立った財界指導者が多数ふくまれており、封建的な「大君主」とマッカーサーが呼んだ財閥リーダーたちが戦犯として起訴されないという保証はなにもなかった。≫
ところが、前回の投稿(本欄9月13日付投稿402号)の末尾で記したように、「民主化」の美名による一連の日本弱体化、共産党支援政策が、「アメリカのマスコミの容赦ない攻撃」と、マッカーサーの政策変更により、なんともあっけないほどに崩壊した、と著者は語調を強めて、≪なぜアメリカ政府はこのような「逆コース」を取ったのであろうか≫となじり、そのあげく、次のように放言している。≪味方にも敵にも一様に疑惑を生んだ方針転換を、なぜ下したのか。敗北した日本をよみがえらせる決定をしたのは誰だったのか。・・・≫『軍隊なき占領』の著者によれば、敗戦国日本を再興させることは「悪」だったのである。
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